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脳内ニューヨーク
チャーリー・カウフマン監督

 おそらく自分探しの映画であろうと思うが、じつに難しいというか、まったくエンタメ性のない退屈な映画である。
劇場パンフレットに、2回見ないとわからないと書いてあるくらいだから、何をかいわんやの映画である。
たくさんの賞を取っているが、本当に理解されているのだろうか?

Still of Philip Seymour Hoffman and Tom Noonan in Synecdoche, New York
IMDBから

 タイトルどおり、ニューヨークでの話。
だいたいこんな映画は、観念と倒錯の街ニューヨーク以外では考えられない。
主人公のケイデン(フリップ・シーモア・ホフマン)は、さえない舞台監督である。
彼には画家の妻がいるが、何となく疎遠である。
この妻アデル(キャスリーン・キーナー)も、またおかしい。
虫眼鏡で見なければ見えないほど、小さな絵を描いている。
娘のオリーヴ(セイディ・ゴールドスタイン)はまだ小さくて、周囲で何がおきているか分からない。

 アデルはケイデンの才能に見切りを付けて、個展を口実にドイツへと娘を連れて逃げてしまう。
しかし、天才賞といわれるマッカーサー・フェロー賞が、彼におくられたことから話が変わってくる。
彼は膨大な賞金をつかって、巨大倉庫のなかに彼自身の頭のなかを再現しようとする。

 
 人の頭のなかなんて、舞台化できるわけがない。
話は止めもなく広がっていき、17年たっても舞台は完成せしない。
いつまでも稽古に終始している。
マルコヴィッチの穴」や「エターナル・サンシャイン」の脚本を書いた監督だけあって、前2作の主題だった自分探しと自己相対化は深化している。
しかし、自分で監督をしないほうが良い。

 登場人物を簡単に差し替え、自己相対化のためだろう、最後には自分自身まで別の人物が演じていく。
まずサミー(トム・ヌーナン)が自分のほうが、ケイデンよりケイデンを知っているので、役を代わろうと言いだす。
サミーがケイデンを演じていたが、サミーは舞台のセットから飛び降りて、ほんとうに自殺してしまう。

 次に、男性であるケイデンを、女性のミリセント(ダイアン・ウィースト)が演じていくことになった。
この映画は自分捜しに結論を出している。
その結論は、誰でもみな同じで、全員分の幸せがあるという。
その反映がケイデンとミリセントの入れ替えだろう。
男性であるケイデンと、女性のミリセットが入れ替わっても、話は何の支障もなく進んでいくのだ。
しかも、ミリセントはエレン(ダイアン・ウィースト)という名で、ケイデンの家政婦でもあった。

 舞台の話は、ケイデンの頭のなかの反映だから、現実の動きも描かれる。
これも人間関係がよくわからない。
関係と言うより、なぜ2人が好感を持つのか、離れていくのか、説得力がないのだ。
アデルと離婚するのは良いとしても、言い寄るヘイゼル(サマンサ・モートン)とは結婚せず、女優のクレア(ミシェル・ウィリアムズ)と結婚する。
ケイデンがヘイゼルに勃起しなかったとしても、それだけがクレアを選んだ理由ではないだろう。
この結婚も、もちろん破綻してしまう。

 
 火事の家に住むヘイゼルだが、この火事の家というのがよく判らない。
いつ行っても、ヘイゼルの家は燃えており、火事なのだ。
しかし、誰も火事だと騒がないし、あわてる素振りも見せない。
それでいながら、ヘイデルが結婚した男性は、火事が原因で死んでしまう。
ケイデンの見ているテレビの中に、ケイデン自身が登場しても、幻覚だというのと同じなのだろうか。
それにしては、実際に人が死んでしまう。よくわからない。

 ドイツに住んだアデルは、マリア(ジェニファー・ジェイソン・リー)とゲイの関係になる。
刺青を仕事とするマリアは、娘のオリーヴに身体に刺青をほどこし、見世物にする。
オリーヴは刺青がもとで死んでいくのだが、愛に目覚めさせてくれたのはマリアだといって、ケイデンを戸惑わせる。

 ケイデンがアデルに捨てられた理由はよく判る。
アデルとマリアのゲイも判る。
この話と、自分の脳内を舞台化する話がつながらないのだ。
ケイデンの個人的な生活が、必然的に舞台化していくという流れが見えない。
マッカーサー・フェロー賞を受賞するのだって唐突だし、精神科の女医マドレーヌ(ホープ・デイヴィス)との関係もよくわからない。

 一般に記憶や時間を扱うと、映画は特に難しくなる。
しかし、この映画は記憶も時間も、扱ってはいない。
強いて言えば、頭のなかを舞台化するのが、記憶を広げてみせる作業なのだろうか。
おそらく比喩がたくさん隠されており、ボクたちはその意味を共有していないから、この映画が判らないのだろう。

 しかし、映画の作り方自体も、ずいぶんと平板だと思う。
流れが均一で、密度の濃さの違いがない。
そのため、2時間をちょっと越えるだけにもかかわらず、ずいぶんと長い映画に感じる。
脚本の着想の面白さは認めるにしても、映画化という点で失敗している。

 年齢を重ねていくメイキャップが素晴らしい。
ケイデンは言うに及ばず、ヘイゼルも上手く老けていた。
ヘイゼルの入れ替わりになった、タミー(エミリー・ワトソン)も上手く老けていた。
難解な映画だが、ずいぶんと有名俳優がでている。

 原題は「Synecdoche, New York」で、Synecdocheは一部で全体を表すよう提喩という意味だそうな。
2008年アメリカ映画


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