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当サイトが絶賛するスザンネ・ビアが、ハリウッドで撮った映画である。 小国デンマークから脱出して、ハリウッドの大金が使える状態で、どんな映画を撮るのか。 期待して見に行ったが、説教臭があって馴染めなかった。
愛する夫のブライアン(デビッド・ドゥカブニー)が、2人の子どもを残して死んでしまった。 残された妻のオードリー(ハル・ベリー)は、当然のことながら、絶望のどん底に陥る。 死んだ夫には、弁護士の親友ジェリー(ベニチオ・デル・トロ)がいた。 しかし、彼は麻薬に溺れ、誰からも見捨てられていた。 オードリーも彼が嫌いで、夫がジェリーと付き合うことを快く思っていなかった。 ブライアンが死んだ以上、不快な友人であっても、葬式には呼ばなくてはならない。 葬式にあらわれたジェリーは、予想に反して正常だった。 彼をとおして、夫の思い出が見える。 子供たちもジェリーになついている。 オードリーは一緒に住んでくれないかと、ジェリーを誘う。 不快な友人に対して、不思議な誘いだが、一緒に住むことになる。 しかし案の定、子供をめぐって衝突が始まる。 結局、ジェリーは追い出され、ふたたび麻薬への道におちいる。 オードリーとジェリーは、けっして男女の仲になるのではない。 にもかかわらず、彼女は必死でジェリーの行き先を探す。 そして、麻薬中毒者に戻ったジェリーを、自宅に連れ戻す。 物語の展開に無理がある。 いくら愛する夫の友人だとはいえ、不快な友人と一緒に住むと、平穏では済まないと予測できる。 逆に、平穏では映画にはならない。 こうした無理勝ちの展開は、結局こじつけの結末になりがちである。 この映画も無理がたたっていく。 ブライアンの死は、DVでもめる男女を止めに入ったときに、 加害者の男性から銃で撃たれたものだ。 そして、弁護士が麻薬中毒に陥っている。 この映画が描くのは、暴力、銃、麻薬と、いずれもアメリカの悩みである。 夫を事故で失うのは、どこでもあり得る話でである。 この監督は、男女間の機微を描いて鋭いものがあったが、 しかし、暴力、銃、麻薬という設定はアメリカだけのものだ。 おそらく、この監督はアメリカに来た以上、アメリカに対して発言したかったように思う。 世界の中心アメリカには、お金だけはたっぷりあって、世界中の富を集めているが、 暴力、銃、麻薬とすさんだ社会だとも見える。 アメリカから伝えられる情報は、貧富の差と人間の尊厳の崩壊だとしたら、 たしかにアメリカは病的である。 彼女の祖国デンマークからは、暴力、銃、麻薬という話は聞こえてこない。 デンマークのほうがアメリカより健全だと、この監督は感じているのだろうか。 しかし、言葉の違う異国に来て、その国の病理を語るのは、きわめて難しい。 本国人だって、自国の病理を語るのは難しいのだ。 ましてや外国人は、病理に内在的視線を当てることができない。 本国人とはその国の価値観が、内在化されているからネイティヴなのであり、 たんに言葉だけの問題ではない。 本国人は、自国の問題を内部から見るが、外国人は外から見る。 外国人はいくら真剣に考えても、当該国を内在視することはできない。 もちろん病理にたいして批判はできる。 批判してもいい。 しかし、本国人と外国人とでは、視線のもちかたが違うのだ。 その違いに、この監督は無自覚のようだ。 外国人がその国の悩みについて発言すると、どうしても解決方向をめざしてしまう。 そのため説教臭くなる。 この映画はその典型である。 「テルマ アンド ルイーズ」はイギリス人監督、「ブロークバックマウンテン」は台湾人監督である。 イギリス人も台湾人も、ハリウッドで映画を撮って成功している。 しかし、成功した映画は活劇的要素をもっている。 アクション映画であれば、国境を越えて撮ることも容易いことだろう。 「テ&ル」は女性の台頭期に、女性へのエールを送る映画だったから、 その主張は先進国共通だった。 また、「ブ」ではゲイを肯定せず、論争的主題に結論を与えていない。 両方とも活劇に上手く逃げている。 愛する男女の関係は、先進国ではどこでも同じ現れ方をするだろう。 しかし、愛の喪失から回復する過程は、先進国といえども同じではない。 この監督が得意とするような、家族愛と言った主題は、国と言葉いう背景が大きくものをいう。 夫がやったように、眠りに落ちるまで耳たぶをさすっていて欲しいとか、とにかく癒して欲しいのだ。 それは理解するが、暴力、銃、麻薬とならべてしまうと、 どうしてもアメリカ批判的で、かつ問題解決的になってしまうので、男女関係を内在視できない。 暴力、銃、麻薬とというアメリカ的問題を、 同居したら結果が見えている無理な展開で解こうとしたので、男女関係への深遠な視線が消えてしまった。 ハリウッドへ行くことは良いと思う。 しかし、自分の抱える問題意識だけを、自分の身の丈にあった形で展開すべきだった。 母語ではなく、英語で撮ることの意味を考え、ハリウッドの資金を利用すれば良かったのだ。 ライティングなど技術的にはずっと高度になっていたが、 顔の無用なアップを多用したので、画面が止まってしまった。 映画的な流れが切れていた。 原題は「Things We Lost in the Fire」 2007年アメリカ映画 (2008.04.03) |
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