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トミー・リー・ジョーンズといえば、「メン イン ブラック」などに出ているお馬鹿なオヤジだと思っていたが、とんでもない知識人だった。 ほとんどお金もかけておらず、彼1人の企画かつ主演で、まさに脱帽の映画だった。 考えてみれば、彼はハーバードでゴア元副大統領と、同室だったというから納得である。
テキサスはメキシコとの国境の街での話。 密入国者のメルキアデス(フリオ・セサール・セディージョ)は、気の良いカーボーイで、年齢は離れているが、ピート(トミー・リー・ジョーンズ)の大の友達だった。 その友達が国境警備員のマイク(バリー・ペッパー)に殺される。 警察は犯人が分かってながら、身内の国境警備をかばって逮捕しようとしなかった。 ピートは警察に抗議したが、受け入れられなかった。 切れた彼は、マイクを拉致する。 そして、メルキアデスとの約束を守るべく、墓場から彼の遺体を掘り出して、メキシコの村に届けようとする。 話はただそれだけである。 もちろんマイクだって従順に従うわけではないし、警察や国境警備隊も追ってくるし、何よりもメキシコへの道が険しいのだ。 険しい山を越えてメキシコへと密出国をはかる。 途中で、荷物を載せた馬が崖から落ちたり、マイクがガラガラヘビにかまれたり、 砂漠で落馬して馬の下敷きになったりと、大変な道中である。 この映画は、ピートが約束を果たすべく、ここに至るまでの描写が、実に自然である。 ある時、メルキアデスは女性の写った一枚の写真を見せて、 自分が死んだら故郷の村ヒメネスに、埋葬して欲しいという。 年寄りのピートは、自分のほうが先に死ぬと、若者の話を冗談に受け止めていたが、 死んでしまった以上、彼との約束を果たそうとする。 死んだ友達との約束など、男のセンチメンタリズムに過ぎず、現代社会ではむしろ愚かな仕儀に見えるかも知れない。 しかし、ピートはそう考えない。 友達とは、年齢や国籍も関係ない。 心が通っていれば、大切な友人なのだ。 ピートは決して真面目な男ではない。 中年の人妻ウエイトレスのレイチェル(メリッサ・レオ)とベッドをともにしているし、 メルキアデスには若い人妻ルー(ジャニュアリー・ジョーンズ)とのアバンチュールをさせている。 道徳的な男より、チョイ悪な不良のほうが魅力がある。 メルキアデスは密入国者だから、入国管理局の眼を恐れて、おおぴらに街を歩くことはできない。 その彼に女性を紹介するのだ。 同じモーテルの隣の部屋で、2人はことに及んでいる。 こうした不良的な仲が、男の友達意識を形成する。 メルキアデスが密入国者であれば、彼を思う人はほとんどいないので、2人の関係は密なものになっていったのだ。 そのあたりの描写も上手い。 そのため、小さな街での人間模様が、くっきりと浮き上がっている。 レイチェルはベルモント警察官(ドワイト・ヨーカム)とも、ベッドをともにしているのも、 まったく憎めないし納得できてしまう。 そして偶然にも、ルーはマイクの奥さんなのだが、この偶然は物語のなかでは自然に消化されている。 レイチェルのベッドシーンでは、中年の彼女が全裸を披露している。 彼女のしなびた乳房や入れ墨が、いかにもアメリカの田舎の女性という感じを与え、上手い演出である。 話自体は単純なので、 主題を支えるエピソードをきっちりと描き込んでこないと、物語が嘘っぽくなってしまう。 しかし、メキシコへと向かう前の描写が、充分に描き込まれているので、 その後の厳しい国境越えが素直に感じる。 メキシコへの途中では、盲目の男性や薬草を知る女性や、 猟に来ていたメキシコ人男性たちを登場させているが、こうした人物たちが実に自然である。 しかも、彼(女)らの登場が、物語の展開に必要不可欠の役割を果たしいる。 メキシコ人の古き良き時代的な人の良さが、こうしたエピソードをとおして伝わってくる。 物語は時間を前後させて進むから、 エピソードをきちんと組み立てておかないと、観客は理解不能になる。 この映画は、物語がとても緻密に構成されているので、時間が前後しても充分に理解できる。 すべてのエピソードが、必要にして充分である。 そして、登場人物の性格設定がいかにも居そうな人たちで、しかも、彼等の性格が物語の展開に必然性を与えている。 メルキアデスの話は、ほとんど嘘だったのだ。 ピートは辛うじて村のような遺跡を見つけ、そこがヒメネスという村だと決める。 そこに彼の遺体を埋葬し、マイクを解放して映画が終わる。 トミー・リー・ジョーンズはこの映画の主題、 つまり死んだ男との約束を守ることは、時代錯誤だと知っている。 だから、ヒメネスという村を存在させなかったのだ。 そして、メキシコからレイチェルに電話でプロポーズして、あっさりと断られるのも、 彼の認識が現実離れしていることを表現している。 浮気するのは構わないが、安定した生活を捨てるのは、女性にとってはとんでもないことだ。 彼は現実離れしており、時代錯誤だと知っていながら、 約束は約束だという精神性を頑固に守っている。 近代的なアメリカ人たちの日々は殺伐としているが、遅れているメキシコ人のほうが豊である。 しかし、良くあるように前近代を賛美するのではない。 彼はアメリカ人とメキシコ人を、まったく同じ人間としてみている。 自分がアメリカ人であることを肯定した上で、やや自嘲的にアメリカを批判しながら、 新たな自我の確立を自分に問うている。 その心理がよく判るだけに、彼の知識人ぶりが伝わってくる。 徹底した個人を、ぎりぎりと問いつめる自我を、画面をとおして感じさせてくれた。 常に中心を外したワイドな撮影も良かったし、超低予算のこの映画に、文句なく星を献上する。 2005年アメリカ映画 (2006.3.29) |
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