|
|||||||||
逆境にあっても妻子を思う家族愛と、頑張れば報われるという、 アメリカ人への勇気づけが、この映画の主題だろう。 ストーリーは事前に判っているので、やや興味が削がれる。 しかも、ノンフィクションだというので、面白いだろうかと半信半疑で見に行った。
1930年代の大恐慌の時代、アメリカは不況のどん底にあり、多くの人々は失業した。 主人公のジム・ブラドック(ラッセル・クロウ)は、ボクサーだったが、怪我でリングに立てなくなった。 選手生命を失った彼も、他の人と同様に失業者となった。 そして、経済的困窮もきわまり、家族離散に直面した。 そんなとき、かつてのマネージャー、ジョー(ポール・ジアマッティ)が再起試合を持ちかけてくる。 あまりに強いボクサーに、挑戦者がいなかったので、コミッショナーが相手を捜していた。 そこでボクサーのライセンスを剥奪されている彼に、白羽の矢がたちこの試合だけが許された。 練習などしていなかった彼は、当然に負けると予想されたが、意外にも勝ってしまった。 彼の強さを知ったジョーが、彼をリングに復帰させるために奔走し、次々と試合を組んでいく。 現代のボクシングより、はるかに殴り合いに近く、スポーツというより、興業という面が強調されている。 映画はテレビと違い、大きな画面に飛び散る汗や血、殴られてひん曲がる顔といった、 細かい部分が大きく強調される。 試合のシーンは、凄惨ですらある。 一度は死んだボクサーが、復活してチャンピョンになるまでを描く。 シンデレラのように幸運な男というわけだろう。 アメリカでも家族愛が強調される昨今、この映画も、これでもかとばかりに家族愛を描く。 我が国で家族愛というとき、親が子を思う気持ちだけではなく、子が親に従う風景も描かれる。 しかし、アメリカ映画の家族愛は、親が子供を思う愛情だけを描く。 アメリカの子育ては、親の楽しみなのだ。 ジムと奥さんのメイ(レニー・ゼルウィガー)が、貧しい中に必死で子供を育む様子が、美しく描かれる。 しかし、この監督は専業主婦の無力さをも、描いていたのではないだろうか。 というのは、失業したジムが仕事を探して苦労する日々に、 妻のメイは家にいて、3人の子供たちの世話を焼いている。 ジムとメイは互いにとても愛し合っているが、やはり衝突することはある。 そのとき、男は外で働き、女は家庭内といった性別役割がどっと表面化する。 妻のメイには何の経済力もない。 当時は、性別により、男は外、女は家庭内といった役割分業が、社会を支配していた。 女性が職業を得るのは不可能だったろう。 今日では、「ガールファイト」や「ミリオンダラー ベイビィ」のように、女性もリングに上がる。 しかし、当時は女性がボクシングをするなど、想像もつかなかったはずである。 だから、妻のメイは夫のジムを、精神的に支えているのだった。 ボクシングの試合でも、ジムは家族があったから勝てたと言う。 メイがジムの支えになっていることが、何度も強調される。 と同時に、メイの無力さもさりげなく、しかし、しっかりと強調される。 女だから学校に行けないと娘に言わせたり、ジムからお金をもらうとき押し抱くようにさせたり、男女差が強調されていると見るのは、穿ちすぎだろうか。 アメリカでは女性の自立映画は、すでにまったく見なくなった。 アメリカでは専業主婦は少ない。 だから、いまさら専業主婦批判などする必要もない。 しかし、1930年代の家族を舞台に、家族愛を描けば、専業主婦批判が内包されるのは、 表現として必然だろう。 我が国で1930年代を舞台に映画を撮るとき、家族愛の中に専業主婦批判を込めるだろうか。 このあたりがアメリカ映画の奥深いところだと思う。 彼等は小津映画の中にある性別役割をどう見ているのだろうか。 もちろん昔に生きた小津を、批判するつもりはまったくない。 しかし、現代人が家族を語るときは、性別役割批判をはずしては不可能である。 古典を見るときでも、現代の原則をきっちりと読み込んでいく、そうした姿勢が必要だろう。 深読みしすぎかも知れないが、この映画に性別役割批判を感じた。 ハリウッドでは評判の悪いラッセル・クロウだが、劇中者になりきっていて、さすがに演技は上手い。 演技が上手いから、人間的には評判が悪くても、キャスティングされるのだろう。 それにたいして、レニー・ゼルウィガーの演技が、単調になってきた。 まったくキャラクターが違う「ブリジット・ジョーンズの日記」と、同じ演技とは一体どうしたことだ。 メイキャップなどのディテールは、実に丁寧に作られている。 ボクシング会場なども、大勢の人を配置して、お金がかかっている。 アメリカ映画の常で、時代考証も入念になされており、ケチの付けようがない。 しかし、無一文の貧乏のはずなのに、ディナーのときにはドレスを着たり、 葬式には喪服を着たり、といったのは可能だったのだろうか。 やや不自然な感じである。 そして、ところどころカラーの発色が悪いのが気になった。 2005年のアメリカ映画 (2005.09.21) |
|||||||||
<TAKUMI シネマ>のおすすめ映画 2009年−私の中のあなた、フロスト/ニクソン 2008年−ダーク ナイト、バンテージ・ポイント 2007年−告発のとき、それでもボクはやってない 2006年−家族の誕生、V フォー・ヴァンデッタ 2005年−シリアナ 2004年−アイ、 ロボット、ヴェラ・ドレイク、ミリオンダラー ベイビィ 2003年−オールド・ボーイ、16歳の合衆国 2002年−エデンより彼方に、シカゴ、しあわせな孤独、ホワイト オランダー、フォーン・ブース、 マイノリティ リポート 2001年−ゴースト ワールド、少林サッカー 2000年−アメリカン サイコ、鬼が来た!、ガールファイト、クイルズ 1999年−アメリカン ビューティ、暗い日曜日、ツインフォールズアイダホ、ファイト クラブ、 マトリックス、マルコヴィッチの穴 1998年−イフ オンリー、イースト・ウエスト、ザ トゥルーマン ショー、ハピネス 1997年−オープン ユア アイズ、グッド ウィル ハンティング、クワトロ ディアス、 チェイシング エイミー、フェイク、ヘンリー・フール、ラリー フリント 1996年−この森で、天使はバスを降りた、ジャック、バードケージ、もののけ姫 1995年以前−ゲット ショーティ、シャイン、セヴン、トントンの夏休み、ミュート ウィットネス、 リーヴィング ラスヴェガス |
|||||||||
|