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落ちこぼれのロッカーが、小学生をロッカーにしてしまう話である。 懐かしい曲がたくさん登場し、古き良き時代に舞い戻った感じがする。 しかし、すでにロックの時代は完全に終わったことも痛感する。 ロッカーが格好良く見えないのだから、もうどうしようもない。 もはやロック・スターは、エミネムには勝てない。
もちろんでデブだからといって、ロックを好きになってはいけない決まりはないが、ロックはやせた獣のような体型が似合う。 優しそうなデブちゃんには、残念ながらロックは似合わない。 にもかかわらず、彼のロックに対する熱意は、並大抵のものではなかった。 バンドのメンバーたちが商業主義に迎合しようとするが、ロックの命を守る彼には許せない。 彼は純粋にロックを追求している。 しかし、反抗が命だったロックの時代はすでに過ぎており、客も彼には愛想を尽かしている。 観客席にダイブしても、床にたたきつけられた。 バンドを首になった彼は、ルームメイトになりすまして、小学校の代用教員になる。 ロック以外に取り柄のない彼は、教員がつとまるわけがない。 そこで小学生相手にロックバンドを組もうとする。 この過程は、ちょっと無理がある気もするが、それもご愛敬であろう。 この小学生たち、オーディションで選ばれただけあって、みんな音楽が上手い。 キーボードのローレンス(ロバート・ツァイ)は、そのタッチからクラシック・ピアノ出身だと判ってしまうが、リードギターのザック(ジョーイ・ゲイドスJr)やドラムのフレディ(ケヴィン・クラーク)など、実に格好良く決めてみせる。 コーラスを担当したトミカ(マリアム・ハッサン)は、美声の上に豊かな声量で驚くほどである。 アメリカの子役たちは、本当に上手い。 映画の作りは、この手の話の定番で、コンテスト出場をかけて頑張るけれど、途中で邪魔が入り一度は出場できなくなる。 がっかりするメンバーたちだが、しかし、何とか出場できる。 出場してみれば、観客のあつい声援を受ける。 最後は子供たちが大喝采を浴びる。 安心して見ることのできる展開だが、映画としては月並みである。 1968年のフランスの5月革命とも呼応して、若い世代は社会に反抗した。 その象徴がロックだった。 当時、ロックは格好良かった。 1970年頃、ロックは一世を風靡した。 工業社会の管理に息詰まりを感じていた若者は、ロックの主張に身を委ねた。 世界中の若者が、ロックしたのだ。 しかし、今やロックには昔日の力はない。 小学生にロックさせてしまうという発想が、すでにロックが古典になりかかっている証拠で、時代とともにある命を失ったものだ。 つまり、自分がロックするのではなく、次世代に教えようとすることは、教えることが相対化されたことを意味する。 時代を切り開くものは、常に顰蹙ものだから、教えることにノレない。 教えるより、自分がロックする。教える対象になったとき、全てのものは様式化されてしまっている。 映画製作者たちもそれがよく判っており、ロックの舞台を様式化してみせる。 バンドの演奏から入りソロになる。 ノッてくると、床を転げたり、シャツを引きちぎったりする。 そして、ドライアイスの登場である。 これほど様式化してしまっては、驚きがなくパフォーマンスとは言い難い。 たしかに「Highway to hell」など、今聞いても良い曲だと思う。 しかし、ロックはすでに過去のものだ。 ディープ・パープルにしても、ツェッペリンにしても、1970年の頃には力があった。 ロックはある種の力を共有していた。 この映画を見ていて感じたのは、ロックは確実に時代を創ったということだ。 多くのロック・スターやバンドが輩出し、彼らは共通のロックという音楽ジャンルを創った。 ロックには様式がある。 ロックは同時代性を失うと同時に、まさに古典になった。 古典というと古いものと思いがちだが、必ずしもそうではない。 言うところのクラシック音楽だって、単に古いから古典と呼ばれるのではない。 様式を確立したものが古典と呼ぶに値する。 モーツアルトやベートーベンが、クラシックの楽聖と呼ばれる。 同じように、彼等もいつか古典ロックの聖楽として、多くの音楽愛好家から称賛されるに違いない。 ピップホップは良識ある人から、眉をひそめて扱われる。 ヒップホップはまだ定型化していない。 ヒップホップを教えようとするものはいない。 ヒップホップは教えるものではなく、不良たちが自分でノルものだ。 かつてロックもそうだった。 不良の音楽が同時代を生きる音楽である。 この映画でちょっと羨ましかったのは、ロックの歌詞がふつうの日常に基礎を置いていることだ。 これはヒップホップも同様だが、日常のごく些細な感情が、音楽に歌い込まれてくる。 それが英語の歌詞として、自然に音楽にのっている。 それにたいして、我々日本人がロックにいかれたのは、海外からの流行といった側面があった。 ロックの精神こそ共有していたが、歌詞が我々の日常に必ずしも、密着していなかった。 四畳半で日本酒を飲んでは、ロックできない。 この映画を見ると、ロックにしてもヒップホップにしても、音楽が身の回りから誕生していることがよくわかる。 英語圏の文化が、情報社会へと導いたということだろう。 この楽しいB級映画を見ながら、今後の音楽はどうなるのだろうか、そんなことを思っていた。 2003年アメリカ映画 (2004.06.25) |
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