タクミシネマ          スクール オブ ロック

 スクール オブ ロック    リチャード・リンクレイター監督

 落ちこぼれのロッカーが、小学生をロッカーにしてしまう話である。
懐かしい曲がたくさん登場し、古き良き時代に舞い戻った感じがする。
しかし、すでにロックの時代は完全に終わったことも痛感する。
ロッカーが格好良く見えないのだから、もうどうしようもない。
もはやロック・スターは、エミネムには勝てない。


スクール・オブ・ロック [DVD]
劇場パンフレットから
 デューイ(ジャック・ブラック)は、デブでとてもロッカーという体型ではない。
もちろんでデブだからといって、ロックを好きになってはいけない決まりはないが、ロックはやせた獣のような体型が似合う。
優しそうなデブちゃんには、残念ながらロックは似合わない。

 にもかかわらず、彼のロックに対する熱意は、並大抵のものではなかった。
バンドのメンバーたちが商業主義に迎合しようとするが、ロックの命を守る彼には許せない。
彼は純粋にロックを追求している。
しかし、反抗が命だったロックの時代はすでに過ぎており、客も彼には愛想を尽かしている。
観客席にダイブしても、床にたたきつけられた。

 バンドを首になった彼は、ルームメイトになりすまして、小学校の代用教員になる。
ロック以外に取り柄のない彼は、教員がつとまるわけがない。
そこで小学生相手にロックバンドを組もうとする。
この過程は、ちょっと無理がある気もするが、それもご愛敬であろう。
この小学生たち、オーディションで選ばれただけあって、みんな音楽が上手い。

 キーボードのローレンス(ロバート・ツァイ)は、そのタッチからクラシック・ピアノ出身だと判ってしまうが、リードギターのザック(ジョーイ・ゲイドスJr)やドラムのフレディ(ケヴィン・クラーク)など、実に格好良く決めてみせる。
コーラスを担当したトミカ(マリアム・ハッサン)は、美声の上に豊かな声量で驚くほどである。
アメリカの子役たちは、本当に上手い。

 映画の作りは、この手の話の定番で、コンテスト出場をかけて頑張るけれど、途中で邪魔が入り一度は出場できなくなる。
がっかりするメンバーたちだが、しかし、何とか出場できる。
出場してみれば、観客のあつい声援を受ける。
最後は子供たちが大喝采を浴びる。
安心して見ることのできる展開だが、映画としては月並みである。


 1968年のフランスの5月革命とも呼応して、若い世代は社会に反抗した。
その象徴がロックだった。
当時、ロックは格好良かった。
1970年頃、ロックは一世を風靡した。
工業社会の管理に息詰まりを感じていた若者は、ロックの主張に身を委ねた。
世界中の若者が、ロックしたのだ。
しかし、今やロックには昔日の力はない。

 小学生にロックさせてしまうという発想が、すでにロックが古典になりかかっている証拠で、時代とともにある命を失ったものだ。
つまり、自分がロックするのではなく、次世代に教えようとすることは、教えることが相対化されたことを意味する。
時代を切り開くものは、常に顰蹙ものだから、教えることにノレない。
教えるより、自分がロックする。教える対象になったとき、全てのものは様式化されてしまっている。

 映画製作者たちもそれがよく判っており、ロックの舞台を様式化してみせる。
バンドの演奏から入りソロになる。
ノッてくると、床を転げたり、シャツを引きちぎったりする。
そして、ドライアイスの登場である。
これほど様式化してしまっては、驚きがなくパフォーマンスとは言い難い。
たしかに「Highway to hell」など、今聞いても良い曲だと思う。
しかし、ロックはすでに過去のものだ。

 ディープ・パープルにしても、ツェッペリンにしても、1970年の頃には力があった。
ロックはある種の力を共有していた。
この映画を見ていて感じたのは、ロックは確実に時代を創ったということだ。
多くのロック・スターやバンドが輩出し、彼らは共通のロックという音楽ジャンルを創った。
ロックには様式がある。
ロックは同時代性を失うと同時に、まさに古典になった。

 古典というと古いものと思いがちだが、必ずしもそうではない。
言うところのクラシック音楽だって、単に古いから古典と呼ばれるのではない。
様式を確立したものが古典と呼ぶに値する。
モーツアルトやベートーベンが、クラシックの楽聖と呼ばれる。
同じように、彼等もいつか古典ロックの聖楽として、多くの音楽愛好家から称賛されるに違いない。


 現在命ある音楽は、やはりヒップホップだろう。
ピップホップは良識ある人から、眉をひそめて扱われる。
ヒップホップはまだ定型化していない。
ヒップホップを教えようとするものはいない。
ヒップホップは教えるものではなく、不良たちが自分でノルものだ。
かつてロックもそうだった。
不良の音楽が同時代を生きる音楽である。

 この映画でちょっと羨ましかったのは、ロックの歌詞がふつうの日常に基礎を置いていることだ。
これはヒップホップも同様だが、日常のごく些細な感情が、音楽に歌い込まれてくる。
それが英語の歌詞として、自然に音楽にのっている。
それにたいして、我々日本人がロックにいかれたのは、海外からの流行といった側面があった。

 ロックの精神こそ共有していたが、歌詞が我々の日常に必ずしも、密着していなかった。
四畳半で日本酒を飲んでは、ロックできない。
この映画を見ると、ロックにしてもヒップホップにしても、音楽が身の回りから誕生していることがよくわかる。
英語圏の文化が、情報社会へと導いたということだろう。
この楽しいB級映画を見ながら、今後の音楽はどうなるのだろうか、そんなことを思っていた。
2003年アメリカ映画     (2004.06.25)

TAKUMI シネマ>のおすすめ映画
2009年−私の中のあなたフロスト/ニクソン
2008年−ダーク ナイトバンテージ・ポイント
2007年−告発のときそれでもボクはやってない
2006年−家族の誕生V フォー・ヴァンデッタ
2005年−シリアナ
2004年−アイ、 ロボットヴェラ・ドレイクミリオンダラー ベイビィ
2003年−オールド・ボーイ16歳の合衆国
2002年−エデンより彼方にシカゴしあわせな孤独ホワイト オランダーフォーン・ブース
      マイノリティ リポート
2001年−ゴースト ワールド少林サッカー
2000年−アメリカン サイコ鬼が来た!ガールファイトクイルズ
1999年−アメリカン ビューティ暗い日曜日ツインフォールズアイダホファイト クラブ
      マトリックスマルコヴィッチの穴
1998年−イフ オンリーイースト・ウエストザ トゥルーマン ショーハピネス
1997年−オープン ユア アイズグッド ウィル ハンティングクワトロ ディアス
      チェイシング エイミーフェイクヘンリー・フールラリー フリント
1996年−この森で、天使はバスを降りたジャックバードケージもののけ姫
1995年以前−ゲット ショーティシャインセヴントントンの夏休みミュート ウィットネス
      リーヴィング ラスヴェガス

「タクミ シネマ」のトップに戻る