タクミシネマ        グッバイ レーニン

 グッバイ レーニン    ヴォルフガング・ベッカー監督

 この映画が語るのは、ベルリンの壁が崩壊した1989年の話である。
共産主義の東ドイツが崩壊し、歴史はどっと西側に傾いた。
この頃、母親クリスティーネ(カトリーン・ザース)は壁の崩壊を知らずに、8ヶ月にわたって昏睡状態を続けていた。
ある日、昏睡状態から目覚めた。
ショックを与えたら、命に関わると医者に言われて、息子のアレックス(ダニエル・ブリュール)は、かつてと変わらぬ日々を演出しようとする。
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劇場パンフレットから

 息子アレックスの心使いを通して、時代の動きをやや皮肉混じりに、しかし真面目に描いた映画で、撮られるべくして撮られた映画であろう。
壁が崩壊するのと同時進行で、日々を生きた人にとっても、あの頃は毎日が衝撃的だったに違いない。
軍用犬と小銃を持った兵士の巡回する壁。
ちょっと前までは、ベルリンの壁が崩壊すると、誰も想像していなかったのだから、本当に歴史的な事件だった。

 普通の人にとってもショックだったので、昏睡から還ったばかりの母親には、とても知らせられる話ではなかった。
なにせ、彼女は夫が西側に亡命した後、女手一つで2人の子供を育て、純粋なコミュニストに変身していたのだ。
彼女は西側は今にも崩壊し、東の勝利が間近いと信じていた。
そんな彼女に東が崩壊したとは、とても知らせることはできない。
ショックでたちまち昇天するだろう。


 アレックスは母を家に迎えるにあたって、壁が崩壊する前の様子を再現しようとした。
しかし、たった8ヶ月間で、事情は激変していた。
西側から消費物資が大量に流れ込んだので、かつての商品は市場から姿を消してしまった。
母親の知っている食べ物は、今や手に入らない。
そうしたなか、以前の生活を再現する可笑しさを底に秘めながら、人間が時代に生かされていく様を、この映画はきっちりと描いている。

 時代の歯車を逆に廻すことは、誰にもできない。
誰でも時代の中でしか、生きることはできない。
現代社会にいると、時代の激変を体験できず、かつて天皇が神様だったことなど、今や想像の外である。
しかし、我が国が戦争をしたのは事実であるように、東ドイツも体制の崩壊を経験させられた。
激変する時代に、個人は如何ともしがたい。

 真面目な校長先生が登場する。
共産主義の時代には、規律正しい校長先生だったが、崩壊後は誰にも相手にされない。
それだけではない。彼自身の寄って立つ日常基盤が崩壊したので、精神の存在証明を失ってしまった。
日本人は天皇制から民主主義へと、素早く変身して見せたが、むしろそれはおかしい。
確かに生きることが最優先し、精神的な存在証明は2番目のものではあろう。
しかし、人間はパンのみにて生きるものでもない。


 この校長先生は、壁の崩壊後は、アル中になって一人部屋に閉じこもっていた。
この心理はよく判る。
すでに老境に達していると思われる校長先生は、長かった自分の人生が全否定されたのだ。
それではアル中にもなろうというものだ。
若者は時代に適応していく。
しかし、そう簡単に適応して良いのか。
この映画は、失った東の時代にも、温かい目を向けている。

 全体主義の時代には、自由はなかったし、結局経済戦争には敗れた。
資本主義の勝利だった。
それはそのとおりである。
しかし、資本主義は本当に人間を幸せにするか。
もちろん、現在のところ資本主義に代わる体制はないし、どんな体制でも人間疎外は起きる。
それは判っているが、資本主義が最高のものか。
この監督は、アレックスに時代錯誤的な行動をとらせながら、人間存在の本質へと迫っていく。

 極大利潤の追求こそ、資本主義の神髄である。
極大利潤の追求が、結果として多くの人に幸せをもたらす。
アメリカ資本主義は、そう言う。現在のところ、このイデオロギーを越える思想はない。
フェミニズムも結局のところ、女性を資本主義的競争に参加させただけだ。
むしろアメリカのフェミニズムは、資本主義の申し子といってもいい。
長い歴史を生きるヨーロッパ人たちには、何とか人間が大切にされる社会を、実現したいと考えているようだ。

 この映画は最初のうちは、何を言いたいのかよく判らない。
ただ、アレックスの時代錯誤的な行動ばかり目に付く。
しかし、終盤にかけて、この映画の主張が、徐々に浮かび上がってくる。
利潤追求よりも、人間愛なのだという。
この映画の主張には共感するが、ではどうやって人間愛を確保するかとなると、大きな壁にぶつかる。
この監督もそうした限界を知りつつ、暖かい人間味をどう確保するか、腐心しているに違いない。

 どんな社会でも、人間は生き続ける。
それは事実だ。
しかし、何が人間の本当に求めるものか、それはに簡単に答えがでない。
資本主義の勝利に終わった20世紀。
コミュニズムの敗北は、同時にフェミニズムの資本主義への参加だった。
自然への回帰とか、エコロジーなどといいながら、コンピュータを使わないことは、もはや考えられない。
コンピュータなど不自然の極みである。


 労働で汗をかかなくなった僕たちは、途上国の人たちから見れば、極めて優雅な生活をしている。
しかし、優雅さとひきかえに先進国の人間は、大きなストレスに曝されている。
フェミニズムを謳う女性も、資本主義の競争に巻き込まれた。
恋人のララ(チュルパン・ハマートヴァ)に、アレックスの時代錯誤を批判させ、時代状況をすべて飲み込んだうえで、この映画は人間とは何かを、改めて問い直している。
 2003年ドイツ映画
 (2004.04.23)

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