タクミシネマ          人生は時々晴れ

人生は、時々晴れ    マイク・リー監督

  近代家族の厳しさを描いたイギリス映画である。
人間関係をここまでぎりぎりと追求されると、論理に淡泊な日本人は辟易とする。
結婚後20年近くがたち、長女と長男にめぐまれたが、旦那のフィル(ティモシー・スポール)はしがないタクシーの運転手、奥さんのペニー(レスリー・マンヴィル)はスーパーのレジ打ちである。
人生は、時々晴れ [DVD]
劇場パンフレットから

 若いときに相思相愛で結婚したが、長い日常生活によって家族は、それぞれの役割を果たすだけになっていた。
フィルが一生懸命に働かないかないこともあって、一家の生活は厳しい。
長女のレイチェル(アリソン・ガーランド)は老人ホームで働くが、長男は何もせずに家にいるのも、ペニーには頭が痛い。
ペニーは意識するともなく、不甲斐ないフィルを軽視するようになっていた。
軽視されている意識は、フィルに伝わり、彼は人生に希望を見いだせなくなっていた。

 太ったフィルは何の取り柄もないと、自分に自信がない。
彼は人生の意義を探して、携帯やタクシー無線を切って、ロンドンの郊外へと出かけていた。
そんな時、長男のローリー(ジェームズ・コーデン)が心臓発作で入院する。
連絡を受けたペニーは病院へ駆けつける。
しかし、フィルの携帯はつながらず、居所が分からない。
その晩、ペニーがきれて、フィルを問いつめる。
そこから家族の心理が拡大されて、内心をぶちまけた口論が始まる。


 家族がバラバラになりながらも、なんとか一家の体をなしており、辛うじて生活が続いてきた。
同じアパートに暮らす他の家族たちも、問題を抱えた人たちばかりである。
ローリーの発作を知らせてくれたモーリン(ルース・シーン)の娘は、妊娠して男に捨てられたし、同僚ロン(ポール・ジェッソン)の娘はやはり無職である。
しかも、ロンの奥さんはアルコール中毒で、ほとんど役に立たない。
この映画が描くのは、ロンドンの底辺の家族たちだろう。

 貧しさは人間関係をむき出しにする。若かった時代には、若さが自分を見ずに済ませてくれる。
そして、有り余るエネルギーが、繁殖欲求と相まって、恋愛感情を高じさせてくれる。
しかし、感情は持続しない。
人間関係を維持する努力を怠ると、恋愛感情はたちまち萎えてくる。
家族という制度は、人間の感情を保障しない。
むしろ日常の雑事が、互いが向き合うことを遮り、家族たちを遠ざけていく。


 前近代の家族は、個人的な愛情によって繋がれているのではなく、家族の役割を生きることによってつながっていた。
恋愛によって結婚生活が始まるのではなく、経済的な要請によって共同生活が始まった。
だから前近代では、男女が愛を口にしなかった。
そして、個人的な愛情がなくても、家族生活にはあまり支障がなかった。
しかし、近代家族は愛情によって始まる。
だから、愛情がなくなると、家族でいる必然性がない。
この映画は、近代家族の存立基盤を執拗に追いかける。

 徐々に歯車が狂いだした家族は、なかなか軌道修正できないが、何かのきっかけがあれば逸脱が露呈される。
この映画での、家族が互いを見つめ合うきっかけは、長男の心臓発作だが、どんなきっかけでも良い。
この映画では、口論が家族の気持ちを確認させ、フィルとペニーに初心へと戻らせた。
ハッピーエンドになっていたが、必ずしもハッピーエンドとは限らないだろう。

 近代に入る時、多くの人たちが没落したように、近代が終わる今、やはり階級移動が激しくおきている。
新たな時代に適応できない人たちは、容赦なく振り落とされていく。
イギリスの高い若年失業者を象徴して、ローリーも就職できないでいる。
イギリスはまだ遺産が豊かだから、若年者の非就労をのみこめる。
しかし、このまま若年層の無職が進めば、イギリスも社会保障が破綻してしまうだろう。
我が国もほとんど同じ状態にある。

 この映画で描かれる家族は貧しいかも知れないが、それでもイギリスは豊かである。
アジアではこの程度の家族は、病院に入れないかも知れない。
もちろんアジア諸国にも病院はあるが、貧乏人は安心して治療に専念できない。
社会福祉が貧しいから、全員が保険制度の恩恵を受けられるわけではない。
社会福祉は豊かな社会が成し遂げた最高の贅沢である。

 核家族の本質を見つめた厳しい映画である。
いささか年齢のいったイギリス人監督の、現実社会への屈折した愛情表現でもあり、彼自身の哲学の表明でもあろう。
そして家族再生の願望でもあろう。
しかし、核家族はその存立基盤を失いつつあり、監督がいくら望んでも、もう一度隆盛を誇ることはないだろう。
この映画の主張は、精神主義的なセンチメンタリズムでしかない。


 本質を見つめる映画は、ヨーロッパ諸国のものであり、アメリカの視線ではない。
アメリカの映画は、もはや核家族の本質を見つめてはおらず、新たな家族のあり方を指向している。
ヨーロッパ諸国も、情報社会化していくのは避けられないから、核家族を精神で維持することは不可能である。
真摯な良い映画だと思うが、現実を願望で描きすぎている。

 「秘密と嘘」を撮ったことで有名なこの監督は、まったく脚本を作らず、出演者たちと半年以上かけて討論しながら撮るらしい。
役者たちは舞台的な全身演技であり、やや堅い感じもするが、全員がそれなりに上手い演技である。
それにしても訛りがきつく、言葉のよく分からないところがあった。
原題は「All or Nothing」

2002年のイギリス映画

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