タクミシネマ         ゴスフォード・パーク

ゴスフォード・パーク     ロバート・アルトマン監督

 この映画は大勢の人物が登場する、アルトマン得意の群像劇である。
1932年のイギリスでの貴族の話。
ウィリアム・マッコードル卿(マイケル・ガンボン)と、シルヴィア夫人(クリスティン・スコット=トーマス)が所有するカントリー・ハウス=ゴスフォード・パークで、キジ打ちのパーティが開かれた。
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 招待客がロールスロイスに乗って、付き人等をつれて続々と到着する。
付き人たちは、ドレス、宝石、銃といった荷物を、指示に従って運び込む。
貴族たちの豪華な舞台の下は、メイドや付き人たちの質素な生活が支えている。
執事のジェニングス(アラン・ベイツ)は表と裏を取り持ち、メイド頭のミセス・ウィルソン(ヘレン・ミレン)が裏方を仕切っていた。

 メイドたちの日常は、いかにも庶民的な雑踏が支配し、陽気で且つ利己的な職人の世界が、繰り広げられていた。
第1次世界大戦の影響もあって、貴族たちの生活は逼迫し始めていた。
そのため、客たちの内心はさまざまで、ウィリアムの財産をあてにしている者も少なくなかった。
到着の日の晩餐会も終わり、翌日になるとキジ打ちが挙行された。


 メイドたちはそれぞれの主人や、お客の品定めやゴシップ話に余念がない。
また、貴族の相手をしている女性もおり、それがバレそうになったり、妊娠の心配をしたりと話は尽きない。
メイドのエルシー(エミリー・ワトソン)は、当主のウィリアムと肉体関係があった。
給仕をしている最中に、シルヴィア夫人がウィリアムを詰ったことから、ウィリアムを公然と弁護してしまう。
タブーを知ってしまった一同は、シーンと静まりかえる。

 怒ったウィリアムは、図書室にこもってしまうが、彼は何者かに殺されてしまう。
そこで刑事の登場となってくる。
本来はこの殺人をめぐるサスペンス映画なのだが、貴族の生活描写が長く続いてくるので、この映画は一体何を言いたいのだろうと思ってしまう。
その頃になって、やっと事件が起きるのは、少しタイミングが悪い。

 しかし、殺人事件が起きてからは、前半の伏線が良く生きてきて、モンティ・パイソンのようなタッチで話が進む。
結局、ウィリアムは多くのメイドたちに、手を出しまくったあげく出産させ、それを孤児院へと捨てていた。
その復讐の殺人だったというのが結末である。
サスペンス映画としては、やや緊張感に欠け、とりわけ前半の展開が長すぎる。

 犯人とされたメイド頭のミセス・ウィルソン(ヘレン・ミレン)と、料理人長のミセス・クロフト(アイリーン・アトキンス)が姉妹でありながら、両者は仲違いしている。
同じ主人に仕えながら、反目するのはあるとしても、終盤での展開へとつなげるのに無理がある。


 姉は生んだ私生児を、自分の手で育てようとして、結局は死なせてしまった。
妹は同じく私生児を、孤児院へと捨てたが、子供は生きている。
姉妹の反目原因は、子供にたいする違いからだったが、その子供が付き人のロバート(クライヴ・ オーウェン)として登場し、彼が父親ウィリアムに復讐するというのは、偶然に過ぎる。

 どこまでが本当で、どこからがフィクションかは判らないが、貴族生活の日常の描写といった面ではとても面白い。
表向きは裕福であっても、内情は火の車だったり、人格が悪かったりと、貴族も普通の人である。
むしろ特権を持っているだけに、始末に悪い。

 メイドに手を出していたウィリアムに対して、妻のシルヴィアも浮気をする。
貴族の結婚は愛情によるものではない。
結婚と愛情は別物である。
家さえ守れれば、男女ともに浮気は許されていた。
形式に生きる時代錯誤の貴族たちを、シニカルに描くのは、なかなかに見応えがある。

 アメリカ人映画プロデューサーを、招待客の1人に混ぜて、「鼻持ちならない連中」を観察させる。
『チャーリー・チャンのロンドンの冒険』と題した映画の構想は、「カントリー・ハウスで、夜中に殺人事件が起こり、全員が容疑者」というものだった。
映画そのままの事件を起こして、貴族たちを揶揄するが、この入れ子構造はもう少し上手く仕えたように思う。

 群像劇の名手アルトマンと言えども、登場人物が多すぎて、上手く処理し切れていない。
普通は主人公を設定し、主人公の目をとおして描くものだが、アルトマンは特別な主人公を設定しない。
しかも、貴族たちの生活と、メイドたちの裏方を両方見せたので、視点が定まらず焦点が絞れなくなってしまった。


 物語の前提としての貴族理解が、イギリス人ならぬアルトマンには肌合いの違いを感じる。
イギリス人ならメイドたちの人権など無視して、メイドたちをあたかも犬か動物のように描くだろうが、アメリカ人のアルトマンはメイドたちにも人権を認めてしまった。
貴族と庶民は、言葉では別種の生き物といっているが、貴族たちの肌から滲み出た、自然な差別といったものを感じない。

 メイドたちから見た貴族批判、もしくは貴族同士の確執なら話は判りやすい。
しかし、元来が別種の人間という世界に平等意識で乗り込んでも、話は見えないままである。
天皇が付き人たちに裸身をさらしても恥ずかしいとは思わないように、貴族たちはメイドたちを羞恥の対象とは考えていなかったはずだし、メイドたちは人間以外の生き物だったはずである。
階級のない社会に住むアメリカ人には、貴族というものが最後のところで判らないようだ。

 老練な俳優たちがたくさん登場して、それぞれに上手い演技を披露していた。
とくに、コンスタンス・トレンサム伯爵夫人を演じたマギー・スミスが上手かった。
アルトマンはすでに77歳になる。
いまだ破綻してはいないが、物語の構成に力がなくなっている。
現役を引退したほうが、良いのではないだろうか。

2001年アメリカ映画   

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