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戦争に勝った国が、みずからの価値を噛みしめ、何度でも確認する映画。 そんな感じにおそわれた。 民主主義、自由、信教・集会の自由、そうした価値を守るべく、アメリカの上質な人たちは、戦場へと赴いた。 それに対して、わが国の上質な人たちは、天皇中心主義と八紘一宇の価値を守るべく、戦場へと赴いた。 負けたから言うのではないが、わが国は敗れて本当に良かった。 もし天皇の軍隊が、第二次世界大戦で勝利していたら、わが国において自由や個人の自立は、今でもあり得なかった。
マッカーシー旋風が吹きあれた1950年代のアメリカ、ハリウッドには赤狩り嵐が襲っていた。 楽天的な脚本家のピーター(ジム・キャリー)は、共産主義者として審問会に召還される。 共産主義者でないにもかかわらず召還され、恋人にも逃げられてしまう。 納得できない彼は、酒に憂さを晴らそうとする。 その晩、彼は車を走らせて、川に転落し流されてしまった。 幸運なことに、小さな町ローソンの海辺に漂着したが、記憶がなくなっていた。 政治にまったく興味のなかったピーターだが、今では記憶自体がなくなっており、自分がどこの誰だかも判らない。 そんな時、ピーターを自分の息子ルークだ、という老人ハリー(マーティン・ランドー)が現れた。 戦争で行方不明になった息子が、帰ってきたと勘違いしたハリーは、大歓迎である。 小さな町であるローソンは、たくさんの兵士を出兵させ、しかも62人という大勢の若者を戦死させていた。 そこへルークの帰還である。町をあげて歓迎されたが、やがて現実が迫ってくる。 そのとき彼の記憶は戻り、現実に目覚める。 そして、司法当局と取り引きせよという、弁護士の指示に従うつもりになった。 しかし、ルークの恋人だったアデル(ローリー・ホールデン)の励ましにあって、彼は刑務所へ収監されるのを覚悟で、民主主義の原則を述べる。 それはアメリカの自由と独立をうたう、憲法の精神そのものだった。 記憶喪失という便利な状況設定だが、この映画では記憶喪失が逃げとして使われていない。 むしろ、記憶喪失であることによって生じた仮想の現象を、民主主義を確認する試金石として上手く使っている。 もしこうだったらという設定は、この映画ではとても有効である。 とりわけ9.11以降、アメリカは大政翼賛的になり、アメリカ政府批判を許さない空気がある。 それはソ連の後塵を拝していた冷戦初期の状況と同じであろう。 マッカーシー旋風は、アメリカがソ連に負けるかもしれないという、一種の恐怖心からおきたことである。 そこでアメリカの価値の確認である。 マッカーシー旋風を克服した後のアメリカは、超大国への道を進むのだが、その道は中央からの強権的なものではなかった。アメリカの発展は、自立した個人の自発的な努力によるものである。自由こそアメリカなのだ。それを振り返れば、個人の自由がいかに大切か、よくわかるはずだが、時として自由の賛美は放任ととらえられ、中央からの管理の必要性が叫ばれるときがある。決してそんなことはない。鈍く見えるかも知れないが、自由な個人の創意こそ社会を発展させるものである。 わが国では、個人的な自由の賛美は、支配者たちには評判が悪い。 それは政治的な支配者だけではない。親という支配者は、子供に自分と同じ自由を認めたがらない。 自由よりも強権的な管理が、社会を発展させると考えているようだ。 最後にピーターが、審問会で証言するシーンは、自由と民主主義の原則をのべて、ほんとうに涙がでた。 青臭いかも知れないが、民主主義の原則こそ、かけがえのないものである。 この映画は、自由と民主主義の賛美という主題が、じつにはっきりしている。 「ショーシャンクの空に」でも、この監督は個人的な自由を絶賛していたが、この映画でも自由の大切さを訴えている。 しかし、若干の危惧もある。 「グリーンマイル」と続く作品では、個人的ながんばりに訴えすぎるように感じる。 平時では誰でも自由が大切だというが、自由か監獄かといった選択を迫られるのは、いわば異常時である。 そのときになって、個人的ながんばりに期待するのは、いささか無理があるように思う。 天皇制やナチズムが明らかにしたように、人は誰でも狂信者になる。 賢い人でも、ある状況下では率先して、天皇を賛美してしまう。 戦争に負けた国の人間は、個人のがんばりには期待しないが、勝った国の人間は個人賛美になるのだろうか。 もちろん民主主義が、個人を支えとするからなのは理解するが、やはり戦勝国は楽天的になるのだろう。 毎度のことながら、アメリカは古いものをよく残している。 1950年代の車やファッションなど、男が男であり、女が女であった時代の雰囲気がよく伝わってきた。 いまでは男も女も、人間になってしまった。 ユニセックスの時代には、性的な臭いを振りまくことが、はばかられるようになった。 それはそれで良いことだと思うが、セクシーな女性たちの姿を懐かしく感じもする。 いまから50年も前の車を、惜しげもなく毀してしまう映画作りには、何とも言えない感情が残る。 しかし、よく見ると毀しているようだが、スクラップ状態にはしていなかった。 古いメルセデスを毀すのは、やはり内心ではハラハラしているのだろう。 コンクール・コンディションの車なのだから、現場ではさぞ神経を使ったに違いない。 記憶喪失の部分と、現実の部分では、ライティングをかえて、そられの違いをくっきりと映像化していた。 しかし、そうじて映像美には乏しく、ビジュアルを売り物にするタイプではない。 主題を前面に押しだしてくる作りである。 ピーターがルークの身代わりを引き受けてからは順調に進むが、前半が鈍くてややもたついている。 もっとテンポ良く展開しても良いはずである。 有名な俳優は、ジム・キャリーただ一人だが、それでも充分に楽しませてくれる。 演技・演出にはいささか物足りないところもあるが、主題がきちっとしているので、最後まで集中して見ることができる。 9.11以降のヒステリックな政治状況に、正面から原則を訴える映画である。 ストレートな主張に、無条件で星一つを献上する。 2002年のアメリカ映画 |
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