タクミシネマ        コラテラル・ダメージ

コラテラル・ダメージ    アンドリュー・デイビス監督

 コロンビアのゲリラ組織が、アメリカ国内で爆破テロを仕掛けた。
それに消防士ゴーディー(アーノルド・シュワルツェネッガー)の妻と子供が、まきこまれて死亡した。
政府は外交関係に配慮して、犯人逮捕に乗りださない。
そこで彼は単身で、その真相究明と報復に乗りだす。
タリバン掃討にのりだしたアメリカ軍の役割を、彼1人で実行するのである。
コラテラル・ダメージ 特別版 [DVD]
公式サイトから

 この映画は、2001年の秋に公開される予定だったが、9月11日にワールドトレード・センター爆破事件が起こり、あまりにも似ている展開なので、公開が見送られていた。
たしかにコロンビアとアフガニスタンの違いはあれ、話は実によく似ている。
飛行機の激突がないだけだ。

 コロンビアのゲリラ基地に、単身で乗り込んだゴーディーは、ゲリラの首領ウルフ(クリフ・カーティス)の妻セリーナ(フランチェスカ・ネリー)を救助することによって、相互理解ができたと勘違いする。
セリーナは次のテロをゴーディーに告白し、彼はテロの幇助者に仕立て上げられる。
お人好しの彼は、それを防ぐためにセリーナとワシントンヘと向かう。

 彼女はテロ活動に嫌気がさし、ゲリラを裏切ってアメリカに身売りしたかに見えたが、じつは巧妙に仕組まれた芝居だった。
ワシントンへ着くと、彼女はしおらしくしている。
それは第一爆破の工作だったし、より大規模な爆破の陽動作戦だった。
ゴーディーがそれを辛くも見破り、爆破寸前でくいとめるという展開はおきまりのものだが、娯楽映画としては良くできている。

 単身でゲリラ基地へ乗りこんでの大活躍は、奇想天外の展開だが、この映画の主眼はそこにはないのだから、それには目をつぶる。
それに娯東映画としては、この程度のはちゃめちゃは許されるだろう。
ただ、ミスを犯したゲリラの組織員を処刑するのに、毒蛇を飲み込ませる方法を見せるが、ああした残酷シーンはかえって信憑性を失わせる。


 アメリカからの宣伝映画とすれば、ゲリラを悪者に措きたいだろうが、正義のアメリカ対悪者のゲリラという構図では説得力がない。
たしかにゲリラの資金源が麻薬だとしても、その消費地は他ならぬアメリカであり、ゲリラを支えているのはアメリカだとすら言える。
ゲリラというが、彼らは民族独立の闘士でもあり、独立すれば一国の行政官である。

 ゲリラの犯行宣言にも、独立を誓うといわせている。
政治闘争は単なる物取りではない。
政治闘争とは、確信犯と確信犯のぶつかり合いである。
正義と正義の衝突だから、かんたんにゴーディーを信頼して、テロを止めることなどあり得ない。
そうした意味では、妻セリーナの裏切り偽装は、実に説得力があった。

 「ソードフィッシュ」のときは、アメリカでものが見えている人たちは、国際情勢を理解しているのかと驚いた。
しかし、この映画を見た後では、9.11はアメリカ政府によって黙認されていた、という意見に信憑性を感じ始めた。
田中宇氏らによれば、アメリカ政府はワールドトレード・センターヘのテロを事前こ察知していたが、タリバン攻撃の正当性を入手するために、彼らの攻撃を黙認したという。

 太平洋戦争のときも、アメリカは真珠湾攻撃を事前に知りながら、参戦の正当性やアメリカ国民の士気高揚をねらって、日本軍の攻撃を黙認したという説がある。
今回も皮を切らせて骨を断つための、囮として黙認されたのが、9.11だったというわけである。
その証拠として、さまざまなものがあげられているが、当初それは信じられなかった。
しかし、この映画を見ると、あまりにも正確に予測されすぎている。


 製作者たちが時代の空気を読んで、この映画をつくったと考えるのは、ちょっと政治にウブすぎるように思う。
ベトナム戦争から、すでに長い時間がたった。
湾岸戦争こそあったが、他に大きな紛争は起きていない。
冷戦の終結で、アメリカ軍は規模縮小に向かっている。
軍や国防組織それに軍需産業が、自分たちの存亡に危機感を抱いたとしても、なんら不思議ではない。
どんな組織も自己保身が働くものだ。

 9.11がアメリカ政府の予想に反して、ピルの倒壊というあまりに大規模な被害になってしまったこと。
映画製作者たちの予測よりも先に事件が起きてしまい、公開には悪い時期になったことなど、いくつかの予定外が発生しただろう。
しかし、基本的な現状としては、テロを囮として利用した可能性は否定できない。
とりわけ今までユダヤ人から距離をとっていた共和党が、ユダヤ人よりになってきたことは、不気味なものを想像させる。

 イスラエルを支持するがゆえの反アメリカはあっても、かつてアメリカは、イスラム諸国とそれほど不仲ではなかった。
アメリカのアラブ使い捨てが、反発を招いたというのが実情だろう。
冷戦の時には、対ソ連への防波堤としてアラブの小国を使って、冷戦が終わったから援助をうち切るのでは、身勝手と受け取られても仕方ない。


 国際政治にアメリカは、実にウブだと思う。
アメリカは裕福になって、国内的には民主主義が実現した。
近代は個人に自立を強い、自立は孤独をもたらす。
アメリカ人はそれには耐えうる。国内的には、近代の心性を獲得した。
しかし、国際政治は相変わらず、前近代とのやりとりである。
国際政治とは力のやりとりであって、正義のやりとりではない。
アメリカ人は民主主義という唯一の正義が世界中で通用する、と思っているかのようだ。

 1人の命は地球より重いのは事実だが、それは近代の思想であり、前近代ではそうではなかった。
人間も自然の一部であり、神の支配する自然のほうが、はるかに重かった。
今アメリカが闘う相手は、神の生きている前近代の国だ。
ドラマチックな救出劇には、アメリカ人はいくらでもお金をだす。
アメリカ人はヨーロッパ人のようには、人種差別をしない。
どんな国の人間でも、命の重さは同じだと考えている。
そうした意味では、きわめて平等思考の強い近代人である。

 しかし、この近代人であることが、前近代社会と摩擦を起こす。
アメリカがアメリカの信じるものに、忠実であればあるほど、神を信じる途上国とはうまくいかない。
ましてや情報社会という後近代へと、アメリカだけが進んでいく。
人権といった理念は、前近代人には判らない。
中国にしろわが国にしろ、人権を大切にしないと、アメリカと上手くやれないから人権を大切にしているだけだ。

 神から自立した近代人は、自分の生き方を自分で決めなければならない。
自立とは孤独である。
孤独な近代人は、前近代から見ると、神の仕事を奪っているのだ。
近代人は神の領域に生きるから、尊大で傲慢にみえる。
前近代人には、近代人の孤独は理解できない。
アメリカは今後、神を信じる途上国と摩擦の連続だろう。
善意あふれる近代人たるアメリカは、好意をもって途上国に対応するに違いない。
しかし、好意ある対応それ自体が、摩擦のもとになっていく。

 冷戦が続いていた時代には、アメリカが西側世界の警察官だったが、いまや世界を二分する冷戦はない。
世界の警察官は不要である。
アメリカが今までのように、世界の秩序維持に邁進すると、アメリカは孤立していくに違いない。
アメリカは自国の領土へと、徐々に収まっていくしかないだろう。

 神の支配にプロテストしてしまったアメリカは、永遠の青春を生きなければならない。
近代人というアダルト・チャイルドは老成しないから、国際政治を操るのは下手である。
アダルト・チャイルドのアメリカ人では、「クワトロ・ディアス」のような強かな政治映画は作れない。
テロとはテロを行うのが正しいという、政治的な信念の行為であるだけに、この映画はアメリカの困難さを、いやでも浮き彫りにしている。

 蛇足ながら気になったのは、多くの場所にテレビカメラが設置されており、24時間体制でモニターされていることだ。
わが国でも新宿の歌舞伎町には、テレビカメラが設置されたと報じられたが、情報社会とは個人の行動が監視され、プライバシーが権力によって侵される社会でもあるのだろうか。

2001年のアメリカ映画   

TAKUMI シネマ>のおすすめ映画
2009年−私の中のあなたフロスト/ニクソン
2008年−ダーク ナイトバンテージ・ポイント
2007年−告発のときそれでもボクはやってない
2006年−家族の誕生V フォー・ヴァンデッタ
2005年−シリアナ
2004年−アイ、 ロボットヴェラ・ドレイクミリオンダラー ベイビィ
2003年−オールド・ボーイ16歳の合衆国
2002年−エデンより彼方にシカゴしあわせな孤独ホワイト オランダーフォーン・ブース
      マイノリティ リポート
2001年−ゴースト ワールド少林サッカー
2000年−アメリカン サイコ鬼が来た!ガールファイトクイルズ
1999年−アメリカン ビューティ暗い日曜日ツインフォールズアイダホファイト クラブ
      マトリックスマルコヴィッチの穴
1998年−イフ オンリーイースト・ウエストザ トゥルーマン ショーハピネス
1997年−オープン ユア アイズグッド ウィル ハンティングクワトロ ディアス
      チェイシング エイミーフェイクヘンリー・フールラリー フリント
1996年−この森で、天使はバスを降りたジャックバードケージもののけ姫
1995年以前−ゲット ショーティシャインセヴントントンの夏休みミュート ウィットネス
      リーヴィング ラスヴェガス

「タクミ シネマ」のトップに戻る