タクミシネマ        A2

 A 2   森達也監督

 日本のドキュメンタリー映画に、星一つを献上する。
わが国の映画が、低迷しているといわれて久しい。
一部の人はヨーロッパでは評価されているというが、私はカンヌという後進地域の映画祭での受賞を評価しない。
その理由は、「Eureka」などの評論であきらかだろう。

 この映画はきちんとした主張と、現実に肉薄する姿勢をもって撮影されている。
この映画の主題は、フィクションではないだけに、困難だったろうと想像する。
1999年に「A」が撮られた。
「A」とは、オウム真理教のその後を追ったもので、この作品はその続編である。
マスコミは警察発表に追随し、こぞってオウム報道を歪曲している。
しかし、この監督は現実に迫ろうとしている。
そして、オウム事件をとおして、わが国を考えているのがよく伝わってくる。

A2 [DVD]
公式サイトから

 日本中をあげてオウムバッシングが続くなか、オウム信者はまだ数百人単位でいる。
1995年のサリン事件以来、オウムは危険集団と烙印を押されて、どこへいっても爪弾きにあっている。
住民票が受領されず、オウム信者は居住の自由すら奪われている。
最近では、大学の入学試験に受かっていながら、オウム信者だという理由で、入学が取り消しになっている。
わが国には信教の自由はない。

 この監督は、もちろんサリン事件を認めているわけではない。
多くの人を殺し、今でも後遺症を残した事件の当事者を、決して許してはいない。
しかし、警察を初めとする国家や地域住民の反応は、あまりにも奇妙なものだ。
やくざや右翼といった暴力集団は、警察や地域と共存しながら、なぜオウムだけをこれほど目の敵にするのだろうか。
そこにはわが国の宗教、ひいては思想に関する奇形が現出している、と監督は考える。

 各地に残るオウム信者の生活拠点や、修行の場にヴィデオ・カメラを持ち込み、ていねいに事実を腑分けしている。
ある場所では、地域住民と仲良くなったりもしている様子が、スクリーンに映しだされる。
マスコミには決して登場しないシーンだが、地域住民と仲良くなっても、問題はまったく見えてこない。
信仰とは地域住民と和解するか否かではない。
むしろ、いまだに修行をつづける信者たちの姿に、ある種の感動を覚えた。


 政治と宗教といった違いはあるが、信念に生きるのは過激派学生も同じだった。
過激派学生は、今や完全に牙を抜かれて無害になって、社会の片隅へとしまいこまれてしまった。
おそらくオウムも、現在では反社会的な行動をする力はなく、無害な集団になっているだろう。
しかし、宗教は政治以上に過激である。
信じる構造は、政治も同じでありながら、宗教には内面に入り込む要素が強い。

 至上の価値を内にもった人は、現世の価値に頭を下げない。
剣道に励むあるクリスチャンは、天照大神と香取神宮の床の間に、黙祷を捧げなかった。
キリストがローマ人たちから処刑されたように、信仰が根底的になれば、現世の秩序と衝突するのは不可避である。
それは戦前の天理教や、天草のキリシタンたちを見れば、簡単に了解できる。

 今日の刑法は、人間の内心まで踏み込めない。
戦前は天皇蔑視の思想をもっただけで、不敬罪が適用されたが、今日ではそれはありえない。
しかし、権力は自分の支配下にいる人間を、完全に統御したいらしい。
オウムに表れる信の構造を何とか毀したいようだ。
権力は、一般の地域住民をも巻き込んで、大きな住民運動をつくっていく。
オウムが行く先々の地域で、オウム対策協議会ができ、数百人単位の住民がオウム反対運動に立ち上がる。

 オウム反対の抗議活動が、この映画には延々と登場する。
それはあるとき地域住民だったり、右翼だったりする。
この映画を見ていると、支配権力とは支配されるほうがつくる、と思えて仕方ない。
とりわけ現在の支配構造は、まがりなりにも選挙制度のうえに成り立っている。
ナチが大衆に支持されて政権を執ったように、現在の支配は大衆が支えている。
いつの世でも、良識ある庶民が異分子を排除して、時の支配体制を守るのである。


 信仰の自由とは、近代が保証する自由権の一つである。
信仰とは信条の自由でもあり、思想が近代を切り開いたので、思想信条の自由を奪うことは近代を否定することである。
近代を否定するとは、住民自治の否定であり、現政権が自分で自分の首を絞めることを意味する。
松本氏にサリンをまけといわれれば、オウムの信者たちは、今でもサリンをまくだろう。
しかし、それは可能性であって、現実的な事実ではない。

 可能性を取り締まるとは、思想を取り締まることに他ならず、それは近代の否定である。
オウムは過激派と同様に、工業社会から情報社会への転換点に表れた集団であり、今後の思想・信条がどのように持続されるのかの表象である。
オウムに疑問を持ちながらも、この監督はぎりぎりと迫っていく。
もちろん結論はだしていないが、わが国の思想・信条の状況をよく表していた。

 今後、ほぼ全盲の松本氏が、どのようにオウムを組織していったかが、障害者の問題としても解明されるだろう。
目の見えない障害者が、社会的な力を獲得した一つの方法には違いなかったのだから。
教義や信の構造が、反社会性へとたどり着いたとき、支配者は信すらも許さない。
この映画は現実によく迫っていた。

2001年の日本映画   

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