タクミシネマ        ぼくの神さま

ぼくの神さま   ユレク・ボガエヴィッチ監督 

 第二次世界大戦中の1942年、ナチ占領下のポーランドでの話である。
ユダヤ人だった両親は、このままでは親子3人ともが殺されてしまうと、息子のロメック(ハーレイ・ジョエル・オスメント)を田舎に疎開させることにする。
小学校低学年くらいの彼は、ジャガイモ袋に隠されて街を脱出し、1人で田舎の村にやってくる。
しかし、そこもポーランドである。
ナチの手が伸びており、厳しい生活が待っていた。
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劇場パンフレットから

 ロメックを預かった農夫グニチオ(オラフ・ルバスゼンコ)には、妻エラと2人の息子がいた。
長男ヴラデック(リチャード・バーネル)とその弟のトロ(リアム・ヘス)だ。
長男のヴラデックは最初、ロメックに高圧的な態度を取るが、弟のトロは好意的だった。
ユダヤ人であるロメックは、カソリックの教会にはいったことがない。
しかし、父親はこのときのために、ロメックにカソリックの祈りを教えていた。

 田舎の教会は、村のすべてを知っている。
神父はいわば生活の中心人物である。
彼が教会に行くと、神父(ウィレム・デフォー)はロメックがユダヤ人だと知っていたが、カソリックに偽装することを黙認した。
陰ながらもロメックを守る人たちと、直接的な利益を欲する人たちの間で、村の日々は揺れ動いていく。
ナチは豚の飼育を禁じているが、豚の密売に絡んで、グニチオも殺されてしまう。


 唯一の女友達マリアをふくめた子供たちの日々は、懐かしい青春のにおいをかもしている。
しかし、暗い面もある。
アウシュビッツへと向かう列車が、この村の付近で徐行するので、何人かのユダヤ人たちが飛び降りる。
その人たちから追いはぎをやるのが、この村の子供たちだった。
ナチに見つかったロメックは、ユダヤ人相手に追いはぎを演じて見せる。
強制されたとはいえ、仲間を裏切って彼は生き延びる。
これは恐ろしいシーンだった。

 戦争が終わって、ロメックは命が助かる。
彼の回顧で映画は終わるが、この映画は何を言いたかったのだろう。
ナチにユダヤ人が迫害されたことが、もっとも主張したかった話だろう。
ポーランドもナチに荷担してしまったと、言いたいのかもしれない。
しかし、この映画を見ただけでは、ユダヤ人というのは宣伝上手だと言われかねない。

 カソリックだってナチに協力したにもかかわらず、この映画では神父がロメックをかくまっている。
元来がユダヤ教とカソリックは兄弟だから、2つの宗派は馴染みが良い。
ユダヤ教は、戦争中のカソリックの行動を批判せず、懐柔戦術に出ているのではないか。
ところでこの映画では、カソリックのように見えたが、ポーランドはギリシャ正教だったのではないだろうか。
いずれにせよ、ユダヤ人たちの迫害が主題であることは、間違いない。


 ナチに迫害されたのは、ユダヤ人だけではない。
ジプシーだって、ゲイだって、精神病者だって、たくさん殺された。
しかし、ジプシー迫害の映画は少ない。
もちろん、自分たちの存在は、自分たちで守るのが、世界のならいである。
ユダヤ人たちは、自己存在がかかっているので、必然的に宣伝上手になったのだろう。
それは責められることではない。
ユダヤ資本と騒がれるが、多くのユダヤ人はまだ貧しいのだから。

 映画としてみると、どうもよくわからない。
どんな監督でも、何らかの主張があるはずだ。
スクリーンを通じて、主張を訴えるはずである。
しかし、この映画に関しては、ユダヤ人の宣伝以外に、何も感じられなかった。
弟のトロが自分をキリストになぞらえ、アウシュビッツ行きの列車に乗ってしまうのも不可解で、むしろ偶然のように見えた。
トロを演じたリアム・ヘスは、天才子役といわれるハーレイ・ジョエル・オスメントをしのいで、抜群の演技だった。
無言の表情に万感がこもっており、とても子供の演技とは思えなかった。


 美しい田舎の風景が繰り広げられるが、風景に反して田舎の人たちは心が汚い。
ユダヤ人への追いはぎ、マリアの強姦、力のある者への追従などなど、むしろ田舎こそ人間の弱みをさらけだす。
田舎は小さな社会だから、利害が直接的に対立する。
清く正しい者ではなく、力の強い者が主導権を持ちやすい。
都会人は冷たく見えるかもしれないが、多くの人が生活のルールを守る。

 ナチは近代が生みだしたものだが、前近代もまた非人間的だった。
むしろナチは近代の鬼っ子と言えるが、田舎の非人間性は、前近代に普遍的な特徴である。
この映画では、ロメックを預かった農夫のグニチオが、超人的な正義感ぶりを発揮する。
しかし、ああした例は希である。
妻エラのよがり声を何度も聞かせて、この監督は夫婦愛を強調するが、愛によって結びついた夫婦という設定は恣意的で、田舎的ではない。
グニチオの行動は近代人のものであり、田舎の人の行動ではない。

 今日では夫婦愛は普遍視されているから、こうした設定でも違和感をもたれない。
しかし、夫婦愛は近代のものであり、決して普遍的なものではない。
中心になった人物だけを近代人化させ、無前提的に田舎の環境にはめ込むのは、宣伝映画と言われても仕方ないだろう。
この映画の主張が見えないだけに、不思議な感じが残った。
カソリック教会が協賛していたが、ユダヤとカソリックの宣伝映画であろう。

2001年のポーランド・アメリカ映画    

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