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76歳になったロバート・アルトマン監督は、元気な女性の跳梁跋扈にとうとう切れてしまったようだ。 フェミニズムは決して女性一般の運動として始まったわけではなく、中流階級の専業主婦が自らを解放するものだった。 そして、フェミニズムは中流階級の女性を元気づけた。 この映画に登場する女性たちは、すべて中流階級以上の人たちである。 しかも、場所はダラスの産婦人科という設定である。 当然のこととして、ここの客は裕福な女性たちである。 フェミニズムは裕福な女性たちに恩恵を与えた経緯を、彼はよくわかっている。 それが判らないのは、わが国の大学フェミニズムだろう。
ドクターTの身辺におきることを、監督の目をとおして描いた映画である。 主人公はトラビスではあるが、主題は女性たちの生態観察である。 女性たちは自由になった。元気に自立し始めた。 しかし、自由は混沌をもたらす。 既婚の裕福な女性たちは、時間を持て余している。 それが望ましいことばかりではない。 トラビスは経済的にも何不自由なく、愛する妻ケイト(フォア・フォーセット)と長女のディディ(ケイト・ハドソン)、次女のコニー(タラ・リード)と、二人の女の子に恵まれていた。 その彼の奥さんが、突然に精神に異常をきたした。 精神科医の診断は、ヘスティア・コンプレックスである。 この病気が面白い。 夫から愛され、家庭的にも満たされすぎた結果、前向きに生きる気力を失い、子供時代に返るのだという。 専業主婦のイライラが、子供へとかえっていくことによって、イライラを昇華する。 そんな精神病である。 もちろん、これはアルトマン特有の皮肉であろう。 姦しい女性たちに投げかけた新たな病名である。 女性たちの生態が実によく観察されている。 ケイトの妹ペギー(ローラ・ダーン)は、日常生活はできるが、軽いアルコール依存症である。 産婦人科の受付で生じるドタバタ劇、女の子たちのちょっとずるい生き方、いわゆる女子供の云々といわれる姦しさを誇張してみせる。 こうした混沌に彼は疲れ果てた。 それは事実だが、元気な女性を否定しているわけではない。 むしろ愛すべき稚気として眺めていた。 しかし、それが彼の手におえなくなってきたのが、この映画の展開である。 そこへプロゴルファーのブリー(ヘレン・ハント)が登場する。 彼女はゴルファーとして自分で稼いでおり、実にクールでしかも、自立的でセクシーである。 トラビスが出会ったそれまでの女性たちとは、まったく違った種類の女性である。 彼はたちまち舞い上がる。 長女ディディの結婚式では、花嫁であるディディが、ゲイであることを証明して、結婚式から逃亡した。 彼はすっかり落ち込み、ブリーに頼っていく。 すでに一夜をともにしている彼は、ブリーが自分の期待にこたえてくれると、一人合点していた。 彼女には彼女の人生がある。女性も男性相手にちょっとした火遊びを楽しむ、そんなこともありうる。 トラビスはモテまくってきたがゆえに、そうした女性の自立心がわからなかった。 養ってあげる、すべて面倒を見るから、一緒に逃げようといって迫ると、簡単に袖にされてしまった。 彼は遊ばれただけだったのだ。 主人公のトラビスをはじめ、仲間の男性たちも幼稚な人間たちだ。 アルトマンは姦しい女性だけではなく、旧態依然とした男性たちにも、皮肉な目を向ける。 女性たちがなかなか自立できないのと同様に、その相方である男性だって古いままだ。 決して女性だけが遅れているわけではない。 むしろ女性にはブリーのようなタイプが誕生している。 男性にはブリーのような人間はまだいない。 男性たちの社会は、上手くいってきただけに、変わっている現状がなかなか把握できない。 しかし、アルトマンは男性である。 女性たちの姦しさに音を上げて、彼=トラビスは逃げた。 アルトマンはトラビスを竜巻に巻き込ませる。 そして、竜巻から落ちた先は、マッチョで有名なメキシコの小さな村である。 ここでは1人の女性がお産の真っ最中だった。 生まれてきた子供は男の子だった。 トラビスは嬉しそうに、男の子だといって赤ちゃんをかざす。 ここで映画は終わるのだが、男女の関係が混沌としている現状に、監督は皮肉をまじえながらも温かい目を注いでいる。 自立とはきわめて困難な作業である。 近代の入り口で男性は神や父を殺して自立したが、その後始末に男性たちは何年かかっただろうか。 ヒューマニズムという人間中心主義が確立されたとはいえ、神からの自立はいまだ周知とはなっていない。 先行した男性だって未だに暗中模索しているのだ。 自立した人間の理想像などありはしない。 理想像を探して一生にわたって旅をする、それが近代人たる男性の人生になってしまった。 女性たちだって今後、自らの行き方を探しつづけなければならない。 青い鳥はすぐ近くにいるかもしれないが、なにが青い鳥だかわからない。 姦しさを生きることそれ自体が、青い鳥を探す旅なのだ。 自立するのは疲れる、しかし、自立しようとする人間たちにこそ、未来はある。 この映画はそういっているようだ。 2001年のアメリカ映画 |
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