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アメリカの麻薬取締り警察が、おとり捜査官のチャーリー(リーアム・ニーソン)をギャングの組織に潜入させた。 一度は無事に勤めをはたしてきたが、仲間の死から、彼は臆病風に取り付かれてしまった。 しかし彼の仕事は、おとり捜査官である。 臆病風をおして、しかたなしに再度の潜入を試みる。 そんな映画が何本か公開された。 この映画も、設定としてはおもしろいはずである。 しかも、もう一ひねりしてある。 ギャングの若頭を演じたフルビオ(オリバー・プラット)が実は小心者で、気の弱さを隠すために、残酷な振る舞いをするというのもおもしろい。 彼はギャングの親分の娘婿で、ドジで無口な彼は奥さんにも頭が上がらない。 彼の望みは、田舎でトマト栽培をしながらのんびり暮らすことだった。 <○○らしくある>ことが、前近代ではあるべき姿であり、その立場を演じることが要求された。 裸の個人の人格ではなく、立場としての人間が評価の対象だった。 工業社会になっても、そうした風潮は生き残っている。 だから、頼りない社長とか非力なヤクザというのは、さいしょから語彙矛盾である。 ○○らしい立派な人というのは、まだまだ一目置かれる存在である。 こうした映画の登場は、そうした立場での発想が、やっと崩れてきたことを意味するのだろう。 疑い深いフルビオの心をがっちりとつかみ、臆病風に吹かれながらもチャーリーは仕事をする。 仕事の時は、不思議と臆病風がでてこない。 恐怖と違って臆病というのは、外見では何もかわりがない。 神経性の下痢が頻発するというのも、切迫感に乏しい。 神経を静めるために、薬に頼るのも当然理解できるが、薬を飲むだけでは臆病さは伝わらない。 チャーリーは怖い怖いといいながら、その恐さが伝わってこない。 臆病風の演出が難しかった。 そのグループが、最後にどんでん返しをおこすのだが、そのあたりのつながりがちょっと不自然だった。 また、浣腸を受けに病院へいき、看護婦と仲良くなる。 看護婦のジュディ(サンドラ・ブロック)は、なぜかチャーリーに好感をもち、たちまち二人は恋仲になる。 ここらあたりも、そんなに簡単にいくかな、という感じがする。 なぜ彼女がチャーリーに好感を持つかが伝わってこない。 どんなに奇想天外でも、自然と納得させられてしまう展開もあれば、ちょっとのことでも不自然と感じさせるのもある。 話の進め方のディテールともいうべき部分は、どこがどうといったものではなく、監督の文体的な力量といったものなのだろう。 フルビオの性格設定、コロンビア・ヤクザの人間描写など、この映画はおもしろい要素をたくさんもっている。 それをうまく生かし切れておらず、低調なままに終わってしまった。 この映画は、サンドラ・ブロックがプロデュースしている。 女性のプロデュースになる映画も作られはじめている。原題は「Gun shy」 2000年のアメリカ映画 |
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