タクミシネマ        トラフィック

トラフィック     スティーブン・ソダーバーグ監督

 メキシコからアメリカに密輸される麻薬の流れ、それをトラフィックと呼ぶらしい。
すでに大きな流れとなっているからだろう。
摘発されるのはほんの少しで、密輸関係者は当局の捜査を無駄な抵抗だと感じている。
それでも、麻薬の蔓延に心を痛める人はいる。
そして、必死で摘発する捜査官もいる。
この映画は麻薬摘発の話に、麻薬捜査の最高司令官ロバート(マイケル・ダグラス)の娘キャロライン(エリカ・クリステンセン)が、麻薬に溺れていくのを絡めている。

 メキシコの砂漠のなかで、麻薬をつんだトラックがハビエル(ベニチオ・デル・トロ)とマノーロ(ヤコブ・バーガス)の2人の刑事によって摘発されるところから、この映画は始まる。
警察へ連行するのかと思いきや、メキシコのサラサール将軍(トーマス・ミリアン)が、多くの兵士とともに登場する。

トラフィック [DVD]
 
劇場パンフレットから

 後は任せろとばかりに、彼は犯人と押収した麻薬まで持ち去ってしまう。
もちろん、この将軍が胡散臭いことはすぐに判る。
メキシコ側は官憲も麻薬の密輸に汚染されている、というのは簡単に了解できるが、映画としては誰が悪者だか判らないようにして欲しかった。
謎解き映画ではないが、これでは平板に過ぎる。

 メキシコはブラジルとならんで、近代化に成功すると見られたときもあった。
しかし、近代化へと離陸したのは、東アジアと東南アジアだけで、メキシコもブラジルも近代化できなかった。
近代化しないままで、為政者に近代的な兵器や大金が与えられると、その顛末は決まっている。
為政者のあいだで贈収賄がとびかい、汚職によって私腹を肥やす。
どこの国でも、同じパターンへとはまる。
それには当然の理由がある。


 近代化しないとは、個人が確立していないことだから、前近代には公と私の区別がない。
だから、お殿様のお金はすべてお殿様のものであり、公金と私金の区別もない。
前近代では地位にまつわるものと、個人にまつわるものが分離していない。
そして、賄賂は社会の潤滑油であって、悪いものとはされていない。

 世界全体が前近代だった時代には、贈収賄による利潤もそれほど大きくはなかった。
潤滑油が、本体を喰うまでには至らなかった。
しかし、先進諸国と国境を接すると、事情はまったく違う。
先進国での利益が、そのまま前近代の国へと流れる。
為替の違いもあって、とてつもない利益を生むのだ。
前近代的な資質のままでは、国家さえ特定の人たちに独占されかねない。

 1970年頃の話、メキシコの大統領をやって蓄財できないのは、無能だといわれたのである。
そして、下級官僚や警察官の給料が低いことも手伝って、役人たちは公然と賄賂を取った。
たとえば、駐車禁止の反則切符を切られたら、その場で警官に五ペソ支払う。
それで終わりである。

 この映画でも、メキシコの警官であるハビエルの給料が、318ドルだという話がでてくる。
物価が安いので生活はできるだろうが、決して裕福ではない。
隣の国アメリカの10分の1で、工業製品など買えないに決まっている。
そこで多くの警察官たちは、庶民からおこぼれをいただくことになる。
先進国ではいかなる賄賂も悪だと見るが、前近代的な国では賄賂は悪ではない。
賄賂を取って融通を利かせる役人は、堅物の役人より有能なのが通例である。
こうした構造は、世界中で見ることができる。

 貧しくても正義感にもえる人物はいる。
この映画では、ハビエルがそうだった。
彼は貧困が子供の希望をうばい、子供を転落させると心を痛め、子供の生活環境を変えたいと念願している。
最初こそサラサール将軍にとりこまれるが、やがて汚職の構造を知って、彼はアメリカ側に協力する。
メキシコとアメリカの国境で、摘発される麻薬の密輸は、40%だという。
映画だから最後には、麻薬組織はつぶされるが、暗澹たる感慨に襲われる。
需要がある限り、麻薬は根絶やしにできない。


 アメリカ映画だから、アメリカがいかに麻薬撲滅に力を入れているかを描いているが、麻薬捜査の最高司令官の娘が麻薬の常習者となっていく。
16才のキャロラインは、学業成績も優秀、体育にも優れている。
その彼女が麻薬へと走っていく。
いかにアメリカの麻薬汚染が、凄まじいかを描いたつもりだろうが、彼女の麻薬への動機付けをもう少し丁寧に描いて欲しかった。
麻薬は、生産者のほうの問題ではなく、消費者のほうの問題であり、経済の歪みがもたらしたものだ、という見解もかたられるが、どうにも力が弱い。

 麻薬それ自体は、個人が自分で使うものであり、他人への危害は与えない。
だから、自己決定権のなかに含まれてしまい、売春などと同様に犯罪だといいにくい。
オランダではマリファナは合法化された。南米のインディオなどのように、コカを合法的に常用している人たちもいる。
煙草は弱けれど、明らかに麻薬と同質のものである。
麻薬に免疫のない先進国では、麻薬を使い慣れていないから、身体に重大な害を与えるまで麻薬に溺れてしまう。
とくに若い人は、溺れやすい。

 麻薬を主題にした映画は単調になりやすい。
多くの映画は、麻薬は悪としてその撲滅を描き、麻薬からの立ち直りに言及する。
しかし、麻薬をやっている人間が悪いわけではないから、「バスケットボール・ダイアリー」などが典型だが、中毒からの立ち直りを肯定的に描く。
悪い麻薬と正しい更正がパターン化しやすく、このあたりが滑らかな物語にしにくい。
この映画でも、キャサリンが麻薬から立ち直るが、なぜ立ち直れたかの説得力は弱い。

 この映画は、細かい部分を少しずつ積み重ねて、徐々に物語を大きく構成していく。
その手法は、観客に大きな話の始まりを予測させる。
三つの話が同時進行し、膨大な人数の人が登場する。
大きな物語をまとめる監督の力量は認めるが、麻薬犯罪捜査と麻薬に溺れる家族の二つに分裂し、ややまとまりを欠くものになっていたのも事実である。

 セピア調の画面で表現されるメキシコと、普通のカラーのアメリカ側が、交互に画面に登場する。
貧困をあらわすセピアかもしれないが、普通のカラーでも充分に伝わる。
むしろ、アメリカとメキシコの表現を変えることは、何やらその間に表現者の意図の違いを感じてしまう。
一種の差別になりかねない。
セピア調のメキシコ側は、ハンドカメラで撮影されていたが、画面がぶれて見にくかった。

 最後に、ロバートが記者の前で、麻薬撲滅の演説をしようとする。
しかし、きれいごとになると感じた彼は、演説の途中でホワイトハウスを抜けだし、子供のもとへと向かう。
そして、麻薬更正施設にいるキャサリンの話を聞くところで映画は終わる。
公務放棄などあり得ないかもしれないが、これは国家の重大事より、子供への愛情のほうが大切だというメッセージだろう。
このエンディングは理解するが、すべて個が優先するという大変な時代になっていることも、このエンディングはあらわしている。
こちらへ振るのは簡単だが、そう簡単に結論づけて良いのだろうか。

2000年アメリカ映画

TAKUMI シネマ>のおすすめ映画
2009年−私の中のあなたフロスト/ニクソン
2008年−ダーク ナイトバンテージ・ポイント
2007年−告発のときそれでもボクはやってない
2006年−家族の誕生V フォー・ヴァンデッタ
2005年−シリアナ
2004年−アイ、 ロボットヴェラ・ドレイクミリオンダラー ベイビィ
2003年−オールド・ボーイ16歳の合衆国
2002年−エデンより彼方にシカゴしあわせな孤独ホワイト オランダーフォーン・ブース
      マイノリティ リポート
2001年−ゴースト ワールド少林サッカー
2000年−アメリカン サイコ鬼が来た!ガールファイトクイルズ
1999年−アメリカン ビューティ暗い日曜日ツインフォールズアイダホファイト クラブ
      マトリックスマルコヴィッチの穴
1998年−イフ オンリーイースト・ウエストザ トゥルーマン ショーハピネス
1997年−オープン ユア アイズグッド ウィル ハンティングクワトロ ディアス
      チェイシング エイミーフェイクヘンリー・フールラリー フリント
1996年−この森で、天使はバスを降りたジャックバードケージもののけ姫
1995年以前−ゲット ショーティシャインセヴントントンの夏休みミュート ウィットネス
      リーヴィング ラスヴェガス

「タクミ シネマ」のトップに戻る