タクミシネマ            スターリングラード

スターリングラード   
  ジャン=ジャック・アノー監督

 第二次世界大戦、独ソ戦の帰趨を決めたといわれるスターリングラードでの攻防。
ナチ・ドイツの攻撃により、街はすでに廃墟と化している。
しかし、ソ連軍はスターリンの名前を付けたこの街を死守すべく、効率を無視した消耗的な戦いをしていたが、それでもドイツの攻撃の前になすすべがなかった。
指揮官を更迭し、後任としてやってきたのは、ニキータ・フルシチョフ(ボブ・ホスキンス)だった。
彼はダニロフ(ジョセフ・ファインズ)の提言をいれて、ヒーローをつくる。
そのヒーローとは、ある狙撃手ヴァシリ(ジュード・ロウ)だった。


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劇場パンフレットから
 歩兵と違い、狙撃手は孤独な行動をとる。
物陰にひそんで、遠くから狙った獲物を一発必中でたおす。
遠くから狙われるので、どこから撃たれたのかもわからない。
ヴァシリはダニロフによって、ヒーローに祭り上げられ、ソ連軍の戦意高揚に貢献した。
反対にナチ側では、重要な士官や将校が狙撃されて、戦意が低下し街の占領ができない。
するとナチ側でも、狙撃の名手ケーニッヒ少佐(エド・ハリス)を送り込んでくる。
両者の対決がこの映画の見物なのだが、そのなかに三角関係の絡んだ、ヴァシリとターニャ(レイチェル・ワイズ)との恋愛がはさまれる。

 大規模な戦闘シーンや、大勢の避難民のうごきなど、とてもお金のかかった映画である。
投入された人や物量は、「プライベート・ライアン」を上回るかもしれない。
ノルマンディー海岸での上陸作戦と違って、市街戦だから廃墟になった街も必要である。
あのシーンは東ドイツでロケしたというが、最近の映画では見ることができないほど、大規模なものだ。
とにかく設定には驚かされる。


 しかし、お話が何だか、不自然である。
ソ連の赤軍を主人公にしながら、イギリス人が主演と助演を演じ、敵役のドイツ人はアメリカ人が演じている。
当然のことながら、会話はすべて英語である。
この映画の成り立ちがよく判らない。
何のために創られた映画なのだろう。

 人間解放をめざした共産主義は、誤りだったと今日ではソ連の評価は決まっている。
必然的に赤軍の評価も、粛清の問題も含めてなされている。
赤軍の評価は必ずしも、肯定的ではない。
否定的な集団のなかに、主人公を肯定的に描くのは難しい。
主人公だけに光をあて、個人的な感情を追うのなら可能だろうが、戦争という大状況のなかでは、どうしても歴史の評価から逃れられない。
まさかソ連への鎮魂歌でもあるまい。

 この映画の冒頭でも、赤軍は兵士に武器ももたせずに、前線にほうりだす。
総崩れになって退却してくる兵士を、命令違反で後衛の陣地から指揮官が射殺する。
赤軍は、人命を無視したというメッセージだろうが、あんななかで兵士は戦意が高揚するのだろうか。
冒頭のシーンは、むしろ厭戦気分につながり、愛国者として活躍するヴァシリの動機付けがない。
事実最後には、ダニロフはソ連への失望を口にするのだが、この失望も映画展開のなかでは必然性がない。
設定にかなり無理がある。


 戦争と個人の戦意は関係なく、個人の志気は状況のなかの、些細なことでつくられるのかもしれない。
個人は戦争を毎日の仕事としてやるのだろう。
しかし、個人を主人公にした映画としてみれば、やはり動機付けが必要だろう。
この映画は偶然においすぎる。ヴァシリが狙撃手になるのも偶然で、兵士教育の結果ではない。
戦争とはもっと組織的に行われるものである。

 ヴァシリとターニャとの恋愛関係に、ダニロフが嫉妬する。
そして、ダニロフはヴァシリを党本部へと中傷の手紙を書く。
サーシャ(ガブリエル・マーシャル=トムソン)が殺されたことも手伝ってダニロフは反省し、ナチの狙撃の標的になることによって、ヴァシリへの罪滅ぼしとする。
そして、彼はソ連への失望感を口にして死んでいく。
このあたりの展開も、臭い芝居である。
フランス人はもはや映画を作れなくなっているが、ジャン=ジャック・アノー監督は数少ない例外である。
しかし、いかんせん物語が単純というか恣意的にすぎ、人間心理の洞察がない。
人間はもっと複雑な生き物である。

 戦場が主になった映画だから、暗く沈んだシーンばかりである。
登場人物も汚れた風体の男が多い。
そのなかで、ヴァシリとターニャが結ばれるシーンで、ターニャがズボンをおろして、お尻をだす一瞬がある。
彼女のお尻が、ばかに白く艶めかしくみえ、鮮烈な印象をのこした。
美しいものでも素晴らしいものでも、それらばかり見せられると、観客は鈍感になる。
汚れたもののなかに、美しいものを置くと、その美しさはますます美しく見える。
監督はそれを意識したのではないと思うが、女性のお尻の美しさを、印象つけるシーンだった。

 ヴァシリは実在の人物だという。
どこまでが史実だかわからないが、フルシチョフの若き日とか、興味或るもののあった。
しかし、物語の不自然さは、全体に及んでいる。
ヴァシリはウラル山奥の出身で、羊飼いであった。
文字もまともに書けない設定だが、それをジュード・ロウが演じるのは、ミスキャストである。
彼自身インテリではないかもしれないが、田舎の出身者といった感じではない。
指の爪に垢をつめてつくっても、彼の雰囲気は羊飼いには見えない。
もっと骨太の人間をもってくるべきである。
また、ターニャは女性ながらモスクワ大学出身である。
当時の時代状況を考えると、二人が結びつくのはかなり難しい。
この映画は、企画段階から考え直すべきだったのだろう。
原題は「Enemy at the gates」である。

2000年アメリカ・ドイツ・イギリス・アイルランド映画

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