タクミシネマ        プライベート・ライアン

 プライベート ライアン
  スティーヴン・スピィルバーグ監督

  スティーヴン・スピィルバーグ監督は、人間の命と言う主題を実に丹念に追っており、その熱意には本当に感心する。
この映画も、「シンドラーのリスト」以来の人間の尊厳を追求したものである。
そして、過去を忘れるなと言う、しつこいまでのメッセージである。
もちろん「シンドラーのリスト」とは異なった設定だが、すべてが根拠を失っている現代に、彼は決してニヒリズムに陥らない。
人間はなぜ生きるのか、人間が人間を抹殺する必然性はどこにあるのか、と2時間50分にわたる長い映画で問い続けている。
プライベート・ライアン [DVD]
劇場パンフレットから

 1945年の6月、4人兄弟のうち3人が、戦死したと同じ日に電報が入った。
最後の一人のジェームス・ライアン(マット・デイモン)も二等兵として前線におり、戦死の可能性が高い。
人間の命は同じだが、同じ家から出征した全員が戦死するのは、参謀本部としては政治的な意味から避けたかった。
そこで、Dデイつまりノルマンディー上陸作戦が一段落したところで、最後のライアンを捜し出して、彼を帰国させる極秘命令がでた。
それを担当するのは、ジョン・ミラー大尉(トム・ハンクス)と8人の兵隊である。

 たった一人の二等兵を救出するこの作戦は、8人の兵士たちの理解を得にくかったが、とにかく敵の支配下へと彼等は出発した。
その過程で様々な展開を見せながら、なんとかライアンを探し出す。
しかし、ライアンは自分だけが救出されることを拒否し、前線にとどまって戦友と一緒に闘うと宣言する。
元来がこの作戦に乗り気でなかった彼等は、仕方なしにライアンの部隊と一緒にドイツ軍と闘うことにする。
そして、作戦終了後にライアンを連れて帰るつもりである。
彼等はドイツ軍の戦車隊に攻められて、壊滅寸前に連合軍の救援にあって助かるが、ジョン・ミラー大尉や何人かの戦友は戦死する。

 ジェームス・ライアンという一人の老人の回想から、映画は始まる。
今は子供も、家庭もあるライアンだが、彼は戦場で数奇な救われかたをした。
ジョン・ミラー大尉他、彼を捜し出すために、二人の命が失われている。
他人の命の上に、自分の命をもらったライアンは、人生の終盤になって、彼等から貰った分まで生きただろうかと自問する。
失われた命は返りはしない。
そこで充分に生きるとは何か、命とは何かをスピルバーグ監督は問う。
彼はここで一応の解答を出している。
それは自分が自分の人生を肯定できる、それが充分な生を生きたことだという。

 戦争という極限状況、一人の二等兵を連れ出すという疑問の作戦などと言った、やや無理な設定もあるが、映画の展開には考えさせるものが多かった。
イギリス軍への評価、捕虜の扱い、作戦遂行上の判断など、通常の戦争映画とは違って、大いに考えさせられた。

 中でも特筆されるのは、アパム伍長(ジェレミー・デイヴス)に非戦的な平和主義を実践させるが、彼の思想を最後には否定することである。
戦いにあって平和主義がいかなる役割を果たすか、また平和主義が本当に信条となりうるかを、アパム伍長に体現させている。
一度は連合軍の捕虜になったが釈放されて今は敵兵となったドイツ兵を、アパム伍長に殺させることによって、スピルバーグ監督は平和主義の破産を宣告する。

 この映画は、反戦映画ではない。
もちろん戦争はない方がいいし、戦争を避けるための手段は、戦争の手段と同じくらいに研究されてきた。戦争は誰でも否定する。
しかし、人間の歴史は戦いの歴史でもある。
戦争を見ずして人間の歴史は語れない。
厳しい現実の前には、ヤワな自然主義者やフェミニズムはまったく無力である。
この映画からは、歴史は屈強な男性が担ってきたと思わせる。
統治と戦いこそ、男性の男性たる所以だったとすら感じさせる。

 多くの戦争映画では、戦いの残酷さを描いて反戦を訴えるが、彼は残酷な戦いを描いて平和主義を否定する。
現実を見据え、現実を受け入れる中で、平和主義を否定し、それでも人間の尊厳の根拠を探ろうとする。
残酷な現実を否定するために、多くの人は新たな理念を対置するが、彼は現実にはあくまで現実を対置させる。
現実という制限から外れることなく、高邁な理念を現実に対置させることはない。
それゆえに、彼はきわめて保守的に見える。
おそらく闘わなければ、歴史から抹殺されてしまうユダヤ人の恐怖が、彼の背後にあるのだろう。

 それにしても、戦いとは何と男の世界だろう。
この映画には名のある女優が一人もでてこない。
多くの映画は、戦場に咲く男女の愛情を挟んだり、戦いが男女の仲を裂く悲劇を描くものだが、この映画は戦いだけを追って3時間近い長丁場をもたせる。
戦いを真正面から見据えた一本勝負である。
こうしたひたむきさ真面目さは、今やわが国にはなくなってしまった。

 3時間近い長さは、「シンドラーのリスト」とは違って、やや長さを感じさせた。
15分から30分くらい縮めた方がいい。

1998年のアメリカ映画


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