タクミシネマ           ギター弾きの恋

ギター弾きの恋    ウディ・アレン監督

 世界中で2番目にギターが上手いという男の恋物語である。
彼の名前は、エメット(ショーン・ペン)である。
時代は1930年代、大不況の最中だった。
一番上手いギター弾きはジャンゴ・ラインハルトだと、本人のエメットも認めている。
しかし、彼はヨーロッパ生まれのジプシーで、自分はアメリカで一番上手いと、自負している。
ピックで弾くギターで、今から聞くとちょっと古い感じがするが、それでも上手い。
とくに後半になると演奏ものってきて、心躍るような感じである。
ギター弾きの恋 [DVD]
 
劇場パンフレットから

 エメットの日々は、地方から地方へと演奏しての旅回り、腕がよいので大歓迎される。
しかし、それも初めのうちだけ。
酒とビリヤードにうつつを抜かし、遅刻・欠席の常習犯となると、どんな雇い主も愛想を尽かす。
18才の時に、売春婦のヒモになって以来、彼は女性にもマメである。
ギターの天才を自負する彼は、つぎつぎと女性とつきあう。
彼は旅回りの身である。
次の場所に移動してしまえば、縁は切れる。
そんな彼が、1年以上にわたって同棲していた女性がいた。
彼女はハッティ(サマンサ・モートン)といって、口が利けなかった。
小さな時に熱病にかかり、口が利けなくなると同時に、頭も少し弱くなった。


 彼女はとても優しく、きわめていい性格だった。
彼女は彼のギターの感激し、彼にとことん尽くす。
しかし、そんな彼女を彼は捨ててしまう。
そして、彼は派手な美人ブランチ(ユナ・サーマン)と結婚するが、たちまち離婚。
彼はやっとハッティの良さに気づくいて、彼女のもとを訪ねる。
彼女は他の男性と結婚して、すでに子供まであった。
エメットは嘆くが、後の祭りという物語である。
良くありそうな話で、いたって単純な展開である。
とりたてて深刻な主題といったものはない。

 エメットをギターリストつまり芸術家としてみると、この映画は少し違った様相を見せる。
簡単にいえば、芸術家の人生とは、実に困難なものだ。
謙虚でいては表現なんてできない。
露出症とは、表現者の別名である。
常に自分を高め、勇気づけ、自分を天才だと思っていなければ、表現する力を維持できない。
凡人はそれを自惚れとも呼ぶが、表現とは想像することであり、神に代わる行為である。
自惚れと呼ばれようとも、自負心は不可欠である。
しかし、人間は神ではない。想像の源もいつかは尽きる。
また世間は彼の創造にも飽きる。
彼の人気はいつまでも続くわけではない。
人間は間違いもおかす。
エメットも勘違いをしてハッティを捨てた。
どんなに後悔しようとも、あの時、この二人は似合わなかったのである。

 ウディ・アレンの映画は、ニューヨークの上流階級の生活をいささかの皮肉をこめて、ユーモラスに描くというイメージがある。
何か大きな主題に、愚鈍に立ち向かうスタイルは、彼向きではない。
本人が画面に登場するのは良いとしても、この映画での彼の登場は軽妙さを阻害するものだった。
この映画は、劇の流れだけで構成されておらず、誰かが画面に登場してしばしば説明する。
この説明が映画の流れを断ち切っており、観客は物語に身を委ねることができない。
話が佳境に入ったかと思うと、説明である。
熱が削がれることおびただしい。
誘う女」のように、説明する人物の登場が上手くいく例もあるが、今回は上手くいったとは言い難い。
映画はまず感性に訴えるものだから、感情に没入させてほしい。
この説明は、感情への没入を妨げる。


 エメットを演じたショーン・ペンは、古いタイプの芸人の不遜と孤独をよく醸しだしていた。
高慢と不安のないまぜが、天才の心境であるはずで、せかせかした仕種がそれをよく表現していた。
いささか身勝手な芸術家を、それらしく演じて上手かった。
衣類も当時のファッションを再現しており、それも楽しめるものだった。
いつも感心するのは、アメリカでは古い車が、きれいに保存されていることだ。
この映画でもたくさんの車が登場していたが、驚いたことに古い車をぶつけていた。
これは、ずいぶんと勇気のいることだろう。

 純真なハッティと派手なブランチを対比すれば、多くの男心はブランチになびく。
しかし、ブランチはギャングのチンピラと浮気をし、エメットは衝撃を受ける。
この時の、「エメットのセックスは短く自分中心だが、ギャングとのセックスは悪の匂いがする」というブランチの台詞が、いかにもでいい響きだった。
身勝手な芸術家といえば、北大路魯山人を思い出すが、彼のセックスもアッという間で有名だった。
いずれも表現者は、自分一人で存在するから、他者との関係性がない。

 1930年代といえば、不況と同時に男性性と女性性が、はっきりと別れていた時代でもある。
とりわけギャングの男性性が、わが国のヤクザ映画と同様に賛美されもした。
近代が縁切りされるときは、同じ過程を通る必要があるのだろうか。
  2000年のアメリカ映画

TAKUMI シネマ>のおすすめ映画
2009年−私の中のあなたフロスト/ニクソン
2008年−ダーク ナイトバンテージ・ポイント
2007年−告発のときそれでもボクはやってない
2006年−家族の誕生V フォー・ヴァンデッタ
2005年−シリアナ
2004年−アイ、 ロボットヴェラ・ドレイクミリオンダラー ベイビィ
2003年−オールド・ボーイ16歳の合衆国
2002年−エデンより彼方にシカゴしあわせな孤独ホワイト オランダーフォーン・ブース
      マイノリティ リポート
2001年−ゴースト ワールド少林サッカー
2000年−アメリカン サイコ鬼が来た!ガールファイトクイルズ
1999年−アメリカン ビューティ暗い日曜日ツインフォールズアイダホファイト クラブ
      マトリックスマルコヴィッチの穴
1998年−イフ オンリーイースト・ウエストザ トゥルーマン ショーハピネス
1997年−オープン ユア アイズグッド ウィル ハンティングクワトロ ディアス
      チェイシング エイミーフェイクヘンリー・フールラリー フリント
1996年−この森で、天使はバスを降りたジャックバードケージもののけ姫
1995年以前−ゲット ショーティシャインセヴントントンの夏休みミュート ウィットネス
      リーヴィング ラスヴェガス

「タクミ シネマ」のトップに戻る