人間を信じて将来にかける、育ちの違う男女の恋愛、子供に教えられるなどなど、今のアメリカ映画が追っている主題である。 情報社会化することによって、今までの秩序が崩れ価値観が使えなくなるなかで、新たな価値観の創出にむけて試行錯誤している。 それはよく判るが、映画としてはつまらないものになった。 主題だけが良くても、良い映画ではないという典型例だろう。 主題優先の見方からは残念であるが、映画が映像表現をとる限り、見せ方にも大いに意を注ぐ必要がある。 新任の社会科のシモネット先生(ケビン・スペイシー)が、新学期の7年生つまり中学1年生に、「世界をかえる」という課題をだす。 これはこれから1年間のあいだに、各自が自分の問題意識に従って課題をたて、その解決に向かうというものだった。 トレバー(ハーレイ・ジョエル・オスメント)は、将来の可能性にかける3つの実行という課題をたてる。
ホームレスの男性ジェリー(ジェイムズ・カビーゼル)への関心、シモネット先生と自分の母親アーリーン(ヘレン・ハント)を引き合わせること、それらが次の人へと広がっていけば、世の中は確実に良くなる、と彼は考えた。 それが将来にかける、つまり「ペイ イット フォワード」である。 それがやがて多くの人に広がり、好意の輪が運動となっていく。 ジェリーは立ちなおり、シモネット先生と母親は上手くいくかに見えた。 しかし、トレバーが勇気をこして虐めを止めに入ったところ、虐めていた上級生に殺されてしまう。 ここで映画は終わるわけだが、最後に彼が起こした運動が、広がりを見せると描いている。 他人のためではない。 他人になすことが自分のためであるという、喜捨の精神である。 情けは人のためならずとか、陰徳をつむという言葉を思いだした。 脇役だって、ジェイムズ・カビーゼル、ジョン・ボン・ジョヴィ、アンジー・ディキンソンと豪華である。 設定された場所も、虚実の相反するラスベガスとよく主題を反映している。 しかし、この映画は話がご都合主義に展開しすぎる。 良くできた多くの映画は、追い詰められた主人公が、困難に立ち向かう過程を見せる。 それを克服していくのに、観客は自発的に同化するのだ。 だが、この映画は一種の宗教になってしまっている。 つまり、製作者たちの意図があって、それを直接的に画面に展開している。 今のアメリカが、宗教に陥りやすいことはよくわかる。 なぜなら、情報社会というのは、現実から切れた観念が自立し、観念が現実を動かすものだ。 その観念の正しさを保障するものは何もない。 だから正当さを追求しようとすると、正しいことであればあるほど、信じる以外に証明の方法がない。 それはオウム真理教でも同じで、情報社会の先端では浮遊する観念に、よりすがる他はない。 同じ体験をしていない人間のあいだでは、共通の観念が発生しないから、相互理解のためには何らかの観念を共有する必要がある。 究極的には、ただ信じるか否かしかない。 そして、最後に観念の正当性を決めるのは、多数決である。 それがグローバル・スタンダードと呼ばれる。 情報社会の危険性は、ファッシズムに短絡することである。 グローバル・スタンダードの押しつけは、ファッシズムなのである。 信じるか否かと言われたら、もう宗教だから他人は了解不能である。 そこで疑似体験できるような、様々な仕掛けをして、映画を作るわけである。 その疑似体験への導入に失敗すると、観客は画面に没入できずに、取り残されてしまう。 この映画はそのパターンになってしまった。 子供が大人に教えるという、通常とは反対のことも、年齢秩序が崩壊していることの反映だし、核家族が崩壊しているのも事実である。 夫婦仲の悪いことが、子供への精神的な虐待だというのも、まったくその通りである。 良く時代を観察している。 しかし、ちょっと多くを盛り込みすぎたようだ。 主題に期待しただけに、ちょっと残念だった。 シングルマザーの家があれほど裕福であること、ダブルジョブとはいえ誕生日には豪華なパーティが開かれる。 アジアの諸君の家では、ああはいかない。 まずアジアの家は狭い。 人間が多い。 物が少ない。 もちろん精神的な幸福感は、物の多さとは比例しないが、アジア人に限らず豊かさを望むのは物欲によるのだ。 近代化は物欲を満たすことに他ならず、地球上のすべての人間が、近代化をめざしている。 先進国の人間が、それを否定するのは傲慢である。 難しい問題である。 去年ヘレン・ハントは、本作と「キャスト・アウェイ」「ハート・オブ・ウーマン」「Dr. t and the women」と、4本に主演している。 本作でも体型を作り替えているようで、必死の役作りは理解するが、出すぎである。 もう少し出演作を絞って、役の構想を練ったほうがいい。 テレビ出身だから、小回りが利くのだろうが、それは必ずしも良いことではない。 教室の窓外に見える風景が不自然で、セットぽい感じがした。 顔のアップが多かったのは、映画の流れをとめていた。 音楽が、同じトーマス・ニューマンだからなのか、「アメリカン・ビューティ」とよく似ており、ケヴィン・スペイシーもでており、少し気になった。 ピントがあっていなかったのは、映画観のほうの問題だろう。 2000年アメリカ映画 |
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