タクミシネマ         ウィズアウト・ユー

 ウィズアウト ユー フィル・ジョアノー監督

 U2のビデオ監督ジェイク(スティーブン・ドーフ)が、ニューヨークで映画を撮らないか、と言われる。
彼は劇場用映画が初めてだった。
緊張しながらもそれを受け、ニューヨークへと向かう。
ニューヨークで見たファッション・ショーのモデルが、彼にウィンクしたことから、彼はすっかり舞い上がる。
すると何と、そのモデルのステラ(ジュディット・ゴドレーシュ)が彼の前に現れ、彼女のウィンクは本心からで、一目惚れしたのだという。
二人はたちまち同棲し、共同生活が始まる。

 ジェイクは映画の撮影が開始。
プロデューサーからの嫌がらせにあい、毎日が戦争である。
そうしたなか、3日間の予定で仕事に出かけたステラは、仕事先から電話でモデルの仕事を辞めると言いだした。
しかし、話の要領がつかめないまま、電話は切れてしまう。
重要な電話だというので、ジェイクは仕事を中断して受けていた。
ステラのことが気になって、仕事に戻っても集中できない。
後日、戻ってきたステラは、仕事を辞めてジェイクのそばにいると言う。

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劇場パンフレットから

 撮影は佳境に入り、ジェイクは映画に集中する。
家に戻ってきたステラには、何もすることがない。
そんな時、ステラが妊娠する。
二人は困惑。
ジェイクは子供を持つ踏ん切りがつかず、堕すことを希望する。
自分一人でも育てる意志のないステラは、中絶に同意する。
その後、映画にのめり込むジェイクを見て、取り残されたと感じたステラは、パリに戻ると言い出す。
しかし、パリに帰ってからも、ステラはジェイクに連絡を取らない。
ジェイクの方からは所在がつかめず、彼はイライラするばかりである。
何日もしてから電話をしてきたステラは、他の男性と同棲を始めたから、もうジェイクのもとへは帰らないと通告。

 仕事でもプロデューサーとぶつかり、ジェイクは監督を首になる。
落ち込んだ彼を救ったのは、以前からやっていたU2のメンバーであるボノだった。
彼はジェイクに以前の仕事へ戻らないかと誘ってくる。
彼はU2の仕事でやっと生き返り、不安定ながら日常を取り戻す。
U2の打ち上げパーティで、イギリスの女性バンドのメンバーであるピア(ケリー・マクドナルド)からナンパされる。
ヤケになっているジェイクは、前回の反省をこめてベッドに入る前にピアと結婚する。
しかし、このインスタント結婚に、周囲は大反対。
ステラへの思いが振りきれない彼は数日で離婚し、婚約指輪を持ってパリへとステラを迎えに行くが、ステラは今の男性を選ぶと言って拒否。

 男女の愛情をめぐる話だが、主題は恋愛ではなく表現と生活である。
映画監督という表現にかける男性のジェイクにたいして、モデルという仕事をしていたが、辞めて家に籠もるステラ。
撮影中の現場に電話をかけてきて、身の上の重大事を打ち明けるステラ。
やがて妊娠。
悩みながらの中絶。
男女差別がまかり通る今の社会では、この二人を何の前提もなしに一般的な比較すれば、女性のほうに味方せざるを得ないだろう。
女性もモデルという仕事をしているし、しっかり自活している。
二人は恋人である以上、女性の悩みは男性の悩みもである。
とすれば、頼るのは恋人しかいないのだから、女性から電話をするのは当然だ。
女性は中絶もさせられた。
何と身勝手な男性か、となるだろう。

 しかし、男女が平等な存在だとすると、話はまったく違う。
お互いに恋人との関係は、二人だけのものであり、いわば私生活である。
恋愛においての性交は女性も欲したのであり、望まぬ妊娠はもちろん男性の責任は大きいが、女性自身のミスでもある。
それに対して各人の職業は、二人の日常とは離れた別の世界で進んでいる。
そこはそこで何人かの人たちが、生活をかけて活動している。
男女ともに、働かなければ生きていけない。
誰にでも職業は不可欠である。
職業生活と私生活の両方とも、誰にとっても不可欠であるとすれば、両者は別の世界のものとしなければ、人間の生活が成り立たない。
事故など緊急の例外事を除いて、職場には私生活を持ち込むことはできない。

 男女ともに自分の仕事を持つのが自然で、どんなに恋人を愛していても、どちらかが家庭を守る専門職となってはいけない。
仕事とは切り離された時間を、二人の私生活や家庭生活のために使うのである。
私生活では、どんなに濃密な愛情表現をしても許されるが、職業人としても完璧に役割を果たすことが要求されている。
もし、私生活がみだりに職場に侵入してくれば、職場にいる他の人たちの生活がおかされてしまう。
いままで、女性は職業人ではなかった。
そのため、自己の存在をそのまま、相手にぶつけてきた。
いわば生活の論理が、女性の論理でもあった。

 神が生きていた農耕社会なら、表現つまり創造などと言う仕事はなかった。
創造は神だけの仕事だった。
その時代の人間にあったのは、神の意志を実現する職人仕事だった。
日常生活を繰り返すことが、神の教えを実践することだった。
だから、もの作りは技術者であれば良く、日常生活のすべてを投入する必要はなかった。
そこでは作ったものに、製作者の名前を記すことはなかった。
全員が神の子だったから、仕事から離れた私生活など存在せず、すべての人間が神のために生きていた。
だから、仕事と私生活の対立はあり得なかった。
田畑に囲まれた農家の生活を見れば、それは簡単に想像がつく。

 この映画では、主人公の職業は映画監督である。
映画監督とは、技術者であると同時に表現者でもある。
表現者とは言いかえれば創造者である。
ものを生みだす創造とは、神に代わる行為だから、誰でも全身全霊を打ち込むことになる。
それでも神を凌駕するような秀作は、必ずしも生み出せるものではない。
神の仕事である創造に足を踏み入れた者は、24時間を創造のために使うようになる。
創造にのめり込んだ人間には、一時的に私生活や家庭生活はなくなる。
創造者の心は生活の次元にはないから、創造者たろうとする人間に、生活者が生活の次元にいるままで交歓することはできない。

 繰り返しによって洗練される職人仕事は、今後コンピューターを内蔵した機械に代替されていくだろう。
繰り返すことは、人間より機械の方が優れているのだ。
そのため、人間が担当するいかなる仕事も、繰り返しから外れた創造的な部分が要求されてくる。
つまり今後の職業は、多少なりとも創造といった要素が混じってくる。
画家や詩人と言った古くからある創造的な職業に加えて、コンピューターのプログラマーだって、顧客の開拓だって創造者なのだ。

 繰り返しが仕事であった時代には、ある特殊な人だけが、創造的な仕事に従事していれば良かった。
創造的な仕事に従事する者たちは尊敬されもしたが、堅気の人間とは見なされず、人間社会の正道からは外れた者と見なされた。
芸人や詩人が、社会の主流とならなかったのは、この世の必然だった。
しかし、コンピューターが賢くなった現在、コンピューターにはできない仕事が人間の仕事になった。
いまや、人間の仕事とは繰り返すことではない。
繰り返しによって洗練されるものではなく、創造によって生みだされる各人に固有のものが、要求され始めたのである。
ここで、すべての人間が生活者であると同時に、神であれと要求されている。

 ジェイクに扮したスティーブン・ドーフはそれなりに演じていたが、ステラを演じたジュディット・ゴドレーシュは大根も良いところだった。
本当に下手な演技だった。
しかしこれが、ステラに感情移入させないための演出だとしたら、びっくりの脱帽ものだが、おそらく彼女の精一杯の演技だろう。
女を売る思わせぶりな表情や、反対に表情に乏しい演技など、とても買えない役者である。
ピアを演じたケリー・マクドナルドのほうが、遙かに好感をもてた。
なぜジェイクは離婚したのだろうか。
ところで、すでに歳のいったU2だが、彼等の舞台はパワフルかつセクシーで格好良かった。

 主題としては、この映画は情報社会化するいま、すべての人間が自立を迫られている状況を見据えている。
創造的な仕事が、誰にでも期待されているという、きわめて今日的な映画である。
しかし、前半の展開がもたついているのと、主人公のジェイクが狂言廻しのように、映画を止めて喋っているが、これは映画の正道ではない。
狂言廻しやめて、話の展開のなかに組み込むべきだ。
それに、猫がステラの身代わりとして登場しながら、最後に男の言葉で喋るのは、どうしたことだろうか。
これは辻褄が合わないように思う。
以上の三点により、星二つから滑り落ちて、一つになってしまった。

 ロバート・デ・ニーロがプロデューサーをしているので、保守的つまり女性やフェミニズムに批判的な面があるが、それでも問題意識はきわめて今日的である。
配給者たちは、わが国ではこの映画の主題は理解されないと考えたのか、「ウィズアウト・ユー」とタイトルを変えて恋愛映画で売り出そうとした。
しかし、原題は「Entropy」であり、原作ではその意味を映画の冒頭で記していた。
それは恋愛とは関係ない話で、物理の術語から転じて混乱といった意味に使われている。
この映画の製作者たちの意図は、残念ながらわが国ではまったく伝わらないだろう。

1999年のアメリカ映画。  


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