タクミシネマ        ストレイト・ストーリー

ストレート ストーリー   デヴィッド・リンチ監督

 73歳の老人アルヴィン・ストレート(リチャード・ファーンズワース)が、兄が倒れたと聞いて駆けつけるまでを追ったロード映画である。
ただし、彼が駆けつける方法はちょっと変わっている。
その兄は、600キロも離れた所に住んでおり、アルヴィンは車も運転できなければ、バスに乗るのも嫌だという頑固爺さんである。
なんと彼は、芝刈用のトラクターで、はるばると出かけるのである。
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ぴあ(3.27)p.62から

 トラクターで出かけることを決意すると、彼は道中の寝床を確保するために、リヤカーを大きくしたようなトレーラーを自作する。
腰が悪いにもかかわらず、自分で溶接機を使って、巨大なリヤカーを自作する。
最初、自分の家にあったトラクターで、それを牽引してでかけるが、たちまちエンジンがいかれてしまう。
仕方なく車で救出してもらい、中古のトラクターを購入し、再度の出発である。
時速8キロしかスピードのでないトラクターは、道の端をゆっくりと進む。
その途中で、出会うさまざまな人たちの様子をまじえて、映画はたんたんと展開する。

 この映画は、ニューヨークタイムスに掲載された実話をもとにしているという。
いかにもアメリカらしい独立独歩の精神に富んだ話で、人間が自然を相手に生きるのは、いかなることかを教えてくれる。
いくつになっても他人の手を借りずに、自分で自分の思うことをやり遂げる。
何度でも挑戦する、それがアメリカン・スピリットなのだ。
そう訴えているようだ。

 アメリカというと、都市部の騒然としたシーンを思い浮かべるが、アメリカのアメリカたる部分は、実は田舎にある。
この映画の舞台になったアイオワからウインシィコンにかけての中部は、有数の農業地帯である。
見渡す限りどこまでも続く畑、そこに走るコンバインやトラック。
完全に機械化されてはいるが、農業がこの地方の主な産業である。
ついしばらく前までは、あの広大な大地を人力で耕していたのである。
こうした自然が、アメリカの田舎の人々の性格を作った、と言っても過言ではない。
それは独立独歩であり、必然的に保守的なものだ。

 この農業地帯に住む人々は、まず間違いなく共和党の支持者であり、銃を手にする自由を謳う人たちである。
この映画の主人公アルヴィンもそうした人物であり、他人の思惑や忠告には耳を貸さない。
自分がこうと決めたら、やり遂げる人である。
他人に頼ったり、愚痴をこぼしたりはしない。
ましてや自分ができないのは他人のせいだ、なんて言わない筋金入りの老人である。
他人の思惑に無頓着というのは、他人をないがしろにするというのではない。
自分の意志を大切にするから、反対に他人の意志も大切にするという、スタンスなのである。

 このスタンスは、自分の人生は自分が生きるのであって、他人が生きるのではないという強烈な信念である。
そこには弱者救済といった社会福祉が発生する余地は少なく、厳しい自然の中で生き抜いてきた人たちが、自然のうちに身につけた発想である。
あるがままの自然は偉大で、人間を生かしてくれる。
だから、自然の恵みをもたらしてくれる神に感謝するのだ。
映画のなかでは、共和党的な老人の思想から生まれる意見が、ポロリポロリと口にされる。
家族を大切にと言い、倒れた兄を訪ねながら、実はアルヴィン自身は誰をも頼ってはいない皮肉。
そして、血縁にたいする無条件の心酔。

 この映画の監督は、難解をもってなるデヴィット・リンチだが、彼の正体が分かったような気がする。
彼は人間の命というものに最大限の信頼をおいて、それを大切にし命を発想の原点に据えている。
命を大切にする視点は、いわば出発点であり、誰でも言うことである。
むしろこの視点を強調することは、思考の停止でありこのまま現状維持、つまり保守へと繋がる道である。
命を大切にするには、人間関係をどう作っていくかが問題なのだ。
彼も老いたりか。

 デヴィット・リンチ特有のシャープな美意識も折々見せるが、映画としての主題が共和党的すぎて、今更そんなことを言わないでくれと言いたくなる。
軽い知的な障害を持った娘にたいする懐の深い視点など、共感する部分はたくさんあったが、どうも歯切れの悪い感じがした。
それはおそらく彼のこれまでの映画が、新たなものを生みだそうと、表現の世界で格闘してきたことを評価するからだろう。
そして、この映画は彼でなくても撮れるからだ。
ロスト・ハイウェイ」の多重人格などといった視点こそ、今後の人間像を探っている映画である。
この映画のように安定した視点の提出は、それなりに心地よいかも知れないが衝撃力が少ない。

 デヴィット・リンチは気づいてないだろうが、アメリカの農民とアジア人は近代化の程度が決定的に違う。
我々アジア人と異なり、農業従事者であるアルヴィンといえども、近代に入ったアメリカ人は椅子をもって歩く。
この映画でも、男性たちは決して地面の上に腰を下ろさなかった。
アジア人は地面に尻を付けて座るが、近代人は大地から離れたのだ。
近代の先を見せなければ、何が前衛的な表現か。
彼はまだまだ若いのだから、より衝撃的により先鋭的に映画表現を切り開いて欲しいものだ。
軽い障害を持った娘を演じた、シシー・スペイセクの演技が光っていた。
広角レンズの歪みがちょっと気になった。

1999年のアメリカ映画。


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