タクミシネマ        アメリカン・ヒストリーX

アメリカン・ヒストリー X    トニー・ケイ監督

 アメリカの人種差別を、白人側から撮った映画である。
おそらく監督は若い白人だろう。
主人公のデレク(エドワード・ノートン)は父親の影響もあって、白人優位主義に染まっていた。
しかも父親が消防活動をしている最中に、黒人から射殺されたので、完全に有色人種は害悪だと信じ切っている。
今や有色人種を公然と非難し、自らスキンヘッドにしてネオナチのシンパである。
アメリカン・ヒストリーX [DVD]
 
前宣伝のビラから

 デレクの家の前に止めてあった車に、黒人がこそ泥に入ったから、彼はたちまち射殺してしまった。
そのため、三年の刑を食らって刑務所に入った。
刑務所は白人と黒人が一緒だったが、はっきりと棲み分けができており、彼は白人のグループに入った。
しかし、やがて白人も有色人種と取り引きしており、決して白人優位を信じる純粋な集団ではないと知る。
白人集団を抜けると、黒人から襲撃されると思いきや、白人から強姦されてしまった。
彼の白人優位のイデオロギーは完全に崩壊し、身も心もぼろぼろになって出所してくる。

 ネオ・ナチに幻滅した彼は、いまやまったくの堅気になり良き市民である。
黒人を二人も殺したデレクだから、物語はここでは終わらないと思っていると、黒人の報復は弟のダニー(エドワード・ファーロング)を射殺する。
映画はそこで終わる。

 黒人差別の撤廃を訴える映画はたくさんあったが、その多くは差別される方からのものだった。
この映画は、白人のほうから差別撤廃を訴える映画である。
有色人種が差別されると、それに反対した運動がおきるのは簡単に理解できる。
誰でも不利な状況にいたくはない。今までは白人が圧倒的に優位だったから、白人側からは差別に対する怨念の声は聞こえてこない。
ただ理念的な正義感によって、差別撤廃が謳われただけだった。
しかし、アファーマティヴ・アクションによって、有色人種も社会進出をはたした。
彼等の力も大きな勢力を占めるようになり、白人の圧倒的な優位が揺らぎ始めた。
そのため、白人たちが劣勢を挽回しようと、白人優位主義に走り始めたのがネオ・ナチである。
この構造は、ドイツでも同じである。

 ネオ・ナチの登場は、新たな差別主義者の登場ではあるが、彼等の運動がヒットラーを模倣している限り、大きな力にはならない。
まるでわが国の暴走族と同じである。
暴走族が一般的な共感を獲得できないように、不満を核としている限り、ネオ・ナチも主流にはなれない。
彼等は社会的な劣性を、人種の違いに還元しているだけである。
しかも、彼等はフラストレーションを暴力で解決しようとする。
そうした意味では、白人側にも差別への嫌悪が広がってきた。
だからこうした映画が作られる。
最後に、怒りは何も解決しないという台詞が入るが、それは誰でも知っているだろう。
復讐は復讐を呼ぶだけである。
やはりこの映画は、白人サイドからのものだ。

 黒人であるスパイク・リー監督の「クロッカーズ」が、差別への怨念と黒人であることへの暖かい連帯意識に溢れているのに対して、この映画は冷静である。
むしろ突き放しているといってもいい。
いや観念で反対と言っているように感じる。
しかも、白人優位という構造に批判の目を向けながら、白人優位の構造は温存したままである。
差別している方からの差別反対は難しいスタンスだが、人種差別はやはり経済問題だろう。
強い経済力を持った日本人を、名誉白人にせざるを得なかった南アがいい例だ。
いくら白人が人種的な優越を唱えても、優越が形にならなければ、政治運動としては成立しない。
有色人種が力を伸ばしていくに従って、相対的に白人が劣勢になるから、むしろ今後のほうが人種差別は憎しみをもったものになり、陰惨になるだろう。

 「ファイト・クラブ」でのエドワード・ノートンは、華奢な優男だったけれど、この映画では筋肉溢れるたくましい男に変身していた。
おそらくその間に筋トレをしたのであろう。
俳優とは大変な仕事である。この映画でも感じるのだが、女性が社会問題にかかわってこない。
女性は身近な問題に改良的な姿勢はとれても、思想性とか観念といったことには取り組み方が薄いようだ。
ましてや、肉体を鍛えることが、思想性と結びつくという構造は、女性にはあり得ないようだ。
女性の思想は肉体とどう絡むのだろうか。
女性からの発言が少ない昨今の映画界である。

 映像としては、回想場面をモノクロでいれていたのは納得できる。
しかし、小さな頃の想い出や、心象風景をざらついた画面で見せていたが、あれは思わせぶりで不要だと思う。
何かに託して心象風景として見せるのは、よほどの必然性がないと無理である。
ましてやこの映画でも、海のシーンを何度も使っていたが、あれではダレる。
刑務所内の黒人や白人が、本当にワル風な雰囲気でリアルだった。
ちょっと気になったのは、市井の普通人より白人優位主義者を演じていたときのほうが、エドワード・ノートンが輝いていたことだ。
白人優位主義者は悪だと自覚しているから、充実感があったのだろうか。
エドワード・ファーロングの存在感が薄かった。

 1999年のアメリカ映画。


TAKUMI シネマ>のおすすめ映画
2009年−私の中のあなたフロスト/ニクソン
2008年−ダーク ナイトバンテージ・ポイント
2007年−告発のときそれでもボクはやってない
2006年−家族の誕生V フォー・ヴァンデッタ
2005年−シリアナ
2004年−アイ、 ロボットヴェラ・ドレイクミリオンダラー ベイビィ
2003年−オールド・ボーイ16歳の合衆国
2002年−エデンより彼方にシカゴしあわせな孤独ホワイト オランダーフォーン・ブース
      マイノリティ リポート
2001年−ゴースト ワールド少林サッカー
2000年−アメリカン サイコ鬼が来た!ガールファイトクイルズ
1999年−アメリカン ビューティ暗い日曜日ツインフォールズアイダホファイト クラブ
      マトリックスマルコヴィッチの穴
1998年−イフ オンリーイースト・ウエストザ トゥルーマン ショーハピネス
1997年−オープン ユア アイズグッド ウィル ハンティングクワトロ ディアス
      チェイシング エイミーフェイクヘンリー・フールラリー フリント
1996年−この森で、天使はバスを降りたジャックバードケージもののけ姫
1995年以前−ゲット ショーティシャインセヴントントンの夏休みミュート ウィットネス
      リーヴィング ラスヴェガス

「タクミ シネマ」のトップに戻る