タクミシネマ        シン レッド ライン

シン レッド ライン    テレンス・マリック監督

 太平洋戦争の転機になったガダルカナル島での戦闘を舞台に、神とは、人間にとって命とは、生きるとは等といった、根底的な問題を考察している。
プライベート・ライアン」が闘いの場面を凄惨に描いて、闘いを賛美した映画だったのに対して、この映画も闘いの場面をたくさん描いているが、はっきりと反戦の映画である。
しかも重い。
シン・レッド・ライン [DVD]
劇場パンフレットから

 アメリカ軍から脱走したウィット二等兵(ジム・カヴィーゼル)が、ガダルカナル島の島民たちと幸せに暮らしている。
そこへアメリカ軍が上陸してくるので、彼は再度アメリカ軍に加わって、日本軍と闘うことになる。
戦場の全指揮を執るのは、正面撃破を主張する中年のトール中佐(ニック・ノルティ)である。
丘の上に日本軍がトーチカを設置しているにもかかわらず、丘の頂へと正面突撃する作戦をとるので、兵士たちは銃弾の雨にさらされることになる。
現場の指揮官スタロス大尉(エルアス・コーティアス)には、その作戦が兵士を消耗品と見て、兵士の命を軽んじているように感じられて、トール中佐の指揮に従わない。
事実、目の前で戦死する兵士が絶えない。

 絶対に丘を占領したいトール中佐は、突撃隊を組織し強引に突撃させる。
兵士の消耗は大きかったが、一連の作戦は何とか成功し、頂上のトーチカを奪取する。
その後は歴史の通り、アメリカ軍の一方的な展開になるのだが、それでも弾が飛び交う戦場では、常に死と隣り合わせである。
戦場で生と死を分けるのは、偶然という運命に操られたもので、その境には細い赤い線があるだけだというのが、この映画のタイトルになっている。
そして、「Every man fights his own war」というサブタイトルが付いているとおり、闘いのなかの個人を描く。

 緊張して行軍する彼等の隊列の脇を、現地の老人がまったく無関心で通り過ぎる。
それは戦争をする彼等と、平和に暮らす現地の人との無関係さの表現である。
脱走したウィットが現地の人たちと遊んでいるシーンや、子供たちと水中で遊ぶシーンなどが、初めのうち何度も展開される。
それが戦場体験を経た後では、子供たちからも大人からも背を向けられ、ウィットが闘いに参加したこと自体に拒否反応を示される。
近代文明人は、闘いという無用なことをして、互いに殺し合って命を落とすが、自然に生きる人々の幸福さ、それを表現しているように感じた。
神や自然の賛美である。
しかし、今までの西欧人とは異なり、現地の子供の皮膚病なども撮しだし、単純な原始生活の賛美ではないけれども、近代文明対原始社会という対立構造は透けて見える。

 激しい戦闘シーンもあり、戦争映画であることは明らかだが、この監督が力を入れているのは、闘いが始まる直前までの死ぬかも知れない恐れ、命がなくなる事への緊張感、そうした現場にいる人間たちを押し包んでくる雰囲気といったものである。
闘いが始まってしまえば、考えている暇などない。
闘いが始まるまでが、喉がからからになるような緊張感を強いられる。
死ぬかも知れない緊張感で、平常心が失われ、精神が粉々になっていく様子を延々と描いていた。

 闘いのシーンの中で個人をクローズアップし、何度も恋人とのベットシーンが挿入される。
死んでいく名もない兵士たちにも、同じように日常があり家族や愛する恋人がいる。
そう言う意味かと思って見ていたら、過激な女性批判だった。
それは戦場に身をさらす男性と、平和な故国でのほほんと暮らす女性の対比で、闘いを担わない女性への批判である。
それは戦場へと送られてきた手紙が、奥さんがほかの男性と恋におちたから離婚してくれと言っていたことで判る。
女性のほうにも言い分はあるだろうが、少なくともこの映画の文脈では、死に身をさらさないで男性を裏切る女性批判である。
これをフェミニズムはどう見るのだろう。

 テレンス・マリック監督は、誰かがいなくなっても、次々に後継者を送り込んでくる軍隊という組織の継続性を描く。
彼は、そうした機械的な自立性に目をやっており、個人的な存在はそのなかでの運に左右されると言っている。
それがやや厭世的なあきらめを感じさせ、命の大切を訴えながら、何に生きる根拠を求めるのかが判らなくなっている。

 主題は重く根底的であるが、トーチカの破壊、頂上の占領といったクライマックス以降にも映画は続き、映画としては起承転結の物語性を失ってしまっている。
スタロス大尉が弱腰だと解任された後、ガフ大尉へと指揮権が移り、部隊が全滅になる危機を、ウィット二等兵が囮になったエピソードを入れたかったのは判るが、それはすでに付け足しである。
しかもウィット二等兵の行動は、個人的なものであり、この映画の主題とは反対であろう。
純文学の作りであるためか、監督の言いたいことが画面に延々と続き、ドラマとしての起伏を欠いている。
また、不要と思えるシーンや繰り返しが多く、力作だとは思うが、傑作とは認めがたい。

 飛行機や軍用品など、当時の状況を良く復元しており、とてもお金がかかっている。
また、実力派の俳優が大挙して出演しており、期待された映画だと言うことは判る。

1998年のアメリカ映画


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