タクミシネマ        母の眠り

☆ 母の眠り        カール・フランクリン監督

 1988年、アメリカのニュージャージーに住む4人家族のクルーデン家。
大学教授のジョージ(ウィリアム・ハート)、奥さんのケイト(メリル・ストリープ)、娘のエレン(レニー・ゼルウィガー)、息子のブライアン(トム・エヴェレット・スコット)たちは、それぞれに楽しい日々を過ごしていた。

 子供たちは成人し、エレンはニューヨークでジャーナリストになり、ブライアンは大学生である。
何事もなければいいのだが、それでは映画にならない。
家庭を切り回してきたエレンがガンになる。
手術をしたエレンは、家事労働ができなくなり、誰かが付き添わなければならなくなった。
映画は、エレンの回想形式で始まる。
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 現在のクルーデン家には、ジョージとケイト、それにブライアンの3人が生活をしている。
奥さんが倒れた時、旦那のジョージが仕事を少しセーブして、奥さんの看護に当たるのが普通だろうと思う。
しかし、大学で学部長をつとめるジョージは、自信満々な外見とはちがって、気の弱い小心者だった。

 簡単には見せない内心は、誰かに頼りたくて仕方ない。
彼は表面的には自立しつつも、心の底では奥さんのケイトに頼り切っていた。
その彼女が倒れてしまったのだから、とても奥さんの看病などできない。
自分が立っているだけで、精一杯であった。

 看護婦さんを雇って、看護に当たらせるというエレンの発言は無視され、ジョージはエレンに仕事を辞めて看護に当たるよう命令する。
それまでの物わかりの良かった父親の豹変に、エレンは当惑し、怒りを覚える。
しかし、何とか自分を説得し、母親の看護のために、実家に帰る。

 母親に代わって慣れない家事に手を出すが、当初は失敗ばかり。
また、地元の女性の集まりに誘われるが、あまりの主婦然たる有様にうんざりする。
そんな日々でも、母親の病状は着実に進み、やがて死を迎えてしまう。

 ガンの末期症状による痛みに苦しむケイト。
それを見ていなければならないエレン。
ケイトは鎮痛剤のモルヒネを致死量以上に欲しがる。
つまり、自殺である。
それをまずエレンに、そしてジョージに頼む。
しかし、両者ともに拒否する。
痛さに苦しんではいても、ケイトを殺すわけにはいかないのである。
とうとうケイトは自分で致死量のモルヒネを飲み、オーバードーズで死んでいく。
そのため、最期を見とったエレンに殺人の容疑がかかるが、映画では起訴はされない。
原作では起訴されて、辛うじて無罪になるらしい。
この映画は、尊厳死が主題でもある。

 ケイトが死を宣告されてから死ぬまでの短い間、それまでは見えていなかった父親や母親の姿が、エレンに見えてくる。
対社会的には立派だが内心は弱い父親、弱い父親を心から愛していた母親。
今までは母親と、なぜか疎遠な感じだったが、死を前において心が通い始めるエレン。
人を愛することの難しさと大切さを、母から教えられるエレン。
何もかも求め続ける現代人たちに、この映画は今前にいる人を愛すること、それが人間関係で最も大切なのだと言う。

 1988年当時に、55才のジョージとケイトだから、彼等はフェミニズムをまともに浴びた世代ではない。
ジョージが大学の教師だとしても、今の社会ならケイトが専業主婦であることはない。
ジョージもケイトもともに職業人であるはずで、女々しいジョージは今日では女性をつかまえられないだろう。
今日の女性は、ジョージのようなタイプに好感を抱かないから、クルーデン家は存在しない。
フェミニズムは女性を強くしたが、同時に男性をも鍛えた。
フェミニズムは、男性の女性への甘えを許さなくなった。

 対外的には威張って内心は奥さんに頼る男性は、フェミニズム以前には沢山いたはずである。
矛盾した愛情を向けられても、女性たちはそれ以外に選択肢がないのだから、そうした男性をも受け入れた。
しかし、個人の自立は、互いの甘えを許さなくなった。
自分の食いぶちは自分で稼ぐと言ったとき、甘えあう精神が入り込む余地はなくなったのである。
男性のみでなく女性も、社会的な上昇志向をつよく持ち、より激しい競争社会になった。
男性だけではなく、女性も競争社会に参入してきた。

 青い鳥を捜し続ける人は、目の前にある幸せに気づかない。
誰か素敵な人が現れたら愛するのではなく、今目の前に生きている人間を愛し大切にしよう。
男女が社会的に平等になりはしたが、やはり男女は違う生き物である。
社会的には男女が競争するが、個人の次元では、生身の人間を見て互いを大切にしよう、というメッセージが伝わってくる。
専業主婦の復権と、キャリア指向の女性バッシングかと思っていたら、まったく違っていた。
良い方へ当てが外れた。
たまたま専業主婦を素材にしているが、決して家庭回帰の映画ではない。
むしろ純粋な愛情の賛美である。
そうした意味では、やはり今日的な主題を扱っている。

 物語が細かい日常までしっかりと描きこまれ、メリル・ストリープ、ウィリアム・ハート、レニー・ゼルウィガーと、主役をつとめた3人とも自然な演技だった。
とくにウィリアムハ・ハートが終盤で見せる弱い男は、彼のはまり役とはいえ、自分に素直になって良いのだという現代人への癒しだった。
この映画は、カール・フランクリンという黒人の監督がメガホンをとっており、新たな黒人監督の誕生である。
黒人であるがゆえの映画ではなく、人間として人間を見る。
この監督のそんな視点が、黒人と同じマイナリティであった女性を、横並びの立場から見ることができたのだろう。
今までの黒人監督にはない、懐の深さを感じた。
原題は「One true thing」である。

1998年のアメリカ映画。


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