タクミシネマ              G.I.ジェーン

G I ジェーン    リドリー・スコット監督

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G.I.ジェーン [DVD]

 アメリカ海軍の女性軍人ジョーダン・オニール大尉(デミ・ムーア)が、軍内に残る女性差別撤廃のために過酷な訓練でなるSEALに参加し、そのしごきに耐える映画である。
女性の男性並肉体指向という主題は、映画としてはすでに新鮮味はない。
男女平等を指向するアメリカのフェミニズムは、その論理的な帰結として、肉体的な扱いも男女平等を指向せざるを得ない。
それがいかに大変なものかは、今までの試みが全て失敗してきたことから、簡単に了解できる。

 男女平等の動きは、肉体的な価値が無化されたところから始まったのだから、肉体勝負は本来的にあり得ない話である。
肉体勝負では、最初から決着はついていることは、歴史が証明している。
肉体的な非力さは、克服のしようがない。
それでも、男女は平等であり得るのが、肉体的な価値が不要になった情報社会である。

 映画は、テキサス出身の女性上院議員のスタンド・プレーから、軍内の女性差別撤廃を海軍高官に投げつけたところから始まる。
女性差別は根拠があることを実証するために、人体実験によって立証することになる。
その選手として選ばれたのが、ジョーダンである。
映画の大半は、過酷な訓練のシーンで、男性でも40%が脱落する中で、彼女が耐えていく姿である。

 戦闘軍に女性が入ることには、二つの問題がある。
一つは、女性自身の非力な体力。
もう一つは、女性が入ることによって男性の戦力が落ちる問題。
たとえば捕虜になったときに、強姦される女性兵士を男性兵士は見過ごせない。
それが軍全体の弱点になる。
前者はこの映画の主題になっていたが、後者は少し触れられていただけである。
むしろ問題は、後者のほうだろう。
なぜなら、男性だって体力がない人間もいるが、戦闘に参加しているからである。

 この映画にはもう一つ仕掛けがあり、実は女性上院議員の政治的な取引として女性差別が取り上げられていたにすぎず、上院議員も男女の不平等を認めていた。
そのため財政削減によって、アメリカ中の基地が閉鎖される中、彼女の選挙区であるテキサスでは海軍基地が一つも閉鎖されない。
これは、ジョーダンの訓練中止と取り引きした、海軍と彼女との政治的な駆け引きの結果だった。

 取引の道具にされたジョーダンが怒って、上院議員に詰め寄り、訓練に戻させるのが山といえば山である。
しかし、政治の世界と肉体訓練は本来次元の違う話であって、そのつながりに無理がある。
訓練に戻ってからのリビアでの実戦参加は、先が見えたご都合主義的な展開で興ざめである。
しかも外国の領土への無断進入である。

 軍隊での訓練ものは、「愛と青春の旅だち」等でおなじみのパターンで、訓練を担当する鬼軍曹が、実は訓練生思いの職人的な軍人という設定である。
訓練=しごきという、ここらあたりにも、この映画の限界がある。
効率をめざす軍隊が、工業社会的な組織であることから抜け出れない。
ここに新たな組織論の課題がある。
農耕社会の軍隊は、傭兵が主だったので、現代ほど管理化されてなかった。
情報社会の軍隊とはいかにあるべきか、むしろそれが女性の問題を取り込んで検討されるべき話である。
1997年アメリカ映画。


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