タクミシネマ             ベスト・フレンズ・ウェディング

 ベスト フレンズ ウエディング    P.J.ホーガン監督

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ベスト・フレンズ・ウェディング [DVD]
 学生時代から9年間も、親友だったボーイ・フレンドのマイク(ダーモット・マルロニー)が結婚する。
その話を電話で聞いたジュリアン(ジュリア・ロバーツ)は、友情が実は愛情だったと気づき、彼を奪うためにニューヨークからシカゴにいく。

 マイクの結婚相手ミリーは、まだ大学の三年生。
あどけなさが残るかわいい女の子で、メイジャーリーグの球団社長の娘。
お金もあるし、性格もいいし、マイクにぞっこんだし、欠点がない。
嫉妬に狂ったジュリアンは二人の仲を裂き、マイクの関心を自分に向けようとする。
それがことごとく失敗。
二人の結婚を阻止できず、落胆する。かろうじて友情だけは保たれた。

 優柔不断で、どこが魅力的かと思われる男性をあいてに、ジュリアンがいかにして彼の関心を自分に向けるかの話題。
今まで愛情の告白ができなかったのは、自分のプライドが邪魔していた。
ミリーの父親の名前でEメールをうつという犯罪を侵してまで、プライドなど脱ぎ捨てて、愛情告白をする。
その顛末である。

 今まで愛情告白にまつわる葛藤は、すべて男性が強制されてきたことである。
女性は待つ存在で、内的な葛藤とは無縁だった。
振られるかも知れない危険を侵して、女性に愛情告白をし、女性の関心を自分に向ける。
強い男が女性に声をかけることになっている。
しかし、女性に声をかけるのは、何とプライドが邪魔することか。
男は誰でもナンパしたいが、ほとんどの男はプライドが邪魔してできないのだ。

 女性が解放され、男性と同じようになった。
そのため、女性のほうからも男性にアプローチしなければならなくなった。
ほっておくと、ただの友情で終わって、この映画のように他の女性にさらわれてしまう。
この話は映画だから、ミリーは今までの女性の典型である、男に尽くすタイプに描かれているが、相手のタイプはどうでも良い。
とにかく自分の重大な関心がある男がとられてしまう。
そのためには、プライドを捨てなければならない。
それは女性であっても、心の葛藤を呼ぶ。

 今まで男性だけに強いてきた、積極的に動く人間像を、女性にも期待するようになる。
男性と女性が同じようになれば、当然のこととして男女間の人間関係も等質になる。
この映画は今後の女性たちの、困難な状況を実に見事に表している。
女性が解放されて自由になった。
しかし自由の対価とは、必ずしも甘美なものではなく、苦いものでもある。
そうした状況に立ち至ったアメリカの女性たちに、映画は問題を投げかける。

 映画だから、しかも、まだ女性の地位が低いから、ジュリアンの違法Eメールは男性のマイクに許される。
しかし、あれを男のマイクがやったら、それ程までに私のことを思っていてくれるとは言われない。
何と卑怯な奴だとなり、絶対に許されない。
卑怯な行為は女性なら許されるが、男性の友情は拒否される。
アメリカでもこの程度である。
それにもしミリーが、ジュリアンと同じタイプの女性だったら、ジュリアンの落ち込みは深いだろうし、本当の喧嘩になってしなうだろう。

 これから女性たちは、大変な困難に直面するだろう。
古い女性像をなぞるか、男性社会に参入するか。
現在のところ、この二つしか選択肢がない。
新たな女性像はまったくない。
男性たちは既得の権力や地位・お金にものを言わせることができる。
それが古い形ではあれ、一面の頼れる男性像でもある。
自分の理念がないままに、男性と同じ土俵で勝負しようと言うのは、遅れてきた来た女性にとっては大変な負担である。

 男性が主、女性が従という古い女性像は壊した。
今後は、男性も主、女性も主である。
そう言ったとき、新しい女性像をどう作るか。
男女の違いは全くなくなるのか。生理的な違いは、社会的な違いにはまったく繋がりを持たないのか。
新たな人間像、実はこれは女性だけの問題ではない。
農耕社会にたいして、情報社会の人間の理想像の提示という意味からも、絶対に必要な作業である。
だから、これは女性だけがすればいい作業なのではない。
男性にも課せられた本当に困難な義務である。

 この映画では、ジュリアンの恋愛指南役となるジャックがいい。
彼はジュリアンが勤める会社の編集長。
もちろん彼はゲイ。
性を消した男女関係が、恋愛指南の先生役になるのは、当たり前に予測できることだが、ゲイは男女間を実に自由に動ける。
そうは言っても、この映画では見れなかったが、ゲイにも悩みはある。
ゲイになったからといって、すべてが解決するわけではない。

 この映画はコミック仕立てになっていて大いに笑えるが、女性たちが多い観客席からは、笑い声があまり上がらなかった。
我が国では、この映画の扱うことが、まだ切実ではないのだろう。
女性の解放とは、女性がちやほやされることだと勘違いされ、自由の厳しさがまったく捨象されている。
だから女性は犠牲者だとしか考えられてない。
P・J・.ホーガン監督は、「ミリュエルの結婚」を撮っており、時代を読むいいセンスをしている。
楽しく笑えた映画である。
1997年アメリカ映画。/p>


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