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魅せられて    ベルナルド・ベルトルッチ監督 

 ベルトリッチが、イタリアに帰って撮った映画だが、老人の懐古趣味に過ぎない。
1941年生まれの彼は、老いる年ではないのに、老人じみた姿勢。
彼はハリウッドで功なり名をとげた。
老いてひからびた精神が過去をなつかしみ、そのスタンスから現在の若者に向かって訓辞を垂れる。

魅せられて [DVD]
劇場パンフレットから

 この姿勢では何も生まないし、つまらない映画にしかならない。
エアロ・スミスの娘リブ・タイラーを主人公に迎え、若いアメリカ女性が自分の父親を捜しに、イタリアにいくという話だが、ストーリーはどうでもよく、ただ彼の思いを述べた映画である。

 登場人物が、監督の倫理感の中でのみ動いており、社会からの影響が薄い。
この映画のような時代を超越した共同体の中では、人間像がくっきりと浮かんでこない。
主人公が居候する家は、彫刻家の夫とその妻子、妻の連れ子、他にも何人かの人が同居している。
こうした状況設定が、今日的ではない。
イタリアでは、彫刻家として裕福な生活ができるのかも知れないが、田園に大きな家を構えて大勢の居候を養うほど現代の家庭は豊かでない。

 主人公のアメリカ女性が19才になっても処女で、彼女は素敵な男性の登場を待っている。
彼女は五年前にここに来たときに、気に入ったニコロに気があるのだが、彼は遊び人である。
監督は遊び人と結ばれることを許さない。
ニコロの弟がまじめなので、彼ならOKと監督は話を進める。

 ニコロの手紙を代筆したのは彼だということから、彼女は彼と結ばれるのだが、驚くことに彼も童貞だった。
処女と童貞のセックスが美しいと、監督は信じている非常識である。
彼らは、まったく避妊をしない。
こんなセックスが初めてとは、今後の彼女の生活が思いやられる。
性風俗が乱れている現代に、監督の解答を示したつもりなのだろうが、現代では懐疑的な解答である。

 美しい風景やきっちりとした画面構成にのって、画面が展開していくが、こうした様式はすでに新鮮でも衝撃的でもない。
イタリアもフランスと同様に、積み上げられた過去の様式のうえに寝そべり、その遺産=伝統を食いつぶしている。
ただ幸せなことに、彼らはその遺産を肯定できている。
遺産の肯定とは性交の肯定である。
それは共感を越えて、当たり前とすら感じた。
しかしわが国なら、他から若い娘が遊びにきて、近所の男と性交するといったら、大人たちは肯定的にみるだろうか。

 ヴィスコンティが見せたように、文化の成熟や爛熟が、美しく見えるときがあるのは認めるにしても、その中で人間が動く様を、現代的なところから照射しないと映画にはならない。
単に様式によりかかった姿勢からは、同時代人の気持ちを動かすところまでは、決して至らない。
年をとることは、決して精神が枯渇することではないが、彼はもはや同時代と全身で渡り合ってない。
たぶん情報社会に疲れたのだろう。

 ずっとイタリアで活動している監督が、農耕社会に足をついて、「宣告」を撮ればそれなりに納得できるが、情報社会を知った人間が農耕社会に戻っても、そこでは精神のみずみずしさを得ることはできない。
原題がstealing beautyというのも、後ろ向きである。

1996年のイタリア・アメリカ・イギリス・フランス映画


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