|
|||||
結果は、観客に判断をゆだねる作り方である。 同じ主題を扱った「宣告」が、判事の個人的な信念に基づいて、殺人犯を何とか死刑にしないように働いた。 それに対して、この映画では、死刑囚の心理と神との対話を中心として展開する。 尼僧であるスーザン・サランドンは、死刑囚と神の仲介者という役割である。 彼女が尼僧でありながら、私服で黒服を着ていなかったのが不思議だったが、この話しの展開からは私服のほうが必然的だった。 情報社会では、形式が崩壊しているのであるから。 最後に、小説「デッド マン ウオーキング」から、インスパイヤーされたとクレジットされたが、原作にほぼ近い作りである。 しかし映画では、そうしたことには触れてない。 二人組が、デート中だった若い男女を襲い、女性を強姦し二人を殺害する。 死刑執行の30分前になって、スーザン・サランドンに自分が男を射殺し、強姦したと告白する。 「宣告」のように、個人の信念として死刑反対という主張ではなく、社会性を背景として死刑を考えるこの映画では、社会との絡みを取り込んでくる視点が弱かった。 死刑囚の命も一つの命だ、というのでは説得性に欠ける。 情報社会では、特殊な階層の知識人は存在せず、誰でも知識人であり大衆である。 この映画は人間存在を問うとき、神に逃げているように感じるが、卑小な人間であることを知れば知るだけ、神にすがらざるを得ない。 この映画は毎回立ち見がでて、時間に行ったのでは入れない。 同じ映画館で上映された「宣告」が不入りで、この映画が大入りなのは、情報社会の人間存在を求めていると読んでいいのだろうか。 ショーン・ペンの演技は、悪ぶるところと死におびえる心の揺れが、自然にあらわれていた。 同じテーマを扱っても、農耕社会のイタリアと情報社会のアメリカでは、まったく違う映画になる。 | |||||
<TAKUMI シネマ>のおすすめ映画 2009年−私の中のあなた、フロスト/ニクソン 2008年−ダーク ナイト、バンテージ・ポイント 2007年−告発のとき、それでもボクはやってない 2006年−家族の誕生、V フォー・ヴァンデッタ 2005年−シリアナ 2004年−アイ、 ロボット、ヴェラ・ドレイク、ミリオンダラー ベイビィ 2003年−オールド・ボーイ、16歳の合衆国 2002年−エデンより彼方に、シカゴ、しあわせな孤独、ホワイト オランダー、フォーン・ブース、 マイノリティ リポート 2001年−ゴースト ワールド、少林サッカー 2000年−アメリカン サイコ、鬼が来た!、ガールファイト、クイルズ 1999年−アメリカン ビューティ、暗い日曜日、ツインフォールズアイダホ、ファイト クラブ、 マトリックス、マルコヴィッチの穴 1998年−イフ オンリー、イースト・ウエスト、ザ トゥルーマン ショー、ハピネス 1997年−オープン ユア アイズ、グッド ウィル ハンティング、クワトロ ディアス、 チェイシング エイミー、フェイク、ヘンリー・フール、ラリー フリント 1996年−この森で、天使はバスを降りた、ジャック、バードケージ、もののけ姫 1995年以前−ゲット ショーティ、シャイン、セヴン、トントンの夏休み、ミュート ウィットネス、 リーヴィング ラスヴェガス |
|||||
|