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デッド マン ウオーキング    ティム・ロビンズ監督

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 明らかに死刑反対の映画ではあるが、その主張は押さえて、ショーン・ペンとスーザン・サランドンのやりとりを淡々と見せた。
結果は、観客に判断をゆだねる作り方である。
同じ主題を扱った「宣告」が、判事の個人的な信念に基づいて、殺人犯を何とか死刑にしないように働いた。
それに対して、この映画では、死刑囚の心理と神との対話を中心として展開する。

 尼僧であるスーザン・サランドンは、死刑囚と神の仲介者という役割である。
彼女が尼僧でありながら、私服で黒服を着ていなかったのが不思議だったが、この話しの展開からは私服のほうが必然的だった。
情報社会では、形式が崩壊しているのであるから。

 

最後に、小説「デッド マン ウオーキング」から、インスパイヤーされたとクレジットされたが、原作にほぼ近い作りである。
原作では、南部の数州で全米の三分の二の死刑が執行されているとか、テキサスでは最近10年間に300人近い死刑執行があったとか、白人を殺すと死刑になりやすいが黒人を殺しても死刑にならないとか、いろいろと驚かされる事実があった。

 しかし映画では、そうしたことには触れてない。
ただ、死刑囚は貧乏人が圧倒的に多いことだけが、語られていた。
原作では、ショーン・ペンの話し以外にも、前後に様々な話しがある。
映画はショーン・ペンの話しだけに絞り込んであり、処刑も原作と異なり電気椅子ではなく、化学薬品の注入によっている。

 二人組が、デート中だった若い男女を襲い、女性を強姦し二人を殺害する。
主犯格だった男は無期懲役になり、ショーン・ペンは死刑になる。
不公平な判決に心を閉じた彼は、収監されていた六年間にわたって、ふてぶてしい態度をとり続けてきた。

 死刑執行の30分前になって、スーザン・サランドンに自分が男を射殺し、強姦したと告白する。
それから、正直に告白したあなたは神の心に導かれるとか、神の子であるとか、神の洪水になる。
「宣告」が個人の内面的な信念だったのに対して、神が出てくるこの辺が少し馴染めないが、誰に対しても神が登場せざるを得ないのが、情報社会だとすれば当然かも知れない。

 「宣告」のように、個人の信念として死刑反対という主張ではなく、社会性を背景として死刑を考えるこの映画では、社会との絡みを取り込んでくる視点が弱かった。
被害者の親の気持ちを考えろというのが、唯一の死刑囚に対する反論だったが、死刑賛成の論理と、反対の論理をくっきりと対立させて欲しかった。

 死刑囚の命も一つの命だ、というのでは説得性に欠ける。
しかし、「宣告」が古い農耕社会の知識人の孤独だったとすれば、この映画の扱う時代は、すべての人間がそれぞれに人間存在を問われる個化された社会の孤独である。
それだけに難しいことはよく判るが。

 情報社会では、特殊な階層の知識人は存在せず、誰でも知識人であり大衆である。
骨太な信念の誇示は、もはや不可能であることをこの映画は前提にしており、「宣告」より困難な時代状況のなかで、なお死刑の廃止を訴える。

 この映画は人間存在を問うとき、神に逃げているように感じるが、卑小な人間であることを知れば知るだけ、神にすがらざるを得ない。
この映画が出発点だとすれば、神にすがるのは認められても、次には大衆それ自体が自立する形を見せて欲しい。
それとも、個化される社会には、自立の拠点はないのだろうか。

 この映画は毎回立ち見がでて、時間に行ったのでは入れない。
二回から三回先まで、売り切れになるほどの人気であるが、重いテーマで有名な俳優が出てもいないのに、なぜこんなに人気があるのだろうか。

 同じ映画館で上映された「宣告」が不入りで、この映画が大入りなのは、情報社会の人間存在を求めていると読んでいいのだろうか。
もしそうなら、わが国の若者も大した者である。若者たちは、情報社会の生き方を模索しているのかも知れない。

 ショーン・ペンの演技は、悪ぶるところと死におびえる心の揺れが、自然にあらわれていた。
スーザン・サランドンの演技は一本調子で、顎を突き出し目を大きく開く表情が多く、心理劇には不向きなのではないだろうか。
「テルマ アンド ルイーズ」は適役だったが、旦那のティム・ロビンズが監督しているので、彼女が主役になるのは仕方ないのだろうが、ミス キャストである。映画としては、必ずしも上出来だとは思えない。

 同じテーマを扱っても、農耕社会のイタリアと情報社会のアメリカでは、まったく違う映画になる。
大きなテーマにまじめに取り組んでいながら、お金はそれほどかかってない。
個化する社会だからこそ、死刑廃止を訴えなければならないと、考えるティム・ロビンスやスーザン・サランドンの姿勢には、頭が下がる。
1995年アメリカ映画。


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