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実生活で若い男性を、次々に食べまくっているドリュー・バリモアが、食べた恋人を相手に映画を撮った。 そんな感じの作品で、内容的には見るところは、ほぼないと言っていい。 フェミニズムをくぐっているので、女性が男性のほうへ引っ越しすることはない。 反対に、男性が女性の近所に職業を探して、エンディングになる。
速攻でベッドイン。 一夜明けても、多いに未練が残った。 しかし、エリンはサン・フランシスコに住み、就職のインターンでニューヨークに来ただけだった。 学業のために、サン・フランシスコへと戻るエリン。 ここで終わったら、映画が成り立たない。 2人は遠距離恋愛を始めるのだった。 すでにこうした映画はある。 だから、どう新鮮味をだすかだが、興味を引くものはほとんどない。 ドリュー・バリモアの頑張りには、頭が下がる。 浮き沈みの多いハリウッドで、彼女は麻薬などの過去を克服して、自立した道を歩いている。 今ではプロデューサーとしても、辣腕をふるっている。 すでに年がいって、この映画でもヒロインを演じるのは、痛々しいばかりである。 にもかかわらずの頑張り、立派である。 ギャレットは、そこへエリンを連れ込むのだ。 このアパートの壁は薄く、隣室の音は筒抜けである。 にもかかわらず、2人は多いに励んだ。 コメディ映画だから、当然に、隣室の悪友から、チャチャが入る。 2人は適当に相づちを打ちながら、欲望の虜となっていく。 隣室から音が聞こえてきても、無視するのがアパートのルールだというのだ。 良い友たちだ。 だから悪友というのだろう。 最近では、我が国でもルーム・シェアーとか、ハウス・シェアーが流行ってきた。 我が国では、セックス御法度が多いように聞く。 しかし、アメリカでは隣人のセックスには、知っていても干渉しないのがルールのようだ。 この映画でも、そうしたルールが見え隠れする。 ニューヨークにかぎらず、海外には、我が国のような手軽で清潔なラブ・ホテルはない。 そのせいもあるのだろうが、アパートに異性を連れ込んでも、黙認する例が多いように感じる。 居間の他に3室あり、それぞれが個室をもっていた。 しかし、この映画のように声は筒抜けである。 そこへ、1人の女性が男を連れ込んで、大きなよがり声を上げていたが、他の女性たちは何も言わなかった。 外部の男性が、隣室にいるのを知っていても、女性はどうどうとよがっていた。 だから、多くの住人が同じような感覚なのだろうと思う。 上記のような背景があるから、この映画でも、ギャレットとエリンはよろしくやったのだろう。 こんな場合、我が国だと、どんな具合になるのだろうか。 多分、よがり声が響きまくったら、クレームをつけられて、シェアーができなくなるだろう。 他人のセックスに対する排他性にも、我が国の人間関係の難しさがあるのかも知れない。 GOING THE DISTANCE 2010年アメリカ映画 (2010.11.23) |
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