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 パイレーツ ロック
リチャード・カーティス監督

 どこの国でも1960年代までは、古い権威が残り、規制が厳しかった。
髪の毛は七三に分けて、きちんと刈り上げる。
上下そろいのスーツを着て、白いワイシャツにネクタイを締める。
それが社会の常識だった。
しかし、じょじょに変化の胎動が始まっていた。

Pirate Radio
IMDBから

 当時のイギリスはラジオ局がBBCしかなく、しかもレコードの演奏時間が決められていたので、若者たちにはきわめて不評だった。
そこで海賊放送が登場した。
公海である黒海の上に、船を浮かべて、ロックをがんがん鳴らす。
電波は国境など軽々と越えて、イギリス国内へととんでいく。

 海賊放送は、船から電波を発していたので、どうしても共同生活になる。
当時は、コミューンの動きがあったことも手伝って、ロック狂いたちがご機嫌な共同生活を送っていた。
映画は高校中退のカール(トム・スターリッジ)が、この船に紛れ込むところからはじまる。

 当時の権威は、反抗音楽=ロックを許せない。
海賊放送を抹殺した歴史があるので、物語の結末は想像がつくだろう。
ほんの数年で、消滅させられてしまった。
当時は我が国でも、自由な放送に憧れたものだ。

 
 1960年代初期の人物風景や、流行がわかってとても懐かしい。
この映画を見ていると、ロックが反抗の音楽だったことがよく判る。
そして、放送が自由への砦になるのだ。
1968年にはパリで5月革命がおきるのだが、当時は権威に反逆する空気が世界中にあった。

 第二次世界大戦から20年たったが、戦争では市民的な権威は崩壊しなかった。
背広が制服となったとはいえ、家父長制は強固だったし、年齢秩序や男女差別は厳然としていた。
しかし、工業社会が成熟をはじめ、じょじょに個人の輪郭がはっきりしてきた。
個人の自立が大衆レベルで始まっていたのだ。

 どんな政府も、みずから権威を取り下げることはない。
権威や体制は変化をきらう。
今のままなら、自分たちは美味しい生活ができる。
現状維持こそ権威の望むところだ。
だから、変化の芽をまず弾圧する。
しかし、若者は我慢できない。
自由が欲しい。
工業社会になり豊かさが見えてきた。
そこで若者は、自由がなければパンもないと言いだした。

 クエンティン(ビル・ナイ)の経営する海賊放送は、24時間放送だったので、DJもたくさんいた。
アメリカ人ザ・カウント(伯爵)(フィリップ・シーモア・ホフマン)、デイヴ(ニック・フロスト)、サイモン(クリス・オダウド)、マーク(トム・ウィズダム)、ボブ(ラルフ・ブラウン)、それに、ギャヴィン(リス・エヴァンス)といった男たちが、一つの船に乗っていた。

 マリファナが広まりはじめ、フリーセックスも実践され始めていた。
土曜日は、女性たちが本土からやってきて、夜の楽しみが始まった。
その後になれば、先進国ではマリファナはほぼ自由化されたし、女性が解放されて、セックスの自由化も進んだ。
しかも、フェリシティ(キャサリン・パーキンソン)という女性のゲイまで乗せて、この船は時代の最先端を行っていたのだ。
しかし、彼女の仕事は炊事係というのが、当時の女性の地位を物語る。


 我が国では、ジャズもロックもフォークソングも、そしてラップもすべて海外からきた。
そのため、ロックの特異性がよく判らない。
しかし、ロックは反抗の音楽なのだ。
自由への叫びが、ロックだった。
それはどんなに強調しても、強調しすぎと言うことはない。

 いまアニメ文化を生みだしているが、いままで我が国では、自分たちから近代文化をうんだことはない。
すべて外来のものだ。
1968年の学生運動だって、結局、我が国内で終焉してしまって、近代を越える文化にはなり得なかった。
自由への運動には、たどり着かなかった。

 放送局の果たす役割も、訴えるものがある。
我が国のマスコミは、体制側の情報を流している。
かつてのBBCと同じである。
我が国のマスコミが、自由を謳うなど考えられない。
しかし、弾圧の嵐が吹きすさぶなか、中央・東からヨーロッパ全土で、放送局の果たした役割は大きい。
だから、体制側も反体制側も、まず放送局を押さえるのだ。

 戦車が目の前にいても、自由放送局からかすかに聞こえてくる声が、どれだけ人々の励ましになったことか。
自由放送局は貧弱な設備のなかで、かろうじて微弱な電波をだしている。
それでも解放を求める人には、大きな励ましになり、心強いものだろう。

 この映画は、ロックという反抗の音楽をつうじて、放送局の役割もしめしている。
海賊放送も最後には、海洋犯罪法が成立し違法となってしまう。
そして、船が沈没の憂き目にあうが、救助のために大勢のリスナーが、小舟で駆けつけてくる。
このシーンは、おもわず目頭が熱くなる。

 大衆とは確かに衆愚である。
しかし、愚かな大衆が文化を生む。
現状維持が体制の利益だから、賢い体制は何も生まずに、現状維持を図るだけだ。
愚かな大衆は、ロックを生んだ。
賢く冷徹な体制より、ロックを愛する愚か者のほうが、ボクははるかに好きだ。

 振り返ってみるとき、我が国のラジオ局は、何をやっているのだろうか、と思う。
どこをまわしても、同じようなお喋りばかり。
詰まらないお喋りの間に、やっと音楽を挟んでいるだけ。
それだって、海外の流行を早く知ったに過ぎず、DJ独自のポリシーというわけではない。

 今やイギリスだって、我が国よりはるかに多くの局がある。
我が国では、音楽専門の局ができないのだろうか。
詰まらないお喋りはもういいから、音楽だけを流して欲しい。
ボクは海外のインターネットラジオを、聴いていることが多くなった。

 原題は「The Boat That Rocked」   2009年イギリス・ドイツ映画


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