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久しぶりのイタリア映画で、アメリカ映画とのタッチの違いを感じる。 カメラ・ワークはとても丁寧で、音楽も凝った使い方である。 カメラはしっかりと固定され、ゆっくりと画面が動いていく。 なつかしい感じすらした。
イタリアの小さな村で、少女アンナが殺され、全裸で発見される。 少女といっても高校生くらいの年齢で、性的な背景を感じさせるが、死体は処女だとわかった。 刑事のサンツィオ(トニ・セルビッロ)が、捜査を進めていくと、何人かの容疑者が浮かび上がってくる。 最初に逮捕されたのは、アンナの友達の若者だが、最初から彼は犯人ではないとわかってしまう。 映画の作り方として、最初に疑われる人間は、まず犯人ではない。 そうしないと、物語が始まらないからだが、この映画は説得性が弱い。 観客は彼が犯人ではないと思っているから、よほどの描きこみが必要である。 しかし、彼が殺す動機がないから、犯人と思わせるのは無理である。 これが物語への導入だろうが、物語とまったく無関係なのだ。 マリオと父親(オメロ・アントヌッティ)の険悪な関係は、殺人とは無関係だし、知恵遅れも関係ない。 しかも、マリオの父親が、マリオを虐めるが、これも無関係。 映画というのは、さまざまなエピソードが絡み合って、終盤へとむかうものだが、無関係のエピソードを並べても無意味である。 アンナはカリーナ夫妻のベビーシッターをやっていた。 3歳になった子供を、アンナは大変可愛がっていた。 子供は引きつけたり、夜泣きがひどく、両親はほとほと手を焼いていた。 たまたまビスケットを食べたら、それが喉に詰まり、窒息してしまった。 しかし、父親のコッララード(ファブリツィオ・ジフーニ)は、なぜか救急車を呼ばない。 アンナが手配したが、死んでしまった。 アンナは自分が不治の病気だと知るや、父親のコッララードに付きまとい、子供を殺したことを責める。 そして、自分を殺すようにし向ける。自分を殺させることが復讐だったのだ。 現代社会の不可解な殺人と違って、古典的な動機を持った殺人である。 それを刑事が昔風の地味な捜査で、逮捕までつなげていく。 こうした映画では、すでにたくさんの名作が撮られており、動機と犯人の関係が不鮮明だと、説得力が弱い。 この映画では、生きているアンナが、ほんのちょっとしか出てこないし、子供を見殺しにするシーンも描かれない。 しかし、刑事のサンツィオの奥さんが、認知症で施設に入っており、すでに娘も判らなくなっているとか、女性刑事が妊娠中で、出産に夫が立ち会わないのを説得してくれないかとか、こうしたエピソードがよくわからない。 事件とは無関係のエピソードと、事件の捜査が上手く絡んでいない。 無関係のエピソードが、何か浮いてしまっている。 離婚したコッララードの妻キアラ(バレリア・ゴリーノ)が、画廊をやっており、そこへもサンツィオがいく。 こちらは自然な感じだった。出てくる女性たちが、みな美人そろいで、韓国映画のようだ。 2007年イタリア映画 |
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