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ややご都合主義的な前提ではあるが、よくできたサスペンス映画で、星を献上する。 現代のアメリカ社会をよく描いている。 原作はイギリスのテレビドラマだというから、イギリスもこうなのだろうか。 雨のワシントンDCで、1人の浮浪者が逃げまわったあげくに殺される。 このシーン、逃げおおせたと思った時に、発見されて改めて射殺される。 ここは殺されることが予測できてしまうので、ちょっと考えようがあっただろう。
その翌朝、連邦議会議員スティーヴン(ベン・アフレック)の秘書であるソニアが、地下鉄のホームで電車を待つシーンが映る。 ソニアが殺されることが感じられる。 しかし、自殺だと報道される。 2つの事件が結びついていく。 その展開は想像をこえており、観客を画面へと引き込んでいく。 とくに後半までの緊張感がよく持続しており、優れた映画だと思う。 連邦議会でスティーヴンは、戦争請負会社ポイントコープ社の、利権と謀略を追っていた。 ポイントコープ社はスティーヴンの追及をかわすために、スパイとしてソニアを送り込んだ。 しかし、ソニアとスティーヴンは愛人関係になってしまい、情報をポイントコープ社に流さなくなってしまった。 そこで、ポイントコープ社によって自殺を装って殺されて、愛人関係にあったことが暴露される。 同僚議員ジョージ(ジェフ・ダニエルズ)からも、大人しくしているように忠告される。 奥さんのアン(ロビン・ライト・ペン)との関係も最悪になっていく。 最近のサスペンス映画は、簡単な構造ではない。 何度も何度もひっくりかえる。 事件を追うのは、ワシントン・グローブ紙の記者カル(ラッセル・クロウ)なのだが、ワシントン・ポスト紙らしいこの新聞社は、ネット新聞に押されて経営が苦しい。 WEB版は好調なのだが、紙版は苦戦している。 カルは調査報道を信条にしているので、高給を取りながら記事を上げるのが遅く、編集局長キャメロン(ヘレン・ミレン)に嫌みばかり言われている。 それに対して、WEB版の記者デラ(レイチェル・マクアダムス)は、フットワークも軽く、わが世の春を謳歌している。 浮浪者の殺人と、ソニアの殺人が結び着いていく過程が、カルによって暴かれていく。 デラも本物の大事件と感じたらしく、WEBタッチではないものを追求しようとする。 反発を感じながらもカルに協力していく。 カルとスティーヴンは大学時代の同室だったとか、カルはスティーヴンの奥さんアンと肉体関係があったとか、ちょっとご都合的に過ぎる感じだが、ここは目をつぶろう。 スティーブンはパパラッチを逃れて、カルのアパートへ転がり込む。 カルは特ダネにであった予感がして、全身全霊で事件に突き進んでいく。 ポイントコープ社のPRを請け負ったドミニク(ジェイソン・ベイトマン)を脅迫的に取材したところ、ソニアが2万5千ドルで雇われたことなど、事件の背景がうかびあがってくる。 この取材方法は、もちろんマスコミの倫理違反である。 ポイントコープ社は同僚議員のジョージをつうじて、ソニアをスティーブンに結びつけた。 スティーブンは同僚議員にはめられたのだ。 しかも、ソニアは妊娠中だったことも判る。 カルとスティーブンは、力を合わせてポイントコープ社の利権と謀略を、暴露しようと約束する。 しかし、最後にはまたどんでん返しがある。 ネット新聞のように、フットワークが軽くない。 アメリカでは紙媒体の新聞が、ネット新聞に食われて、どこでも経営状態が悪い。 それが映画の全編を通じて訴えられている。 しかし、この映画の基調は、調査報道を支持している。 調査報道自体は、紙媒体でもネットでも変わらないだろうから、先細りは紙媒体新聞自体の属性のせいだろう。 映画の扱うもう一つの話題が、戦争請負会社である。 いまやアメリカの国防予算の少なからずの部分を、戦争請負会社が占めている。 私企業が大きな役割を持ち始めているのは、ピータ・W・シンガーが「戦争請負会社」で描くとおりである。 国防費とは税金から出ているのだから、利権と謀略は許すわけにはいかない。 この映画の構造は、古いタイプの新聞記者が、WEB記者と協力する形になっている。 トーンとしては古いタイプのほうに味方している。 カルは中年の独身で、無精髭で髪はぼうぼう、車は古いサーブである。 しかし、事件への情熱は凄まじく、記事のためなら非合法なこともやってしまう。 デラは若くて清潔で、事件への執着心は薄いが、非合法な調査はしない。 我が国では新聞は宅配であるが、アメリカでは必ずしも宅配ではない。 自分から買いにいかないと、新聞を読むことはできない。 とすれば、ネット新聞をお気に入りに登録すれば同じことだ。 しかも、記者クラブなどないから、ネット新聞も取材ができる。 新聞社に特権がないなかで、記事を作らなければならない。 厳しさは我が国の比ではない。 新聞記者が権威者であるように登場し、エスタブリッシュメントの手中にあるのでは、批評的立場を維持できるはずがない。 とくに国際問題を扱わせると、我が国のマスコミはまったく無能である。 編集局長が女性だというのも公正だと思うが、カルとデラの関係も考えさせる。 先輩が後輩を教えながら、デラの記事はあくまでデラの記事だと扱う。 若い女性でも記事に署名させるのだ。 ネット新聞であっても、記事は最後的には個人が書くものだ。 現実は違うかも知れないが、やはりこうであって欲しい。 ここにアメリカの公正さを見る。 太ったラッセル・クロウははまり役だったが、ベン・アフレックは演技が硬く、大根だった。 この映画は、英国のテレビドラマ、「State of Play」(陰謀の構図)を基にしたものだという。 原題は「State of Play」のままだが、怪しげな邦題はどこからでてきたのだろう。 2008年アメリカ映画 |
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