タクミシネマ      グラン トリノ

グラン トリノ  クリント・イーストウッド監督

 1972年製のフォード<グラン トリノ>をこよなく愛する頑固な老人と、インドシナ半島からアメリカに来たモン人の家族との交流を描いている。
ミリオンダラー ベイビィ」と同じ主題で、血縁の家族を否定し、心のつながりを大切にする話である。

IMDBから

 クリント・イーストウッドは、ハリウッドでは少数派の共和党支持者である。
オバマ大統領を支持せずに、彼はマケイン支持だった。
その彼が、頑固一徹に血縁の家族を壊そうとしている。
しかも、自主自立をえがくこの映画は、まごうことなく共和党の草の根民主主義に負うものだ。
共和党は保守派と見なされているが、我が国の保守派とはまるで違う。

 元軍人のウォルト(クリント・イーストウッド)は、奥さんに先立たれ、しかもあまり裕福ではない老人生活を送っていた。
彼の家のまわりは、アジア人や黒人たちが住むようになり、もはや貧困住宅地といっても良かった。
隣の家には、モン人の家族が引っ越してきた。
庭の手入れをしない隣人に、彼は馴染めない。

 
 ある晩、グラン トリノが盗まれそうになる。
その実行犯は、隣家の少年タオ(ビー・バン)だった。
タオはアジア系のチンピラたちの脅しに負けて、盗みに入ったのだ。
家族たちがタオを連れて、謝りに来たことから、両者のあいだに行き来が始まる。
タオは謝罪の意味で、彼のために働き始める。

 アジア人たち家族は、習慣こそ違え、知り合ってみれば、良い人たちだった。
とくにタオの姉のスー(アーニー・ハー)は、彼のお気に入りになる。
時代遅れのウォルトには、伝統に生きるアジア人たちが、馬鹿に心地よかった。
先進国のアメリカで時代に乗り遅れると、途上国から来たアジア人の感覚とちょうど合うのだ。

 タオたちは、かつてのアメリカ人と同様に、家族や血縁の絆が強く、真面目に生きている。
それにたいして、ウォルトは自分の息子たちすら理解できず、親子関係は最悪である。
ませた孫たちにも、愛情を感じられない。
今風の流行は、彼の神経を逆なでする。
彼は古き良きアメリカ人なのだ。

 アジア人の作る食べ物は、アメリカ人には信じられないくらいに美味い。
1人暮らしの彼には、美味い物を作る技術がない。
食い物に吊られて、ウォルトはアジア人たちにメロメロになっていく。
タオを虐めたチンピラを締め上げたことから、タオの家は報復を受け、しかも、スーが暴行を受けて帰ってきた。

 彼は報復を訴えるタオをおいて、1人でチンピラたちの家に行く。
すでに喀血している彼には先がない。
報復の方法は、自分の身体を的にして、射殺されることだった。
チンピラたちは衆人環視のなかで、ウォルトを射殺する。
たちまち警察に逮捕されて、無防備の老人を射殺したので、長期刑が予測される。
これでタオにまとわりつくチンピラはいなくなった。
めでたし、めでたしである。


 クリント・イーストウッドは真面目に努力する人が大好きである。
しかも、今風の軽い職業ではなく、重厚長大のアメリカが好きなのだ。
ボクシング同様、グラン トリノは輝けるアメリカの象徴である。
エコカーだって、ハイブリッド車だって!
薄っぺらい日本車など、クソ食らえである。

 息子は日本車のセールスマンである。
これが気に入らない。
孫がお臍にピアスをしているのも気に入らない。
しかも共和党支持だから、自分の家の芝生に入ったら、ライフルで撃つつもりである。
とにかく古色蒼然たる老人である。
そんな彼だが、血縁の家族には、まったく未練がない。

 「ミリオンダラー・ベイビー」でも、彼は弟子のマギーに思い入れを入れていた。
「ミリ・ベ」ではマギーに血縁の家族を拒否させたが、この映画では自分が血縁の家族を拒否する。
死にあたって、家は教会に寄付し、グラン トリノを欲しがっていた孫には、遺贈しなかった。
死の直前、可愛がったタオに、グラン トリノを遺贈した。

 我が国では、法定相続が多く、遺言による相続は少数派である。
アメリカでは遺言による相続が多く、相続は遺言次第である。
相続税の廃止で揺れるアメリカだが、やはり多くは配偶者や子供に、財産を残す場合が多い。
クリント・イーストウッドは共和党でありながら、血縁の家族を否定しまくっている。
これで子供サイドからも親サイドからも、血縁の家族を否定してしまった。

 同じ主題を使いまわしているので、やはり新鮮さに欠ける。
しかも、年寄りの白人と若いアジア人、つまり、教える者と教わる者という組み合わせが、人種に重なってくるので、展開がちょっとギクシャクしている。
大柄なクリント・イーストウッドと、小柄なアジア人というのも、パターナリズムを感じさせる。

 主題については、まったく同意するが、映画の作り方はやや雑である。
1つ1つのエピソードが、完璧なハーモニーを奏でておらず、辛うじてまとまっているに過ぎない。
たとえば、ラテン系のチンピラや黒人のチンピラたちなど、物語のなかでの絡みが薄い。
神父の扱いにしても、もっと必然性を持たせるべきだ。

 若い神父が、ウォルトの死に教えられるという下りは、通俗的なエンディングである。
おそらく原作がイマイチなのだろう。 
 2008年アメリカ映画

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