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「3丁目の夕日」で、昭和の中頃の話がヒットしたので、そのあとを狙ったのであろうか。 美術など丁寧に作られてはいるが、映画としては何を言いたいのだか分からず、 肩すかしを食らったような感じだった。 人気作家の原作というが、夫婦・親子の人間関係に、絶対的な無理がある。
現代に住む真次(堤真一)が、ひょんなことから東京オリンピックの頃に、タイムスリップする。 地下鉄の地下街が、現代と過去をつなぐトンネルだった。 永田町の地下と、新中野の地下が、どこかで繋がっているらしい。 新中野で地上に出てみると、そこは昭和39年だった。 真次の家は、父親の小沼(大沢たかお)がワンマンで、家の者に暴力をふるい、妻をはじめ家中がピリピリしていた。 そんな父への反発のため、真次は成人すると家を出て、母方の姓を名乗るようになった。 そして、今まで父親とは別に生活してきた。 それが、昭和39年の世界に行ってみると、当時の家の人間模様が分かってきた。 ワンマンな父親は、長男である兄に東大受験しか許さず、京大受験を許さなかった。 その兄は、大学受験の直前に交通事故で死んだが、 じつは長男は母親から父親が違うことを知らされたので、 半ば自殺のようにしてトラックにはねられて死んでしまった。 そうした事実も、昭和39年の世界にもどって初めて分かった。 そのうえ、同僚のみち子(岡本綾)と肉体関係があり、いわば社内不倫を続けていた。 妻との関係は、ほとんど描かれない。 タイムスリップに理解を示したみち子と一緒に、昭和39年に飛び、そのうえ、戦後の闇市のあった昭和21年にも飛んでしまう。 昭和39年へは、小沼家の人間関係を知らせるためで、 昭和21年へは、父親の来歴を知らせるために、描かれる。 父親は満州から帰って、闇市で米兵相手の売春婦(常盤貴子)と出会い、 戦後のどさくさを2人でしぶとく生き、会社を立ち上げる。 彼はその会社を大会社へと成長させたが、別の女性と結婚し、真次と弟をもうけていた。 この映画は、暴力的でワンマンだった父親だが、彼なりに良いところがあった。 どんなにダメな親でも、子供は父親を敬うべきだ、と言っているのだろうか。 後半は、そうした事情を描き込んでいく。 父親は、別の男性の子供を妊娠中だった母親と結婚し、生まれた子供を自分の子供として育てた。 しかも、父親違いの子供に期待していたがゆえに、東大進学を強制したのだという。 そのうえ最後には、醜悪な事実が明らかにされる。 真次の不倫相手であるみち子は、小沼と売春婦とのあいだにできた子だった。 つまり真次とみち子は、同じ父親で母親こそ違うが、近親相姦を続けていたのだ。 しかし、2人は兄妹だと知っても、何の驚きも示さないし、2人の感情には何の変化もない。 兄妹だったことを知って、何の変化もないことがあるだろうか。 家族という男女関係の描写に、ウソっぽさが多いことだ。 息子と夫が対立したときには、ひどい暴力夫でどんなに殴られても、妻は息子ではなく夫の側につくものだ。 夫婦の仲が冷め切っていても、父と息子が対立すると、それを切っかけに夫婦仲はヨリが戻りさえする。 小沼が生きているにもかかわらず、母親が真次の家に同居することはあり得ない。 父親と対立する息子が、母親に家出をすすめても、母親は息子を選ぶことはない。 母親はけっして夫の元を離れない。 これは考えてみれば当然のことだ。 息子が父親と対立して家出するときには、息子はまだ若くて経済力はない。 暴力的でワンマンではあっても、裕福な夫の元を離れたら、女性は生活が成り立たない。 夫に養われることが母親だったのだから、夫が死なない限り、子供に養われる道は選びようがない。 反発している息子が、説得されて病院に見舞いに行くシーンがあるが、 あの場に母親がいないことはない。 父親の違う長男を引き受けてくれたのだから、病院で末期になっている父親には、 妻である母親が付き添っているはずである。 この映画が描くのは、真次の生活が順調に回り始めてだから、母親の同居が自然に見えてしまうが、 ここまでくる前提を考えると、こんな夫婦・親子関係はあり得ない。 末の弟が、跡取りとなっているのは良いとしても、 夫婦をやった男女の仲は、子供からの働きかけで分離することはない。 撲たれ妻は、最初に殴られたときに離婚しない限り、あとは何度殴られても離婚することはない。 殴られることによって、一種の共依存が成り立っているから、 殴られても殴られても、女性は決して離婚を選ばない。 理屈で通るとしても、夫婦という生活がからんだ男女関係は、きわめてヌエ的なものだ。 母親が夫と息子を天秤にかけたときは、どんな悪い夫でも無条件に夫を選ぶ。 夫婦関係を壊す鍵になるのは、世代の違う子供ではなく、 女性自身の内面的なものであり、子供以外の男性であることのほうがはるかに多い。 女性が夫との生活に幻滅し、単独で離婚することはある。 しかし、父子対立のなかで、子供について母が家出することはない。 関係性のなかで母親が父親から別れるのは、 自分と同じ世代である男性、つまり肉体関係が成立しうる男性が登場して、女性に目覚めたときだけである。 父母(=男女)vs子供という家族関係が、いままでの家族だったのであり、 この映画のような夫婦・親子関係はありえない。 日々文句を言いながらも、出世した夫に従っていくのが、専業主婦の女性たちだった。 それなりに時代考証をして、古い物をそろえている。 ここまでやるのは、大変だったろうと思う。 しかし、古い物が新しいままで、最近の制作だと分かってしまう。 古い物を作ったら、時代をかけて欲しい。 カラーの発色がくすんでおり、ちょっと不自然だった。 2006年日本映画 (2006.11.8) |
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