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映画的な手法や物語の展開の仕方など、職人芸的な上手さを見せるが、何とも大時代的な映画である。 1987年に公開された「危険な情事」から、一歩もすすんでいない。 ウッディ・アレン老いたり、である。
プロのテニス選手だったクリス(ジョナサン・リス・マイヤーズ)は、トーナメント・プロをやめて、ロンドンの高級テニス・クラブの専属コーチになった。 そこでトム(マシュー・グード)と仲良くなり、彼の家族にも紹介される。 妹のクロエ(エミリー・モーティマー)から、思いを寄せられるようになる。 貧しいアイリッシュだった彼には、クロエはもったいない相手だった。 しかも、彼はクロエの両親からも気に入られ、婚約者から結婚へとトントン拍子だった。 そして、クロエの父親の経営する大手企業に入って、出世が約束された。 しかし、トムの婚約者だったノラ(スカーレット・ヨハンソン)と出会って、彼の人生が狂った。 セクシーなノラは、トムの婚約者でありながら、クリスを挑発し彼の求めに応じた。 一度結ばれると、彼はノラの虜になっていった。 トムとの婚約が破談になって、ノラは一時身を隠したが、偶然の再会が情事に火をつけた。 彼はクロエと結婚しているので、自由に会うわけにはいかない。 それがまた彼の欲望をかきたたせる。 彼はノラとのセックスにおぼれていった。 彼は堕胎するように望むが、彼女は産むと言ってきかない。 クロエと離婚し、自分と結婚するように迫る。 貧乏アイリッシュの彼は、クロエの父親の会社だから、採用されたのであり出世できたのだ。 クロエと離婚すれば、すべてが水の泡である。 ノラと結婚しても、どうやって生活を立てればいいかわからない。 離婚は論外である。 そんなとき、クロエも妊娠する。 とうとう彼は重大な決意をする。 クロエの別荘から猟銃をもちだし、強盗をよそおってノラの隣人を射殺する。 そして、ノラがその場に、偶然に帰宅したかのごとく仕組んで、彼女を射殺してしまう。 もちろん、警察は彼を参考人として調べるが、盗品が別の事件の犯人から発見されたので、彼に容疑が及ぶことなく映画は終わる。 事件がいつバレルかと、ハラハラドキドキさせる。 テニスのネット上で、ボールがどちらの転ぶか、それが勝負の分かれ目だと、最初の伏線がよく効いている。 盗品のリングが、橋の欄干にあたって、川のなかに落ちずに、手前の地面に落ちる。 それがボールに重なって、渋く働いている。 そうした意味では、よくできた映画ではある。 しかし、ノラの対応が、もはやありえなのだ。 現代女性だって既婚者との不倫もしよう。 既婚者を愛してしまうかも知れないし、妊娠するかも知れない。 しかし、ノラのような対応は、女性に稼ぎがなかった時代のものだ。 1987年に公開された「危険な情事」の頃は、女性がセックスを許すことは、結婚を前提にしていた。 当時は、性的欲求に飢えた男性に、女性はセックスをちらつかせて、 結婚へと誘導し、生涯にわたる経済的な保証を獲得した。 セックスが女性の全人格だったから、セックスだけを食い逃げをする男性を許せなかったのだ。 そのうえ、妊娠すれば結婚することが、当然のお約束だったから、 婚前交渉にも女性は応じたのだった。 一度セックスを経験すると、ほかの男性との結婚に、大きな障害となった。 だから、女性がセックスに応じるのは、結婚が前提だった。 しかし、女性に稼ぎが生じると、結婚とセックスは切れてきた。 女性がセックスを楽しんだとしても、結婚しなくても女性は生活できる。 結婚には相手が必要だが、セックスにも相手が必要である。 セックスという快楽は一時的なものだが、結婚は長い期間にわたって続く。 両者が一致するのは望ましいが、しかし、セックスの相手と結婚相手が、かならず同じである必要はない。 ここで男性は、性的な快楽を与える生き物にすぎなくなった。 いまや男性との結婚が、女性の人生を保証することはない。 現代映画では、この映画のような主題は、すでに語り尽くされている。 いまや女性にとって、男性は辛うじてセックス・フレンドとして、キープするかも知れない存在である。 現代女性にとって、妊娠したのに結婚しないという男性は、むしろ女性のほうからお払い箱にするだろう。 そんなヤツと結婚しても、先が見えている。 そのくらいに女性の経済力も上がり、意識も先鋭化してきた。 1935年生まれの71歳になる老監督には、時代の変化がわからないようだ。 映画の職人芸的な上手さはあるが、主題がまったく時代遅れなのだ。 小柄で胸の大きなスカーレット・ヨハンソンは、オヤジたちにはセクシーだと評判かも知れないが、 現代的な女性の魅力ではない。 もちろん小悪魔的なセクシーさは、いまだに女性の魅力の1つではあるが、しかし、それはすでに主流にはならない。 アメリカにかぎらず、男を翻弄する<運命の女>は、いつの時代にもいるだろう。 男女がいるかぎり、セックスの魅力も永遠だろう。 しかし、今やセックスと結婚は関係ない。 ほんとうに力のある女性は、子供が欲しければ、人工授精を選ぶだろう。 また、妊娠したとわかれば、さっさと独力で生活し始めるに違いない。 ギャラリーで偶然に再会したときにも、 電話番号を教えろというクリスの言葉に、後がどうなるかわかっていながら応じてしまう。 ノラは常に待つ存在である。 待つだけの女性像は、今やちっとも魅力的ではない。 この映画のノラのように、取り乱して泣き叫ぶ醜態は、一時代前のものだ。 古い様式美をきちっと再現してみせるのも、達者だった老人の特徴だし、 使われる音楽や絵画の趣味も良い。 彼の栄光を偲ばせるには充分の映画である。 年齢というのは残酷なものだ。 一時はシャープなセンスを見せたウッディ・アレンだが、いまでは完全に時代に追い越されている。 この映画には、星を付ける対象になるものは何もない。 実績のある監督だから、出資者は集まるだろうが、 彼の思うままに撮らせると、時代遅れの作品になってしまう。 ウッディ・アレンの映画製作には、アメリカではさまざまな注文がでるに違いない。 そのために、彼はアメリカを嫌って、イギリスで撮影したのだろう。 プロデューサーたちの心配通りの仕上がりである。 ところで、我が国にはお上意識がつよく残っているので、 我が国の映画ならノラを殺したあと、桐の御紋の大活躍によって、クリスは逮捕されるエンディングになるだろう。 しかし、そこはウッディ・アレンのこと、人生はすべて運だといわんばかりに、 クリスは逮捕されずに、罪を背負って市井で生き続けることになる。 ここあたりは、娯楽映画でありながら、我が国との罪意識の違いの表れだろうか。 クリスに扮したジョナサン・リス・マイヤーズが、屈折した心理を演じて上手かった。 2005年イギリス、アメリカ、ルクセンブルグ映画 (2006.8.28) |
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