タクミシネマ         太陽

太陽     アレクサンドル・ソクーロフ監督

 1945年前後、敗戦が決定的になったとき、天皇はどのように生活していたのか。
そして、何を考えていたのか。
ふつうは開戦から敗戦へといたるとき、支配を職業とする者として、
さまざまに思い悩むはずだが、この映画は戦争状況を無視して、個人的な問題を考えることに終始している。

太陽 [DVD]
公式サイトから

 この映画は、天皇が自ら招いた敗戦であるにもかかわらず、
敗戦を所与のものとして設定して、天皇という神だった人間が、人間へと生まれ変わったというだけを描いている。
状況への関わりを抜きにした人間観察は、ほとんど意味を持たず、
むしろ開戦へといたった過程で果たした彼の役割を、まったく欠落させてしまう。
その結果、天皇の戦争責任を問わないことになり、為政者としての責任を免責させる働きをもってしまっている。


 この監督は55歳だが、途上国ロシアでは、55歳はすでに老人の域に入っているだろう。
とすれば、もっと歴史全体を見ることができても良いはずである。
この映画の人間観には見るべきものはないが、
主人公の裕仁を演じたイッセー尾形の演技と、独特の様式美に基づくカメラ・ワークが、見せ物だといっても良いだろう。

 現在でこそ、途上国に落ちぶれてしまったロシアだが、一時期は西洋文明が届いた時期もあった。
そのため、アヴァンギャルドなこの監督は、西洋個人主義に染められている。
監督の人間観は、個人としての天皇しか見ることができず、
役割を果たすことに生きた時代の為政者には、思考が及んでいない。
政治的に人間宣言をしたからといって、それを境に個人的なセンスが変わるということはなく、
また皇后良子との関係が、今風の夫婦関係になることはありえない。

 差別が完璧に成立している場合、
上位者は下位者がそこにいても、下位者を自分と同じ人間として意識することはない。
平民出身の正田美智子は、禊ぎのために大勢の前で全裸になったとき、
羞恥心で真っ赤になったというが、帝王教育を受けてきた裕仁には、個人的な羞恥心はなかったはずである。
西洋の白人女性が、自分の裸を有色人種の男性に見られても、
まるで犬に見られたかのごとくに、なんの恥ずかしさも感じないように、天皇は全裸を見られても羞恥心が湧かないに違いない。

 監視されてのセックスがふつうだった、江戸時代の将軍たちを思い浮かべてみれば、
天皇の私生活がどんなだったかは、おおよそ見当がつく。
一夫多妻制を廃止し、側室を持たなかったのが裕仁だとしても、
良子に対してこの映画が描くような、愛情表現はしなかっただろう。
彼の目の前に登場する全女性が、彼からセックスへの誘いを待っていたはずだから、
人間のあいだでの相互関係という認識は、彼には生じようがなかった。
彼のセンスや価値判断は、市井の人間とはまったく違ったはずである。

 神だった天皇から、人間宣言をして人間天皇になったというが、この映画は最初から個人主義的な裕仁を前提にしている。
ロシアも差別がきつい国だろうが、インドなどのカースト社会を見たほうが良い。
そうすれば、天皇がどんな感覚だったか、よく分かるに違いない。
イッセー尾形の演技が、裕仁の形態模写をうまくしており、形態模写が上手いがゆえに、裕仁の人間性を隠蔽してしまっている。

 この映画は、西洋文明的な個人主義の人間が、
いままで自分は神だと言っていたのを、人間だと言葉の上で言い換えたにすぎない。
敗戦前の天皇に迫っていないので、人間宣言がまったく効いていない。
おそらく、天皇というまったく別種の生き物がいるということが、この監督には想像できないに違いない。
これが近代人の人間理解の限界だろう。

 それに対して、物的な面はよくできている。
大本営のあった場所もさだかではないし、裕仁が戦争中にどこにいたかも、明らかになってはいない。
しかし、元首が戦争中に避難しそうな場所は、おそらく世界中で共通なのだろう。
この映画も待避壕は上手く造っている。
どこかの地下につくられた避難所を想定しているが、おおむねあんなものだったのだろう。

 ややくらい画面と、構成主義の影響からか、きっちりとした構図など、カメラ・ワークは神経が払われている。
そして、動かないカメラ、ゆっくりした画面展開など、この監督の好みなのだろう。
全体に一時代前の感じがする作風である。
    
    2005年ロシア.伊.仏.スイス映画
 (2006.8.28)

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