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古い映画をいま復活させる必要が、一体どこにあるのだろうか。 30年もたてば、価値観が大きく変わっており、そのままでは現代にあてはめることはできない。 この映画でも、女性の地位がどこかギクシャクしている。
デイリー・プラネット社の新聞記者、クラーク・ケント(ブランドン・ラウス)がスーパーマンだと言うことは、誰でも知っている。 彼は自分の生まれ故郷である星を探しに、5年ほど前にニューヨークをはなれた。 その時に、同僚のロイス・レイン(ケイト・ボスワース)とのあいだに、子供をもうけていたらしい。 このあたりの描き方が、なぜか不自然である。 5年前に、クラークが何も言わずにいなくなったので、彼女は振られたと思い、ほかの同僚と同棲を始めていた。 この話も、ちょっと変だ。ロイスは結婚していることに、触れたがらないと言いながら、 彼女は結婚指輪をしている。 そして、クラークにはリチャード(ジェームズ・マーズデン)を夫として紹介する。 クラークはロイスが好きだったので、夫と子供のいるロイスに馴染めない。 物語の上では、スーパーマンが父親だとは言えないから、子供の位置が不自然なのだ。 クラークが、ロイスの結婚に馴染めないということは、彼の子供ではないということか。 それでは子供の父親は誰だろうか。 クラークが戸惑っていることは、今の同棲の相手リチャードが父親ということになる。 しかし、ママのロイスにはなついているが、父親であるはずのリチャードには、なついていない。 リチャードとロイスが、父親と母親だという描写はあるが、 子供が母親の窮地を救うときに、超能力を発揮する。 リチャードとロイスの子供であれば、超能力などあるはずはない。 また最後には、スーパーマンがいかにも我が子というシーンがある。 ではスーパーマンとロイスとのあいだの子供かというと、そうとは限らないから、どうも子供の位置がわからないままである。 この映画の中心的な話だった? ってな話になっていく。 もちろん、宿敵の悪役レックス・ルーサー(ケビン・スペイシー)との抗争もあるが、 それは当たり前すぎて、書く気にもならない。 正と悪の戦いも、しかけも、驚くほどのものは何もない。 むしろ昔の映画を知っているオジサンが、スーパーマンのポーズを思いだして、喜ぶ程度である。 かつては、ヒーローが普通人でありながら、同時に超人であっても許されたが、 いまでは普通の人との距離が、あまりにも遠いのはダメなのだ。 その距離を上手く埋められなくて、この映画はとても苦労したのだろう。 この頃には我が国でも、鉄腕アトム、月光仮面や鉄人28号など、空想物があったが、 いまでは話の前提が無理である。 おなじ空想的ヒーロー物でも、スパイダー・マンなどのほうが、原作が新しい分だけ自然に感じる。 映画は面白ければいいのだが、 話の前提が現実から離れてしまうと、面白いと感じることができない。 古い映画を復活させるエネルギーがあるなら、新しい企画を考えるべきだろう。 次作への伏線を残して終わっていたが、次作は見ないだろう。 2006年アメリカ映画 (2006.8.22) |
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