タクミシネマ        幸せのポートレート

 幸せのポートレート 
 トーマス・ベズーチャ監督

 現代アメリカの家族が、到達しようとしている家族像を描いて、出色だった。
核家族はとうの昔に解体し、単家族になろうとしているアメリカで、暖かい人間関係を賢明に模索する。
真摯な努力が続いている。
前半がちょっと鈍くて、イライラするし、まじめすぎて、そんなという場面もあるが、無条件に星を献上する。

幸せのポートレート [DVD]
公式サイトから

 バリバリのキャリアウーマンであるメレディス(サラ・ジェシカ・パーカー)。
と書くことすら、すでに時代遅れだと、この映画はいう。
小柄で不細工な彼女は、かっこいいキャリア男性のエヴェレット(ダーモット・マローニー)と、結婚寸前だった。
身体こそ男性のほうが大きいが、仕事ではすべてに彼女のほうが上。
彼の出世は、あきらかに彼女に助けられたものだ。

 今夜は、クリスマス。
初めてエヴェレットの家族に紹介される。
都会育ちのメレディスと異なり、エヴェレットの家族は、典型的な地方都市のアッパーミドルクラス。
外見上は、新しい動きに理解を示し、人種差別もないし、養子に対しても好意的である。
しかし、一皮むけば保守的な心性を、なんとか良心で隠していたのだった。

 長女のスザンナ(エリザベス・リーザー)、次女のエイミー(レイチェル・マクアダムス)、次男のベン(ルーク・ウィリソン)、三男のサッド(タイロン・ジョルダーノ)、そして父親のケリー(クレイグ・t・ネルソン)、母親のシビル(ダイアン・キートン)。
そこへ長男のエヴェレットが、本音だけで生きるメレディスをつれて来たのだから、波風が立たないはずはない。
夕食の席上で、三男のサッドがゲイだという話題になる。
しかも、サッドの恋人は、黒人である。

 母親のシビルは、自信満々に我がストーン家では、ゲイ差別も人種差別もない、という。
しかし、メレディスは、ゲイにはhivの問題もあるし、
ほんとうはゲイじゃない方が良いでしょう、といってしまう。
そのうえ、黒人より白人のほうが、良かったんじゃないですか、ともいってしまう。
メレディスにすれば、軽い話題のつもりだったのだが、ストーン家の人たちにとっては、やっと克服した差別感情だったのだ。

 自分たちだって、ゲイよりストレートのほうが良かった、黒人より白人のほうが良かった。
しかし、息子が選んでしまったのだ。
本意ではないが、自分たちの差別意識をなだめすかし、何とか折り合いをつけてきたのだ。
そこをまたほじくりかえされた。
自分たちが否定したかった自分たちの差別意識を、白日の下にさらけだされてしまった。
鈍感な女だと、怒るのももっともだった。

 単純な人種差別主義者なら、メレディスとは単なる喧嘩で終わる。
しかし、ストーン家の人たちは、人種主義者を克服しようと、精一杯の努力をしてきた。
ゲイ差別主義者・人種差別主義者である自分に、いまさら触れて欲しくはない。
一方、メレディスにとっては、すでにゲイも黒人も、まったく自分と同じだから、
厳しく批判もすれば、ゲイや黒人の悪口も言う。
そうした対応が、まだストーン家の人たちにはできない。

 だいたい女性が主導権を持っていることも、本心では許すことができないのだ。
賢かったエヴェレットが、なぜこんなチンケな女に振り回されるのだ、と母親のシビルは憤る。
ボタンの掛け違いは、ストーン家でメレディスを、浮いた者へと追い込んでいく。
エヴェレットは味方になってくれず、予想どおり頼りにならない。
差別主義者たちのなかで、浮いていくメレディス。


 地方のアッパーミドルクラスの生態を知っているメレディスは、必死で彼等に合わせようとする。
しかし、努力すればするほど、亀裂は深まるばかり。
とうとう彼女は、妹のジュリー(クレア・ディーンズ)に応援を頼む。
これが裏目に出る。
エヴェレットがジュリーへと、心変わりしてしまうのだ。

 このまま終わっては、映画にならない。
そこでメレディスをストーン家から飛び出させる。
彼女を捜しに出た次男のベンは、もっとリラックスするように忠告する。
ノッた2人は、徹底的に飲むことになる。
そこへベンの同級生も合流して、メレディスは地で行動を開始する。
酔いつぶれた彼女が目覚めたところは、ベンのベッドのなかである。

 さすがに彼女は落ちこむ。
ベンとは何もなかったはずだが、マリワナもやったことだし、
ベンのベッドにいたということは、行くところまでいってしまったかも。
婚約者の弟と寝たとあっては、申し開きができない。
ひたすら小さくなるメレディス。
結局、すべてが明らかになり、誤解が解ける。

 ゲイだって黒人だって、優秀で金持ちだ。
この映画ではサッドのカップルは、レンジローバーにのっている。
アメリカの家族は、ゲイや人種差別を克服しつつある。
アッパーミドルクラスが、彼等を家族の一員にまで、迎え入れるところまでは来た。
しかし、時代はそこで止まっているわけではない。

 「アリー・マイ・ラブ」のアリーが、地方都市へ行ったと想像すればいい。
アリーは思ったことを平気で口にしてしまう。
ゲイや黒人であることを、最初から問題にしていないのだ。
ゲイや黒人が悪いのじゃなくて、当人が悪いのだ。
そのうえ、ゲイや黒人に特有の欠点もある。
しかも、都会なら言われた方だって、平気で言い返す。
都会のアリーにとっては、そうやって差別は希薄化してきた。

 こう書いてきたからと言って、ストーン家の人たちを非難しているのではない。
それはわかるだろう。
我が国では、いまだストーン家の人たちまでも至っていない。
むしろ、ストーン家の人たちは、自分たちが人種差別主義者であることを知っている。
だから、一度は怒った父親のケリーも、母親のシビルも、メレディスに謝る。
正義はメレディスにある。


 息子の嫁に謝ることなんて、簡単にできることではない。
ストーン家の人たちは、きわめてまじめなのだ。
こうやって、まじめに正しい自分へと、少しづつ軌道修正してきたのだ。
この姿勢は、我が国が見習うべきものだ。
その意味で、アメリカの良識は、はるかに我が国より先を行っている。
差別の顕在化しているアメリカでは、衝突を繰り返しながら、差別を克服してきた。

 こうした映画が撮られるかぎり、今後もアメリカは差別を克服していくだろう。
核家族が分解し、単家族になったアメリカは、
人間同士の暖かいぬくもりを、何とか確立しようと必死である。
温かい人間関係の確立は、次世代を担う子供のためだけではなく、自分たちのためなのだ。
まっとうな子育てのためには、まっとうな家族のためには、大人たちが正直である必要がある。
父親ケリーの態度には、それが満ちあふれている。

 単家族といったとき、人は1人暮らしを想像するかも知れない。
しかし、単家族は1人暮らしではない。
血縁や必要性でつながった大家族ではなく、精神的な愛情だけでつながった人間集団を、単家族というのだ。
だから、ゲイとも血縁のない人間とも、家族関係がもてる。
この映画は、最後には全員を幸せにカップル化してしまって、ややご都合主義的であるが、家族関係の拡大に一石を投じている。

 我が国では差別があっても、それを口にしないで、全員が忘れようとする。
部落差別が典型だが、全員が知らなくなれば、差別が解消できると考えているらしい。
それにたいして、アメリカは差別を徹底的に表面化し、
互いに批判しあい、差別を克服しようとする。
我が国のある映画評論は、この映画を見て、メレディスを人種差別主義者という始末。
この映画の主張は、我が国では理解されないだろう。
単館上映で、しかも劇場パンフレットも用意されていないのは、当然だろう。原題は「The Family Stone」   
 2005年アメリカ映画
 (2006.7.20)

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