タクミシネマ      ウォーク・ザ・ライン

ウォーク・ザ・ライン    ジェームズ・マンゴールド監督

 2003年に死んだ歌手ジョニー・キャッシュ(ホアキン・フェニックス)の伝記映画である。
1932年、アーカンソーの田舎に産まれ、貧しい中に育った。
兄のジャックは良い子で、父親(ロバート・パトリック)の大のお気に入りだった。
しかし、ジョニイは必ずしも父親に、気に入られていたわけではない。

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劇場パンフレットから

 父のお気に入りだった兄が、事故で死んでしまった。
事故後、おまえが死ねば良かったと言われるほど、父親との間が悪化していった。
親子関係は悪化したまま、戦後になった。
空軍を除隊した彼は、幼なじみのヴィヴィアン(ジェニファー・グッドウィン)と結婚する。
彼は売れないセールスマンのかたわら、音楽を趣味とし、バンドを組んでいた。

 メンフィスにあったサン・レコードのプロディーサー、サム・フィリップス(ダラス・ロバーツ)は、彼の売り込みを受け、オーディションのチャンスを与えた。
そして、自分の音楽をやれと言って、彼独特の音楽を引き出したのだ。
彼は徐々に音楽にのめり込み、音楽で生計を立てるようになる。
当時の流行歌は、ゴスペルとカントリーだった。
そこへ彼は独特の音楽を持ち込んだ。それはロックだった。

 ジェリー・リー・ルイスやエルヴィス・プレスリーなどを発見したこのプロデューサーは、
ジョニイ・キャッシュらを全米ツアーにだす。
まだエルヴィスも若く、後年のような名声は確立していない。
彼等は音楽浸り日々の中から、ロックで若者の心を掴んだ。
1960年以降、ロックは全米へと飛翔していく。


 映画が展開してみせるのは、ジョニイ・キャッシュの人生だが、
この映画の主題はロックではない。
音楽家の伝記映画だから、音楽はふんだんに使われているし、
往年の歌手のそっくりさんも出てくる。
しかし、主題はロックの歴史ではない。音楽はあくまでも背景である。

 愛する女性ヴィヴィアンと結婚しても、その女性は彼の才能を知らない。
歌手として有名になっても、妻は音楽家の心理が分からない。
専業主婦が主流だった時代、
表現の世界に生きる彼の心理を、理解せよと言うほうが無理な注文だった。
ジューン・カーター(リーズ・ウィザースプーン)を愛人にしたことも手伝って、
妻のヴィヴィアンとは距離ができはじめる。
とうとう糟糠の妻とは離婚に至る。

 覚醒剤におぼれた彼は、ジューンの支えによって、やっと再起できる。
この映画の主題は、麻薬におぼれても、
愛情を注ぐ人がいれば、再起は可能だというものだ。
映画のタイトルにもなっているように、まっとうな道を歩けば、
人生は必ず開けるというメッセージが主題と言うべきだろう。
まっとうな道を歩け(ウォーク・ザ・ライン)という歌詞が何度も歌われる。

 説教じみた主題の影に、もう一つの主題がある。
それは父親と子供の関係である。
父親から愛情を与えられなかった寂しさ、癒されることのない人格欠損感、
そういった心の傷を丁寧に描いていく。
子供の頃に悪化した関係は、なかなか修復できない。
少なくとも父親のほうから愛情を見せなければ、修復は不可能だろう。
その意味では、この映画も完璧な現代映画である。

 アメリカの表現世界で生きることは厳しい。
厳しさに耐えかねて、麻薬にすがる俳優は多い。
一時は更生したジュリエット・ルイスも、また最近見なくなった。
この映画では、親も見捨てた彼を、ジューンの母親は「見捨てるな」という。
父親という属性ではなく、他人であっても良い。
純粋な愛情だけが人間を救う。
その意味では、「ミリオンダラー ベイビィ」と同じ主張である。

 アメリカは競争社会だと言われる。
と同時に、新たな表現をきちんと評価しようとする。
なぜ良いのか、きちんと説明しようとする。
アメリカからは最近でも、ラップを始めさまざまな音楽が誕生する。
この映画でも、新たなものを評価しようとする姿勢を感じる。
当時のメンフィスには、サム・フィリップスのような慧眼の士がいたのだ。
だから、当時のメンフィスからは、新しい才能がたくさん排出したのだ。


 音楽産業が巨大化し、ラジオ局が寡占化されている現在、
個人的な嗜好では、メジャーになれなくなりつつあるが、この当時は未知の才能を評価した。
それはプロディーサーのセリフからもよく判る。
これは実に羨ましい。
我が国では、和をもって尊しとしているから、新たな才能がなかなか評価されない。
表現の世界で重宝されるのは、
外国で流行り始めたものを、上手くコピーする奴だけだ。

 この映画の主題は現代的だし、映像もそれなりに上手い。
人物をけっして画面中央には撮さないし、画面構成に意を払っているのはよくわかる。
しかし、残念ながら映画の出来としては、イマイチである。
まず問題は、物語の作りが平板であること。
多くのエピソードがたんたんと並べられ、物語に山がない。
だから、観客の意識が持続しない。
2時間16分という映画だが、はるかに長く感じる。

 物語には起承転結が必要で、それを上手く作らないと、観客は退屈なことになる。
この映画は音楽が入るので、何とか保っていくが、
観客の緊張を保つには明らかに長すぎる。
最後になって、ちょっと盛り上がりがあるが、あと30分詰めたほうが、良い仕上がりになった。

 ホアキン・フェニックスは吹き替えなしで演じているそうで、演技の上手さに歌という武器が加わった。
彼には三つ口の手術後があり、俳優としては致命的な障害だろう。
しかし、彼は美男でもないにもかかわらず、大作の主人公を演じ続けている。
やはり彼の卓抜な演技力のせいだろう。
何度も聞かされる「I am jommy cash」というセリフが印象的だった。

 ヒロインを演じたリース・ウィザースプーンは、「キューティ・ブロンド」のヒロインだが、
今回は金髪を栗毛に染めていた。
彼女のカントリーも上手かった。
そして、彼女の演技も達者だった。
個性のある人たちが大切にされている。
そうした意味では、アメリカの表現の世界はフェアーである。
そして、もう一つ特筆すべきは、古い物が大切にされていることだ。
この映画でも、古い車やファッションが、ピカピカでふんだんに登場していた。
我が国では、60年代の国産車をこんな状態で使うことはできないだろう。
 2005年アメリカ映画
 (2006.2.24)

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