タクミシネマ         ブラザー グリム

ブラザー グリム    テリー・ギリアム監督

 18世紀の末つまり近代の入り口で、呪術や魔法が科学に置きかわろうとしていた。
しかし、フランス軍占領下のドイツでは、19世紀になっても今だに前近代が支配しており、
魔法が庶民の心を捉えていた。
そこへ科学の子グリム兄弟が、魔術退治にでかける。
魔術退治はお金になった。

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 兄のウィル(マット・デイモン)は、魔女など迷信に過ぎないと信じている。
弟のジェイコブ(ヒース・レジャー)は、夢見る青年で、幻想的な民間神話を集めていた。
2人は魔女に悩む田舎にでかけては、いかさま魔女退治をして、お金を稼いでいた。
しかし、いかさまがバレて、フランス軍に逮捕されてしまう。

 こうした映画の常として、兄弟は小さな魔女退治を、見事にやってみせる。
彼等には、こうした事件を解決する能力があることを、まず観客に見せる。
次には、はるかに困難な魔女事件に遭遇する。
もちろん、こちらのほうが本物の話である。
少女たちが次々に森に消え、その数は11人になっていた。


 事件に手を焼いたフランス軍は、グリム兄弟の派遣を決定する。
事件を解決すれば、逮捕を許してやろうというわけだ。
少女たちを連れ戻すべく、兄弟はフランス軍の将軍(ジョナサン・ブライス)によって、村に赴かされる。

 彼等は村に着くや、狩人の道案内で、森へと向かう。
この狩人がなんとアンジェリカ(レナ・ヘディ)という女性で、父親を魔女(モニカ・ベルッチ)にさらわれていた。
魔女は500年を生きて、12人の女性の血によって、いま若返ろうというのだった。
その12人目をめぐって、物語は進む。

 現実主義者の兄ウィルの主導のもと、弟のジェイコブの民間伝承フェイクが謎解きとなる。
それにジェイコブのアンジェリカへの恋心がかぶさってくる。
魔女の魔法を解く手がかりは、こうした物語の定番である。
魔法をとく鍵が、恋人の口づけだというのは、
近代で恋愛が主流になってきたことの反映で、それまでの男女関係が変質して来たことを意味する。

 前近代にあっては、結婚と恋愛は別物だった。
恋愛は性欲にささえられた精神活動だったが、結婚は家名と種族保存のためのものであり、
結婚に精神性が入る余地はなかった。
だから結婚しても、婚外で恋愛を楽しむことは、充分に可能だった。
しかし、近代にはいると、恋愛の終点を結婚としなければ、工場労働者を確保できず、
新産業=工業が維持できなかった。
だから、恋愛賛歌が謳われるようになる。

 魔女狩りが前近代と近代の間にあったのは、不思議でも何でもない。
魔女狩りは前近代を脱するために、通らなければならない通過儀礼だった。
魔女狩りをすることによって、
人々は魔法から解放され、近代的な科学思想を身につけることができた。
この映画でも、科学の申し子グリム兄弟と、前近代の農民という構造が、物語を支えている。
もちろんグリム兄弟が勝つのは当然で、科学の勝利によって近代が認知されていくのである。


 SFXが多用され、森での木々の動きや、オオカミの変身など巧である。
しかし、SFXそれ自体は上手くなったが、
sfxが物語の背景をつくるのではなく、sfx自体を見せてしまっている。
力を入れたものを見せたいのは、やむを得ないが、人間が主人公であるはずである。
sfxは脇役だから、sfxを完全に消化するのは、もう少し時間がかかるだろう。

 監督の美意識も、細部に凝っている。
冒頭の何重にも見える森へのシーンなど、なかなかに幻想的で、ティム・バートンの「スリーピー ホロー」をおもわせる。
また、村のシーンは、あちこちが汚れており、前近代の雰囲気を出そうとしているのが良く伝わってくる。
劇場パンフレットによれば、監督はもっと汚したかったらしいが、
観客が来なくなるというので、汚しを押さえたそうである。

 魔女を演じたモニカ・ベルッチは、あいかわらず美人だが、美人であることが俳優として災いになってきたようだ。
美人だと演じる役が限定されてしまう。
魔女は美人でなければならないから、今回のような役には適切だが、人間の恋人役は平凡なレナ・ヘディになっていた。
いまや映画の主人公は、ふつうに生活する男女だから、あまりの美人は不自然になってしまい、役が回ってこないことになった。

 美人は何かにつけて有利で、美人ばかりがなぜもてると言われた。しかし、それは昔の話になりつつある。アンジェリーナ・ジョリーにしても、キャメロン・ディアスにしても、まったく美人ではない。にもかかわらず、モニカ・ベルッチのような美人ではなく、ブスい彼女たちが主役をやるのだ。美人よりもブスのほうが重用される傾向は、アメリカとイギリスの映画では顕著になってきた。

 情報社会化すると、女性も職業人となる。
女性はいまや見られる対象ではなく、主体として行動する。
とすれば、美人かどうかという属性ではなく、職業人としての能力で評価されるようになる。
それを反映して、先進国の女優はブスばかりになってきた。
映画は大衆のものであり、大衆社会の反映が映画だから、先進国の主演女性がブスくなるのは、今後ますます続くだろう。
 
 イギリスとチェコの映画だと画面にあったように記憶していたが、
帰ってから劇場パンフレットを見ると 2005年のアメリカ映画だった。
(2005.11.22)

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