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とても真面目な映画で、良いほうに期待を裏切るできだった。 ニーアム・リーソンは説教臭くて、あまり好きではないのだが、むしろ説教臭さが適役で、いかにもアメリカ的な真面目さを好演していた。 戦前から戦後のあの時代に、こうした調査が行われたのは、時代の最先端を行くアメリカらしい。
昆虫学者として出発したキンゼイ(ニーアム・リーソン)は、タマバチを専門として分類学を修めていた。 彼はあるとき、すでに成人となっている学生たちが、性的な事項について、何も知らないことに愕然とした。 そのうえ性に関して質問されても、彼も答える基準をもっていなかったことに、狼狽えたのだった。 1938年、学生向けに性や結婚に関して講義を始め、そのなかから学生相手に調査を開始する。 そして、分類学者である彼としては、学生相手だけでは母集団が少なすぎると考え、全米を相手に調査を始めようとした。 そのとき、調査費用を援助したのが、ロックフェロー財団だった。 当時、このような調査をするには、とてつもなく大きな抵抗があったはずである。 抵抗をはねのけて、資金援助をしたことに頭が下がる。 学生たちを使って、全米から18000人以上のデーターを収集する。 今日でこそ、こうした調査は、異常でも何でもない。 1984年には我が国でも、「日本人の性」が調査・出版されている。 しかし、清く正しい核家族が支配的だった戦争直後、結婚前には性交しない建前だったし、婚外性交などもっての他と考えられていた。 この時代、本音と建て前があった。 本音と建て前が通用する時代には、何が真実かうやむやにされる。 調査などもってのほかだった。 世慣れた大人たちは適当に身を処していくが、真面目な大人や若者たちは、何が正常で適切だかさっぱりわからない。 今ではマスターベーションで悩む者はいないだろうが、当時はマスターベーションをすると頭が悪くなるとか、精力が消耗すると言われていた。 それは私の住む我が国でも同じだった。 また多くの人が浮気をしていたにもかかわらず、浮気をしていないかのごとく振る舞った。 同性愛も、ホモからゲイへと転じる時代だったので、すこぶる付きのタブーだった。 しかし、性にかんすることは、何が正常で何が異常だかもわからなかったし、判らないことが偏見を増長させていた。 科学者の彼としては、性的な分野において、分類学の眼で調査を始めたのである。 これは画期的なことだった。 その結論は、<多数派と少数派がいるだけで、正常・異常という分け方は存在しない>だった。 邦題は「愛についてのキンゼイ・リポート」となっているが、原題はただ「キンゼイ」である。 彼のやったのは、愛についての調査ではなく、性についての調査だから、もちろん原題のほうが適切である。 実話だが、映画としても見るべきようにできている。 性を科学的に捉えようとし、自らも自己の性意識の相対化を迫られる。 教え子の女性クララ(ローラ・リニー)と結婚していながら、男子学生ピーター(ピーター・サースガード)からの求愛を拒むことができなくなる。 当時は、もちろん同性愛はタブーだった。 しかし、科学者として相対化の権化である彼は、自己も相対化せずには許さない。 学生との同性愛をクララに告白する。 おそらく実際は大変だったろう。 日常生活は中断してしまったに違いないが、映画は大きな波乱もなく進行する。 その後、クララとピーターとの間の性交も、彼は認めざるを得なくなる。 このあたりが科学者たるゆえんだろう。 精神的な動揺や葛藤は、無理矢理にも論理で押さえ込んでしまう。 前半、彼の生い立ちを丁寧に描き、彼がなぜ調査を始めたかを、説得的にするための伏線とする。 この部分がやや冗漫で退屈だが、中盤から後半にかけては、伏線がよく効いてきて物語に引き込まれていく。 戦後の赤狩りの風潮があった時代、信念を曲げることなく突き進む科学者の人生を、真っ正面から描くこの映画は、科学的な真面目さそのものである。 性の文化的な側面という測定不可能だったものを、何とか計量化したので、無形の愛も科学の対象になると考えたに違いない。 最後には、性だけではなく愛についても、科学の分析メスをいれようとするが、彼の命はそこまではもたなかった。 赤狩りの吹き荒れる中、ロックフェロー財団からも資金援助が切られてしまう。 壮大な話ではないにも関わらず、この映画は時代考証も丁寧である。 服装は言うに及ばず、良いアメリカ映画の例のごとく、小さなものまで復元している。 そして、ニーアム・リーソンも体重のコントロールをして、メイキャップにもまして年齢の変化をよく演じている。 ヒロインを演じたローラ・リニーは、演技が上手いのだが、なぜか加齢のメイキャップが合っていなかった。 あの時代に、この調査がなされたことにも、最大の敬意を表する。 また、この時代に、この映画が作られたことにも、敬意を感じざるを得ない。 禁酒法やマッカーシー旋風など、アメリカは極端から極端にふれるが、先鋭的な問題感心の展開は、他のどこにもない鋭いものだ。 今後も、時代を切り開くものは、アメリカから登場するだろう。 2004年アメリカ映画 (2005.09.06) |
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