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この監督は、特異な雰囲気あり、熱烈な愛好家がいる。 当サイトも決して嫌いな監督ではない。 しかし、この映画はいただけない。 まだ50歳代の前半という若さにもかかわらず、古い映像をつなぎ合わせてお茶を濁すのは、すでに降りてしまった表現者の態度である。 どうしてこんな映画が上映されてしまうのだろうか。
イギー・ポップやケイト・ブランシェットといった、有名な俳優や音楽家たちをたくさん登場させて、コーヒーと紙巻き煙草への蘊蓄を語らせるのだが、表現者が疲れてしまったとしか言いようがない映画である。 こうした手抜き映画作るようでは、熱烈な愛好家への裏切りといっても良い。 イメージが湧かない時は、表現者は辛いだろうが、ただ黙って耐えるべきである。 この映画は、11の短い物語が並んでいる。 1人もしくは2人が、小さなテーブルを前にして、コーヒーを飲み煙草を吸う。 コーヒーと煙草に関して、様々な意見が飛び出してくるが、どれもそれほどの驚きもない。 映像的に凄いかというと、画面構成なども平凡きわまりない。 だいたいアメリカ人の飲むコーヒーが、美味いとはとても思えない。 しかし、この映画に登場するような、落としてから時間がたって、何度も沸かし直したようなコーヒーの、どこが美味いのだろうか。 こんな映画を撮っているから、アメリカ人は味覚がないといわれるのだ。 コーヒーの味は、圧倒的にヨーロッパである。 煙草の美味さも、もちろん認める。 食後の一服や朝の一服は美味い。 紫煙という言葉があるように、煙草には特有の雰囲気がある。 それはそれで良いものだ。 しかし、煙草を吸う者は、特にアメリカでは肩身が狭い。 だから敢えてこうした映画ができるのか。 そうは言っても、この映画に撮られているシーンは、いかにも古くて、煙草がとやかく言われる前のようだ。 清潔で健康志向のアメリカ人には、コーヒーや煙草といった退廃的なものは似合わない。 ヨーロッパの享楽的な人間には、自分の健康をむしばんでも、煙草を唇から離さない姿が似合う。 コーヒーと煙草とくれば、次はお酒だろうが、これまたアメリカ人には似合わない。 アル中のフランス人は想像できても、アル中のアメリカ人は想像できない。 アメリカでアル中になったら、直ちに施設行きだろう。 酔っぱらっているだけで逮捕される国だから、享楽的な嗜好品をおおっぴらにできない。 家庭やクラブなどでは、嗜好品を楽しんでいるのだろうが、健康な平等が支配し女性が自立した後では、不健康な嗜好品は影に追いやられるばかりだろう。 つまらない映画だったが、そのわりには大勢の観客がつめかけており、日曜の最終回だというのに、立ち見が出たほどだった。 つめかけた客の多くは、実に退屈そうだった。 お金を払ってしまったので、1時間半を我慢して座っていたようだった。 2003年アメリカ映画 (2005.04.21) |
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