タクミシネマ       カーサ エスペランサ

カーサ エスペランサ   ジョン・セイルズ監督

 自立は孤独と引換えである。
「クレーマー、クレーマー」で子育てを放棄し、自立してしまったアメリカの女性たちからは、悲痛な叫びが聞こえるようだ。
女性が自立した結果、子供をもつか否かの決定権は、ひとえに女性にある。
しかし、様々な理由で、子供がもてない女性もいる。
彼女たちが子供を求めて、途上国へやってくる。
ここは養子にだされる子供の救護院付きホテルである。
しかも、決して高級ホテルではない。
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 アメリカ国内では、養子は高価なのだろう。
貧しい国の女性から生まれた子供が、養子として外国へ送られていく。
求める人と提供する人がいれば、自由な市場が成立する可能性がある。
ここでは合法的な子供輸出が、産業として成立している。
映画の舞台はメキシコであるが、実在の設定ではないらしい。
しかし、いかにもメキシコを思わせるシーンが多く、現実のメキシコかと錯覚させられる。

 養子を求めて、女性が滞在している。
スッキパー(ダリル・ハンナ)、ナンシー(マーシャ・ゲイ・ハーデン)、ジェニファー(マギー・ギレンホール)、レスリー(リリ・テイラー)、アイリーン(スーザン・リンチ)そして、ゲール(メアリー・スティーンバーゲン)と6人の女性を登場させる。
子供が欲しいということだけが、彼女たちの共通項である。


 6人がそれぞれに固有の問題を抱えており、早く子供を受け取って故国に帰りたい。
しかし、何時引き渡されるか判らない。
役人の気分次第である。
この国の役所は、女性たちの心を見透かして、なかなか子供を引き渡さない。
しかも、引き渡される日は、当日になってみなければ判らない。
焦燥感の中で、彼女たちの問題が徐々にあかされていく。
南北格差という貧富の問題というより、女性の自立とその試練が主題である。

 映画が描く6人の個別的な問題には触れないが、子供をもつことが完全に人間の意志にかかってしまった現在、選択の結果を引受けなければならない。
かつては子供は神様からの授かり物だった。
子供ができることに、人間の意志が関わることがなかった。
与えられた子供をそのまま引受けて、子育てをした。
だから人間が選択の責任を引受ける必要はなかった。

 現代では、人間が作為的に子供は作るものである。
そこでは産んだ子供をどのように育てるか、親の一方的な意志にかかっている。
神様が自由に人間を造るように、親が子供の生き方を決めるのである。
6人の女性たちは、養子が貰えたらどのように育てるかを、それぞれ雄弁に語る。
子供に向かう気持ちが、親という自分の願望の投影である。

 親はまず子供の幸せを願うというが、この女性たちをみていると、親の願望の実現として子育てがある。
彼女たちの目的は子供の幸せではなく、欠損してしまった自分の心を、埋めるものとして子供の存在がある。
それは当然だろう。
近代が作為の時代だとすれば、子供だけが例外がとなるのではない。
子供も作為の対象であり、子供は自然に育つものではない。


 前近代にある途上国では事情は違う。
途上国では十代の女性が、結婚など念頭にないままにセックスをする。
そして、避妊という観念がないから、たちまち妊娠する。
前近代とはそうした時代だった。
子供ができれば、誰かが育てた。
子供は造るものではなく、できてしまうものだったし、神様が仕込んでしまうものだった。
だから、妊娠をめぐって悲喜劇が起こった。
しかし、この悲喜劇は選択の結果を引受ける責任とは異質だった。

 南米諸国の悲劇は、自国が前近代にありながら、最先進国であるアメリカの隣に位置していることである。
アメリカから離れた中南米なら、まだ前近代に生きることができる。
しかし、アメリカが隣にあるがゆえに、メキシコには容赦なく貨幣経済が進入してくる。
そのうえ、中米や南米の指導者は、自分の懐を肥やすことばかり考えており、庶民のことは思考の外である。
カソリックが後進性の温存に手を貸している。

 近代に入るとき、男性は神に逆らった。
しかし、そのツケは孤独という形で、しっかりとまわってきた。
今、女性も神に逆らって自立しつつある。
神は人間が自分から離れていくことを、簡単には許さない。
妊娠・出産を支配下においた女性たちは、今その試練にあっている。
自立したので、幸福になるはずだった。
自立の先には、青い鳥がいるはずだった。

 自立の先にあったのは、競争と孤立、つかみどころのない自己。
さまよう自意識。
映画においても、見られるだけの美人女優がスクリーンが消えた。
自立を獲得した女優が登場している。
ガッツのある彼女たちは、少しも美人ではない。
6人の女性を演じる女優たちは、みな実力派そろいで、当サイトのお気に入りである。
しかし、彼女たちも仕事をとるのに苦労しているらしい。


 リリー・テイラーが演じるレスリーには、本当に現代女性そのものを感じる。
彼女は男にはまったく興味がない。
出産を経ずに子供をもち、親になることだけを願っている。
彼女のこの心理は、男性が親になるのとまったく変わらない。
男女に社会的な違いはないので、先進国においては将来的に、全女性が彼女のようになるであろう。
男女に違いはない。
しかし、不自然でもある。 

 若いときに妊娠せず、40才近くになって子供をほしがる不自然さ。
彼女たちは母乳を与えることはないだろう。
赤ちゃんを物のように入手しようとする人間たち。
彼女たちの自然を無視した、人工的な意識を見せつけられると、神様は人間を許さないかも知れないとも思う。
自然を無視したままで、生きていけるはずがない。
自然に逆らうことの恐ろしさを感じる。

 しかし、男性だけが神に反逆することは許されない。
知恵の実を食べて、エデンをでてしまった人間は、神様に逆らってしまった。
人間の生は不自然さの中にしかない。
どんなに不自然であろうと、女性の自立を支持するし、女性とともに神に立ち向かおうと思う。
時代と格闘する女性たちの映画に星一つを捧げる。 
2004年アメリカ映画
(2004.08.13)

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