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実際の話を基にした映画だという。 近代批判という哲学的な主題が、楽しい物語となって映画化される。 何気ない話だが、それなりに深い意味がある。 楽しめる人間には満足を与え、娯楽を求めた人間には、楽しみを与える映画である。 この映画のように当サイトも、易しくしかも奥行きの深い論を、展開したいと念じている。
1944年のスウェーデンは、まだ工業先進国ではなかった。 スウェーデン製品は壊れやすく、スウェーデン人たちは自国の製品に信頼をおいていなかった。 そんな時代に、生活改善運動が起きる。 「行動心理学」が大きな役割を果たし、その先鞭を付けたのが家政学であった。 「家庭研究所」でもユングバーグ博士のもと、家事労働を軽減するために、さまざまな工夫が凝らさた。 基礎的な資料として現場の観察が不可欠である。 台所における動線を調べるのも、調査の一つだった。 こうした研究は、主婦の家事労働軽減に貢献した。 この調査というのは、これが科学なのだと感心させられる。 調査者は被験者を観察するだけ、両者が話しをすることもダメ、一緒の食事などもってのほかである。 今度は、独身男性の家事労働を調査しようと、計画が動き出した。 今回はスウェーデン国内ではなく、なぜかノルウェーの田舎の独身男性が調査対象だった。 どこかでそんな教えを受けた気もする。 調査対象と人間的なふれあいが生じれば、調査結果に偏向がかかり、中立的なものではなくなってしまう。 それをおそれて、この調査にはキャンピングカーが登場する。 日中、調査者は台所での観察をするが、夜になるとキャンピングカーに寝起きして、被験者との接触を断つのである。 調査員のフォルケ(トーマス・ノールストローム)がやってきたのは、ノルウェーの田舎に住むイザック老人(ヨアキム・カルメイヤー)のところである。 調査を受け入れていたはずのイザックは、実際にフォルケがやってくると、調査に非協力となった。 なかなか家に入れてくれない。 やっとの事で台所に入ったと思ったら、イザックはキッチンでは調理せずに、2階の寝室で煮炊きしている。 2人の間には気まずい雰囲気が流れる。 台所のすみに置かれた奇妙な監視台に、フォルケは座って監視を続ける。 時々見回りにくる上司(レイネ・ブリノルフソン)に、フォルケは叱咤激励される。 しかし、会話や交流を禁止されているので、フォルケは調査の成果を上げることができない。 そうこうするうちに、煙草がきっかけとなって、やがてイザックが心を開き始める。 調査も順調に進展し始める。 独身の男とは、へそ曲がりで孤独なものである。なかなか心を開かないくせに、ほかに相手をしてくれる人間がいないので、一度心を許すとたちまち仲良くなってしまう。調査者と被験者は交流を禁じられているにもかかわらず、この2人も無二の親友となっていく。調査の規則を破ったことがばれて、とうとうフォルケは解雇される。 イザックの薦めに従って、フォルケはイザックの家に逗留することにする。人間的な接触を否定した科学に対して、2人はべたべたの人間的感情を形成していく。この過程は、近代科学に対する批判になっており、これがこの映画の主題である。イザックが死んでしまうと、フォルケはイザックのいなくなった家に住んでしまった。 この映画は、科学的といわれる調査が、人間の心理や接触を拒絶し、あくまで中立的足らんとした姿勢を批判する。純粋科学の手法を、家政学などにも取り込んで、人間の個人的な偏向をできるだけ排除しようとした。そのあたりをジミーなユーモアをまじえて淡々と描いていく。 我が国でも、「暮らしの手帖」が同じような資質だったと記憶するが、「暮らしの手帖」は商品を対象にしていたので、この映画のような喜劇はなかった。 他では、商品に対するのと同様の調査手法は、科学の名のもとに人間行動にも適用された。 その後、人間工学やサイバネティックスなどにも、この手法は応用されていった。 しかし、人間を相手にした調査でありながら、被験者との交流を禁止するのは不自然だった。 この映画は、初期の科学的な装いをもった近代を、ユーモラスに批判している。 現場の調査者は被験者と仲良くなってしまうが、中間管理者は上司から与えられた指示を忠実に守る。 しかし、上司はきまぐれに現場に来るだけで、けっして規則的に行動しはしない。 今から見ると、科学もこの頃は、人間くさかった。 いくらスウェーデンでも、今では簡単に風呂へも入れるだろうが、1944年頃は風呂にはいるのは大仕事だった。 人間が身体を沈めるほどのお湯を集めるのは、かつては難しい作業だった。 そして、それはお金や手間のかかることでもあった。 この映画でも、それがきちんと描かれている。 この映画には、狂言回しとして、イザックの友人のグラント(ビョルン・フロベリー)が登場する。 彼はときどきイザックの所へお茶を飲みに来たり、髪の毛を切ってもらいにくる。 人間が少ない地方では、2人は数少ない友人だった。 ところが、フォルケが来てから、イザックはフォルケと仲良くなって、グラントには関心が薄れた。 グラントにとっては、それが悲しい。 しかし、イザックがいなくなってからは、フォルケに対してイザックとの間にあったような友情が芽生える。 第2次世界大戦では中立を守ったスウェーデンだが、近隣諸国では参戦しなかったことに批判があるようだ。 世界中が敵味方に別れて闘っているときに、中立を保つことは強い国に味方する結果となる。 北欧諸国は強国ロシアに侵略されてきたので、戦争に関しては複雑な心理が働くようだ。 この映画でも、それが随所に見られた。 2003年ノルウェー・スウェーデン映画 (2004.07.02) |
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