タクミシネマ    私は「うつ依存症」の女

私は「うつ依存症」の女 
エーリク・ショルビャルグ監督

 この映画は実話だと、最初に文字が入る。
いくら病気だといっても、主人公のような人が、自分の近くにいたら、本当にやり切れないだろう。
母親(ジェシカ・ラング)の期待を一身にうけてリジー(クリスティーナ・リッチ)は、1986年にハーバードへ入学する。
早くから才能を現し、ローリング・ストーン誌に、音楽評論が採用される。
しかし、鬱病が発症し、彼女の人生は狂い始める。
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 最初は仲の良かったルームメイト(ミッシェル・ウィリアムス)とも喧嘩別れとなる。
恋人(ジェイソン・ビッグス)とも別れてしまう。
やがて、母親とも確執が始まる。
この映画は、母親との関係を中心に、過剰な期待が彼女を病気に追い込んだと描く。
この映画は、原作者エリザベス・ワーツェルの実人生をもとにしており、原作者が悩み苦しんだ日々を描いているのだろう。
だから、どうしても主人公から見た視線でしか描かれない。

 病院や薬が、潤沢ではなかった時代。
肉体の調子が狂うと、生きるのが困難になったことは、今日の比ではなかったろう。
足が折れたら、農作業はできない。
手がなくても、力仕事はできない。


 肉体労働が主流だった時代、身体には過酷な環境だった。
ところで、肉体は精神ももっている。
精神が病んだとき、かつては加持祈祷か水垢離でもするより他に、手立てはなかった。
精神病が治療の対象になったのは、つい最近である。

 筆者はうつ病で苦しむ。
この映画で描かれるうつ病は、周りの人を傷つける。
リジーはまるでハリネズミのように、他人の弱点を探して攻撃する。
そして、また被害妄想に陥って、自分を傷つける。
精神のメカニズムは、いまだ解明されていないので、周りの人は対応に苦慮する。
病気だと判っていても、リジーのような攻撃をされたら、傷ついて離れて行くであろう。

 リジーは他人を傷つけたくて、傷つけているのではない。
まさに精神が病んでおり、他人への攻撃も、病気がなさせる。
うつ病患者の自殺率は高いので、おそらく昔なら、自殺していただろう。
しかし、今日では薬がなんとか自我を保たせてくれる。
この映画でも、精神科医(アン・ヘッシュ)はプロザックを処方する。
1986年当時、プロザックは新しく登場した薬であり、未知な部分が多かったのだろう。


 精神病に対しては、どんな薬が効くか、根気よく探す必要があるらしい。
各人各様だから、少しづつ処方しながら様子を見ていく。
リジーの場合、プロザックが上手くあったらしい。
辛うじて自己を保ち、薬で折り合いを付けながら、新しい人生に向かっていく。
薬で折り合いを付ける術を知ってから、この原作は書かれたものである。
プロザックは我が国では認可されていないが、世界中で4000万人以上が服用していると言われる。

 多死多産の時代には、子供は元気で育ってくれれば、それだけで良かった。
出産される子供は少なくなったが、ほとんどの子供が成人する。
皮肉なことに、子供が少なくなって、子供に過剰な期待がかかる。
しかも両親は簡単に離婚する。
小さな時代、子供は同年齢の人間ともまれることがなくなった。
生き方を身につける機会が、ずいぶんと変わってきた。

 社会の変化に、人間が上手く適応できない。
そのために精神を病む。
分裂症がそうであるように、もちろん純粋に気質的な病気かも知れない。
おそらく昔から、うつ病はあったに違いない。
反対に、薬が病気を浮かび上がらせたのかも知れない。
与えられた人生生きるしかない我々は、薬に頼ってでも社会を歩いていかなければならない。

 この映画の原題が「Prozac nation」であることを考えれば、原作者は必ずしも薬を賛美しているわけではない、と思う。
この映画の主題は、うつ病への理解だろう。
もちろん、足の不自由な人には、手を貸すべきだし、障害者のある人には、思いやりをもつべきだとは思う。
しかし、人間関係が作れない病気だと、いくら病気だと言われても、周りの人間は対応に苦慮する。


 思いやりを持てと言うのは、一見すると正しいように見えるが、健常者と障害者を等価に見ていないようにも感じる。
ここからは、健常者が障害者に手を差し伸べる、という形しか生まれない。
健常者と障害者は、互いの関係であり、うつ病の人のハリネズミのような対応に健常者も傷つく。
健常者を傷つけることを、うつ病だからと言って、免責されることはないだろう。
とても難しい問題である。

  主人公を演じるクリスティーナ・リッチが、初めて全裸を披露している。
しかも、制作までからんでおり、彼女の力の入れ方が判る。
しかし、彼女の裸は、子供のようであまり魅力的ではない。
この映画に関する限り、彼女が主人公を演じるのは、ちょっとミスキャストだと思う。
彼女独特の雰囲気が、この映画にはそぐわない。
むしろ平凡な感じの女性のほうが、物語に真実味が増したようにおもう。
ジェシカ・ラングがでているが、往年の魅力はやや薄れている。

2001年アメリカ映画

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