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「Simulation one」を「Simone」と縮めたと言う。 仮想の主人公にフランス風の名前をつけて、アメリカ人のヨーロッパ・コンプレックスを皮肉っているのだろうか。 美を巡る恐ろしい主題を描いた映画である。 「美神」という三島由紀夫の小説は、人間は美を独占できないと描いていたが、この映画は自分の創った美が、自分を拘束し突き動かす様子を主題としている。
10年間売れなかった映画監督のタランスキー(アル・パッチーノ)は、人気女優のニコラ(ウィノナ・ライダー)を使ってヒット作を撮ろうとしている。 しかし、わがままな女優ニコラは、終盤を迎えた彼の作品から、いとも簡単に降りてしまう。 絶望状態の彼のところへ、ハンク(イライアス・コティーズ)と名乗るコンピューター・オタクが、CGのプログラムをもって登場する。 このCGは監督の思うがままの人物を創ることができた。 このソフトを使って、彼はシモーヌ(レイチェル・ロバーツ)を創造し、映画を完成させる。 観客はシモーヌをCGだとは思わず、実在の女優だと信じてしまう。 しかも、映画がヒットしたことから、事情は大転換を迎える。 売れたくて仕方なかったのに、自作がいざ売れてしまうと、収拾がつかなくなる。 実在しないシモーヌを求めてファンが殺到する。 彼は良心の呵責に責められながらも、シモーヌを売り出していく。 挙げ句の果てには、彼等の仲までよりが戻ってしまう。 実在しないシモーヌを、実在するかのように見せる顛末。 1人は騙せなくとも、大観衆なら騙せると、何万人も集めてスタンドでライブショーを開く。 そした様子をドタバタ喜劇風に描いていく。 映画はしょせん作り物、真実ではない。 しかし、主人公は実在するはずで、あの美女はCGによって合成されたはずはない。 自分の目より、虚構を信じてしまう人たち。 虚構が一人歩きを始めると、もはや誰にも止められない。 娘のレイニー(エヴァン・レイチェル・ウッド)だけが、辛うじて真実を見る。 CGが実写と遜色なくなるのも、もう近いことだろう。 CGのあまりの発達が、わがままな俳優たちをお払い箱にする。 何も映画の世界に限ったことではない。 機械の登場によって、しかもコンピューターを内蔵した機械の登場によって、今まであった職業が消滅させられてきた。 下駄屋、桶屋、鍛冶屋などなど、かつての職人たちはすでに消えてしまった。 こうした技術革新に、美の問題を絡めて描くこの映画は、きわめて現代的な主題を扱っている。 均一的な大量生産ではなく、少量個別生産をラインがやってのける。 それがコンピューターの価値だった。 しかし、シモーヌがスターダムへと駆け上がると、もはや誰も止められない。 人気が人気を呼んで、一極集中的な現象が起きていく。 しかも、それを創った当人の意思をも無視して、当人を踏みつぶして暴走していく。 この映画は中盤まで、きめ細かく綿密な構成で展開される。 いや3分の2くらいまでは、成功作と言って間違いない。 アル・パッチーノの演技が、オーバーな大時代的であるのを除けば、充分に魅力的である。 しかし、終盤に至ると、主題がなんだったかがぼやけてきて、散漫になってしまった。 タランスキーはCGソフトを毀して、シモーヌを葬ったつもりだった。 そして、彼女を死んだことにし、葬式をやって終わるはずだった。 あまりのリアルさに、観客はシモーヌの実在を信じ、また死を信じてしまう。 なんと、実在しないはずのシモーヌを、彼が殺したという嫌疑がかかる。 彼は警察に収監され、有罪になりそうになる。 そこを娘に救われるのだが、シモーヌという美の反逆によって、彼は死刑になると言うエンディングでも良かった。 これだと「美神」と同じだが、話はそれなりにまとまった。 しかし、刑務所からでた彼は、元の妻とのよりを戻し、再度CGで映画を作ろうとする。 こうなってしまうと、この映画が何を訴えたかったのかが、分からなくなってくる。 撮影したフィルムは使いたいだろう。 作者は自分でカットし難いものだ。 しかし、主題がはっきりしていれば、カットできるはずである。 そうした意味でも、監督の意識が完全に明瞭になっていなかったので、最後がきちんと終われなかったように思う。 こう書いたからと言って、必ずしも評価が低いわけではない。 着想と言い、主題と言い、展開と言い、なかなかに優れている。 最後で破綻したが、創造性と主題の追求には、見るべきものがあったと思う。 外国生まれの他の監督たちと同様、ニュージーランド生まれのこの監督からも、アメリカへの皮肉な目を感じる。 厳しいことを書いたが、この映画の同時代性に星を一つ献上する。 蛇足ながら、タランスキーが乗っていた車が、古いロールスロイスで実に好ましかったし、シモーヌに憧れる男が乗っていたのはDS21だったのも、趣味性があって良かった。 もちろん、シモーヌはアルファに乗っていたのも好感が持てた。 2002年アメリカ映画 |
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