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コンフェッション    ジョージ・クルーニー監督

 1970年代を中心に、アメリカのテレビ界に君臨した伝説的プロデューサー、チャック・バリス(サム・ロックウェル)の伝記に基づいていると言う。
しかし、ちょっと荒唐無稽すぎて、実話かどうかは怪しい。
彼はテレビのプロデューサーをしながら、CIAの工作員として、33人もの人間を殺してきたというのだ。
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 テレビ業界の創生期での話し。
若い男なら当たり前のことだが、金と女に目がくらみ、必死で出世の道を探る。
テレビ局に番組企画を持ちこむが、なかなか採用されない。
貧乏な時代の彼に、CIAのエージェントと名乗るジム(ジョージ・クルーニー)が接触してくる。

 彼はCIA工作員としてスカウトされる。
半年ばかりの訓練を受け、暗殺者となる。
やがてチャックは、売れっ子プロデューサーとなるが、人殺しの快楽も忘れがたく、プロデューサーと暗殺者の二重生活を送ることになる。

 映画は荒唐無稽な方が面白いのだから、いくらでも外れるのは構わないが、実話だと言って嘘を描くのはいただけない。
実話だという前提が、物語の発展性を削いでしまう。
壮大な嘘は嘘のままで良い。
もっとも、この伝記の主人公が、虚構の世界にいたのだから、観客を担いでやろうとしてもおかしくはない。
伝記自体が虚構だと言うことはある。
しかし、伝記小説として優れていることと、映画として優れていることは違う。


 チャックの無名時代、ペニー(ドリュー・バリモア)と知り合って、意気投合していく。
しかし、時代は1960年代である。
ペニーもフリーセックスを実践して、男性関係には放埒だった。
当時は、ヒッピー文化があふれており、結婚のような常識的な生き方には、チャックも関心がなかった。
若い彼らは、互いに縛られない関係を望んだ。

 軟派な彼は、テレビ業界にしがみつき、おもしろおかしい生活を望む。
そして、大衆に如何に受けるか、彼はそれだけを考え、下品だけれど面白い番組を次々と生み出していく。
テレビ業界で売れ、金も女も思いのままといった生活が続くが、ペニーとの関係だけは切れない。

 花形プロデューサーの道を歩みながらも、裏では暗殺者の生活は続く。
自分の番組を暗殺者の生活と結合し、番組の出演者とヨーロッパへと旅する。
そして、そこでは暗殺の仕事もこなしていく。
東ヨーロッパの国々で、チャックはジム以外の同業者と初めて知り合う。
女工作員パトリシア(ジュリア・ロバーツ)に悩殺され、彼は任務の度に逢瀬を重ね続ける。

 有名になったチャックは、テレビを低俗化させたと、批判を浴びるようになる。
そして、友人の工作員キーラー(ルトガー・ハウアー)がドイツから突然に表れて、彼の目の前で死んでいく。
自殺を装った内通者による粛正だった。
内通者がいると語っていたキーラーの死は、突然チャックにパトリシア殺害を実行させる。


 中盤までは話が広がっていく。
どんな展開になっていくのか楽しみであるが、途中から奇想天外さが途絶えてしまう。
すれ違うことのない話を、何とか結びつけるのだから、どうしても無理がある。
これが007なら、どんな荒唐無稽でも構わない。
荒唐無稽なほどおもしろい。
辻褄が合わなくても、納得してしまう。
しかし、その映画の設定の中では、論理矛盾は許されない。
主人公が空を飛べるのは良いが、何の理由もなく飛べなくなってはいけない。

 この映画は実話だと断っているので、現実の生活から離れられず、話しに無理が生じてしまうのだ。
例えば、パトリシアの殺害を巡っても、不自然さが目立つ。
先にパトリシアがチャック殺害をくわだてるのだが、彼は毒入りコーヒーを見破って、何気のうちに彼女に飲ませて殺す。
パトリシアがチャック殺害を実行するために、毒薬を準備したのは理解できる。
しかし、コーヒーカップを入れ替えて、あの状態で彼女を殺すのは無理だ。

 後半に至るや、無理に無理を重ねたツケが、一変に吹き出してしまう。
話がまとまらず、バラバラのまま終わりを迎える。
自伝だから、主人公は人非人ではないと言いたくなる。
暗殺には良心の呵責もあったと、言い訳もしたくなる。
そこで、主人公は暗殺の反省もするから、心理劇のようにもなってしまう。
フィクションとしての映画なら、殺人に心が痛むなどと言うことはなく、主人公をもっとクールに描くだろう。


 実際の生活を自伝という形で描いているので、主人公が自己正当化せざるを得ない。
誰でも完全な悪人にはなりきれず、良心があると言いたいのだ。
極端な二重生活から、自分の人格が破綻したといわざるを得ないところが、この映画の最大の問題点だった。
後半で話が散漫になったことは、やはり映画の映画たる醍醐味は、偉大な虚構に尽きるということだ。

 ヒロインを演じる女性たちが、揃いもそろって不美人なのには、あきれるというかホッとするというか、不思議な感じである。
ドリュー・バリモアが良い雰囲気で、不美人だがというか、不美人ゆえというか、とても好感が持てた。
また、彼女がビートルに乗っていたのも、彼女が心情左翼であることを表していたし、いかにも60年代で懐かしかった。
なにせ当時は、フルサイズの車が主流だった中で、小さなビートルに乗ることは、生きるスタイルの表現だった。

 ブラッド・ピットやマット・デイモンなど、カメオ出演者が多かったのは、彼の交友範囲の広さゆえだろうか。
スティーヴン・ソダーバーグが総制作者として加わって、ジョージ・クルーニーの初めての監督作品だが、俳優ほどの成功はないように感じる。
制作者のほうが向いているかも知れない。

 2002年アメリカ映画

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