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奇妙な映画だが、現代的な主題を扱って光るものがある。 リー(マギー・ギレンホール)という若い女性が、精神病院からでてくる。 彼女は不安になると、自分の身体を傷つける被虐的な資質があった。 タイプをならって、弁護士事務所に秘書として就職する。 と、その雇い主である弁護士エドワード・グレイ(ジェームス・スペイダー)も、奇妙な資質を持っていた。
タイプ打ちと電話番に、彼女は賢明に励む。 仕事でしくじるたびに、彼女は不安になる。 そして、身体傷つけセットを使って、精神の安定を保っていた。 それがあるとき、エドワードの知るところとなる。 彼も自分の欲望が変形しており、人間関係では悩んでいた。 そのためか、エドワードは彼女の資質を嫌悪することなく、むしろそれを刺激する。 なんとそれは、彼女のお尻をたたくことだった。 お尻をたたかれたリーは性的に感じてしまい、やがてそれが彼への愛情に変わっていく。 すると、今までの自傷癖とも決別できるようになった。 2人の間には、不思議な関係が持続されるようになる。 インテリ弁護士が精神的に悩み、単調な仕事の秘書も精神的に悩んでいた。 精神が時代の鍵になりつつある現状に、この映画は非常識的な迫り方をしている。 尋常ではない迫り方に、現代的な問題意識が強く感じられる。 マニアの世界はそれで良い。 この映画にせよ本サイトにせよ、今まで特殊だと言われる精神が、通常の世界とも通底し始めている、と考える。 それがマニアとは違った見方である。 精神は各人各様で、それこそ幾通りもある。 しかし、だからといって他人と折り合いを、付けなくても良いというわけではない。 この映画の主張は、特異な精神的嗜好をもっていても、通常に認められるべきだという。 自傷癖を直せとは言わない。 むしろ、サディスティックな快楽を肯定する。 多くの精神療法が平均人とか、普通人を想定し、逸脱から復帰させようとするのに対して、この映画は逸脱自体を肯定し、逸脱を楽しもうとする。 フロイトなどの近代的発想から完全に離れて、変幻きわまりない人間の人間たる所以を肯定している。 近代工業社会の理念とは、工場で生産される物のように、標準的な均一の規格物が良しとされた。 人間も同様であり、あるべき標準が想定されているから、標準になるように教育された。 その典型が学校である。 同じカリキュラムで、同じ時間に全員が同じ方向を向いて、教室に座っている。 画一化に耐えられない人間は、欠陥品として排除された。 しかし、情報社会化する今、規格型の教育は有効性を失った。 と同時に、精神的な逸脱も問責されることなく、そのまま許容され始めた。 しかし、「ゴースト ワールド」や「ウエルカム ドールハウス」などの主人公が、不美人であるのを見ても判るように、女性に稼ぎがあり精神が問題の時代になると、美醜はあまり問題にならなくなる。 この映画でも主人公は決して美人ではないが、趣味を同じくするエドワードは彼女を心から愛している。 そして、軽く虐めながら、互いに欲情する。 屈折した性的快楽の肯定が実に潔い。 幼なじみのピーター(ジェレミー・デイヴィス)が求婚してくれるが、サディスティックな趣味を共有できなので、彼女はどうしてものれない。 自虐的な女性を描く映画が、サンダンスで評判になる。 アメリカの女性たちは、屈折した精神=男性から虐められることをも、相対化できる地平に至ったのだろうか。 この映画の主張は、男女が対等に愛し合うといった次元を突き抜けている。 我が国のフェミニズムの資質では、この映画を認めることはできないだろう。 いや理解すらできないに違いない。 しかし、個人主義が徹底するとは、当人たちが許容すれば、いかなる関係も認めることになる。 個人主義的発想は、社会的な視点を欠落させやすいので、必ずしも全面的には賛成できないが、精神的な世界を問題にする限り、肯定せざるを得ない。 この映画が描くのは、すでに芸術や哲学の世界である。 だから、我が国のフェミニズムが理解できないのは当然かも知れない。 一種ヨーロッパのデカダン的な雰囲気があり、アメリカの精神が成熟しつつあるのがよく分かる。 ヨーロッパとの違いは、それを貴族的な世界に閉じこめておおかず、大衆的な次元へと解放していることである。 イギリスの議員が、しばしば性的スキャンダルをおこすが、あれと同様な趣味がスキャンダルとはならない社会を、アメリカは作り始めている。 最後にリーは、専業主婦へと納まるのが気になった。 しかし、隠れてするから楽しいのではなく、自分の身体が要求する快楽そのものを肯定する。 そんな自虐的な世界を、この映画は楽しく描いている。 映画を見ている最中から、谷崎的世界を思い出していた。 谷崎の描く世界は、個人に耽溺するがゆえに世界性がある。 近代は一過的なものだが、人間は普遍的なのである。 時代認識の目に、星を一つ献上する。 2001年アメリカ映画 |
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