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 セクレタリー  スティーヴン・シャインバーグ監督

 奇妙な映画だが、現代的な主題を扱って光るものがある。
リー(マギー・ギレンホール)という若い女性が、精神病院からでてくる。
彼女は不安になると、自分の身体を傷つける被虐的な資質があった。
タイプをならって、弁護士事務所に秘書として就職する。
と、その雇い主である弁護士エドワード・グレイ(ジェームス・スペイダー)も、奇妙な資質を持っていた。
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 タイプ打ちと電話番に、彼女は賢明に励む。
仕事でしくじるたびに、彼女は不安になる。
そして、身体傷つけセットを使って、精神の安定を保っていた。
それがあるとき、エドワードの知るところとなる。
彼も自分の欲望が変形しており、人間関係では悩んでいた。
そのためか、エドワードは彼女の資質を嫌悪することなく、むしろそれを刺激する。
なんとそれは、彼女のお尻をたたくことだった。

 お尻をたたかれたリーは性的に感じてしまい、やがてそれが彼への愛情に変わっていく。
すると、今までの自傷癖とも決別できるようになった。
2人の間には、不思議な関係が持続されるようになる。
インテリ弁護士が精神的に悩み、単調な仕事の秘書も精神的に悩んでいた。
精神が時代の鍵になりつつある現状に、この映画は非常識的な迫り方をしている。
尋常ではない迫り方に、現代的な問題意識が強く感じられる。


 カルト的な精神をあつかった映画は、マニアの世界ではたくさんあるだろう。
マニアの世界はそれで良い。
この映画にせよ本サイトにせよ、今まで特殊だと言われる精神が、通常の世界とも通底し始めている、と考える。
それがマニアとは違った見方である。
精神は各人各様で、それこそ幾通りもある。
しかし、だからといって他人と折り合いを、付けなくても良いというわけではない。

 この映画の主張は、特異な精神的嗜好をもっていても、通常に認められるべきだという。
自傷癖を直せとは言わない。
むしろ、サディスティックな快楽を肯定する。
多くの精神療法が平均人とか、普通人を想定し、逸脱から復帰させようとするのに対して、この映画は逸脱自体を肯定し、逸脱を楽しもうとする。
フロイトなどの近代的発想から完全に離れて、変幻きわまりない人間の人間たる所以を肯定している。

 近代工業社会の理念とは、工場で生産される物のように、標準的な均一の規格物が良しとされた。
人間も同様であり、あるべき標準が想定されているから、標準になるように教育された。
その典型が学校である。
同じカリキュラムで、同じ時間に全員が同じ方向を向いて、教室に座っている。
画一化に耐えられない人間は、欠陥品として排除された。
しかし、情報社会化する今、規格型の教育は有効性を失った。
と同時に、精神的な逸脱も問責されることなく、そのまま許容され始めた。


 女性の稼ぎがなかった時代には、女性は専業主婦へと売られる存在だったから、顔や身体の美醜が大問題だった。
しかし、「ゴースト ワールド」や「ウエルカム ドールハウス」などの主人公が、不美人であるのを見ても判るように、女性に稼ぎがあり精神が問題の時代になると、美醜はあまり問題にならなくなる。
この映画でも主人公は決して美人ではないが、趣味を同じくするエドワードは彼女を心から愛している。
そして、軽く虐めながら、互いに欲情する。
屈折した性的快楽の肯定が実に潔い。

 幼なじみのピーター(ジェレミー・デイヴィス)が求婚してくれるが、サディスティックな趣味を共有できなので、彼女はどうしてものれない。
自虐的な女性を描く映画が、サンダンスで評判になる。
アメリカの女性たちは、屈折した精神=男性から虐められることをも、相対化できる地平に至ったのだろうか。
この映画の主張は、男女が対等に愛し合うといった次元を突き抜けている。

 我が国のフェミニズムの資質では、この映画を認めることはできないだろう。
いや理解すらできないに違いない。
しかし、個人主義が徹底するとは、当人たちが許容すれば、いかなる関係も認めることになる。
個人主義的発想は、社会的な視点を欠落させやすいので、必ずしも全面的には賛成できないが、精神的な世界を問題にする限り、肯定せざるを得ない。
この映画が描くのは、すでに芸術や哲学の世界である。
だから、我が国のフェミニズムが理解できないのは当然かも知れない。


 こっくりとした色彩の中で、自虐的に精神の快楽に浸り、肉体的な欲情を満足させる。
一種ヨーロッパのデカダン的な雰囲気があり、アメリカの精神が成熟しつつあるのがよく分かる。
ヨーロッパとの違いは、それを貴族的な世界に閉じこめておおかず、大衆的な次元へと解放していることである。
イギリスの議員が、しばしば性的スキャンダルをおこすが、あれと同様な趣味がスキャンダルとはならない社会を、アメリカは作り始めている。

 最後にリーは、専業主婦へと納まるのが気になった。
しかし、隠れてするから楽しいのではなく、自分の身体が要求する快楽そのものを肯定する。
そんな自虐的な世界を、この映画は楽しく描いている。
映画を見ている最中から、谷崎的世界を思い出していた。
谷崎の描く世界は、個人に耽溺するがゆえに世界性がある。
近代は一過的なものだが、人間は普遍的なのである。
時代認識の目に、星を一つ献上する。

2001年アメリカ映画

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