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冤罪をあつかった地味な作品だが、今日的な問題意識でつくられており、とても感心した。 我が国でも戦前・戦後には、労働運動や共産党などの関係で、多くの冤罪がでた。 冤罪の構造は、政治的なものに限られると思いがちだが、「レイプ殺人事件」をリメイクしたこの映画は、そうした偏見を吹き飛ばしてくれる。
その時代に最も反社会的とされることに、関連した人物が冤罪の対象とされる。 この映画はそう訴える。 戦前・戦後は、まだ体制側の力が弱く、反体制的な動きはまったく許容できなかった。 反体制を訴えた共産党などが、必然的に反社会的と目されていた。 そのため、冤罪の標的されただけのことであり、今日では共産党は体制内的な存在となり、反社会的とは見なされなくなった。 だから、冤罪のネタにならなくなっただけである。 冤罪がおきる理由は、政治的なものだけではない。 ゲイが、市民権を獲得できなかった最も大きな理由は、成人男性が年少者を性的に誘惑する、と考えられたからである。 ゲイは、成人同士の関係であることが認識されるに及んで、徐々に市民権を拡大してきた。 しかし、今でも年少者を可愛がることは、ともすれば性的な対象にしていると誤解されかねない。 現在のアメリカでは、年少者を性的対象とすることは、最も恥ずべきこととされる。 写真を趣味とする彼は、子供たちの写真も撮っていた。 そんな時、小学生くらいの女の子が2人、強姦されて殺された。 彼が犯人と目されて、刑事たちによる執拗な追求が始まった。 映画は徐々に、彼のプライバシーを描き出す。 彼は、歳の離れた女性シャルタン(モニカ・ベルッチ)と結婚しているが、子供はいない。 大きな家に住んでおり、彼女とは寝室が別である。 彼女の姪を可愛がったことから、姪を性的な対象とみたと誤解され、以来セックスを拒まれてしまった。 そうした事情もあって、彼はあやしい街娼を買うようになった。 しかも、年齢の若い女の子を好み、常連となっていった。 ヘンリーは有能な弁護士であり、裕福な生活を送る町の名士である。 場末の街娼を買うことは、彼の対社会的なイメージが許さなかった。 そのため、彼は街娼を買っていることを、誰にたいしても秘密にしていた。 奥さんとの関係で悩む彼には、不自然な行動も目立った。 警察署長ビクター(モーガン・フリーマン)は、彼のプライバシーを暴くことで、彼を追いつめていく。 彼はプライバシーの暴露に堪えられなくなる。 姪に対する嫉妬が絡む彼女は、夫が犯人であると信じ始めた。 彼女の許可を得て、家宅捜査が入り、少女たちの写真が見つかる。 その写真を突きつけられて、彼は自分が犯人であると認める。 するとその時、別の場所で真犯人が逮捕された、と知らせが入る。 愕然とするビクター署長、画面は執拗に彼の顔を追う。 複雑な表情、ここがこの映画の見せ場である。 冤罪は決して過去のものではない。 社会的に劣位におかれた者は、いつでも冤罪の犠牲になりうる。 反社会的と目されている者など、またプライバシーを暴かれたくない者は、いつでも好奇の目で見られ、冤罪の犠牲になりうる。 戦前・戦後は政治犯が、社会的なタブーだった。だから彼らが冤罪の犠牲になった。 今日のアメリカでは、年少者を性的対象とする気持ちや行動は、きわめつきのタブーである。 年少者への愛情は、かつてなら普通のことだった。 男女ともに10代の前半で性体験をもったから、たとえ、年長者の愛情が性的な関係へと発展しても、好奇の目では見られなかった。 時代を遡れば、年少者への愛情は稚児趣味として、立派に市民権をもっていた。 しかし、近代の入り口で、年齢の多寡による序列が崩れ、少年愛は徹底的に否定された。 そして、年齢の近い男女の性関係だけが、より強く肯定された。 近代も終わり、個人の輪郭がはっきりしてくると、個人的な関心事が拡散してくる。 近代の締め付けがほどけ、反社会的な趣味が表面化し、年少者への愛情をもつ者が、ロリータ趣味などとして市民権を主張し始めた。 しかし、いまだ社会は年少者への愛情表現を許さない。 ここに冤罪の忍び寄る構造がある。 アメリカ映画は政治的な主張を、上手く撮れないことが多いが、この映画は複雑な心理を良く表現している。 それは彼らの職業として当然のことだ。 しかし、時としてその熱心さが、無実の者を犯人に仕立て上げる。 正しい正義感が、形ばかりの夫婦になっていたとはいえ、善良な夫婦の関係まで破壊してしまった。 現実におきる本物の冤罪は、こんなものでは済まないだろう。 当人の人生を破壊し尽くすに違いない。 決してお金はかかっていない。 何も爆破しないし、ベッドシーンもない。 警察署での取り調べが続くだけである。 しかし、やや暗い画面のなかで、ジーン・ハックマンとモーガン・フリーマンのやりとりがくっきりと浮かび、見応えのある演技である。 年老いた2人は、ともに演技が上手い。 妖しげな魅力を振りまくモニカ・ベルッチの存在も良く効いている。 最初から結末が判っていると言えるが、それでも観客を引き込む力がある。 星を献上する。 2000年のアメリカ映画 |
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