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マイアミに住む歯医者のテッド(キューバ・グッティング・Jr )が、生みの女親ルーシーの死によって、アラスカの片田舎の街に行く。 アンカレッジから、セスナのような小さい飛行機にのりかえて、着いたところはエスキモーの住んでいる町だった。
死んだルーシーはガッツあふれる女性だった。 彼女はエスキモー犬を飼っており、犬そりレースに出場して3位に入賞していた。 残された遺産のなかには、エスキモー犬が8匹いた。 彼が犬に手こずっていると、近所に住む男性サンダー(ジェームズ・コバーン)が、200ドルで引き取っても良いと言ってくる。 しかし、その犬は優秀なエスキモー犬で、安く買いたたこうとしていた。 母親はルーシーだと判っているが、父親が判らない。 黒人だろうとあたりをつけたが、なんと相手はエスキモー犬を買うといった白人のサンダーだった。 親子関係の詮索に、ダイナーの女性バーブ(ジョアンナ・バカルソ)との恋、育ての母親との関係と、話は広がっていく。 そして、犬そりレースが始まって、サンダーが行方不明になった。 サンダーの捜索に、テッドが1人挑んでいく。 雪のない国の人が、馴染みのない雪上レースに、てんやわんやする様子がコミカルに描かれたものだった。 「クール・ランニング」の脚本を書いたマイケル・ゴールドバーグ&トミー・スゥードローが、この映画の脚本を担当している。 同じ路線をねらったものだと思うが、残念ながらまったく面白くなかった。 「クール・ランニング」の二番煎じだって良いと思うが、この映画には八方美人的な配慮があるだけで、独自の主張がない。 いかにもディズニーらしく、白人も黒人もエスキモーも、男も女も、人間も動物もみんな仲良し、という毒にも薬にもならない展開である。 正しいとされる常識を、正しいのですよと画面に映しだしても、お説教でしかない。 文部省推薦の教育映画のようでは、誰も感激しない。 子供向けだとしても、大人が感動するものでなければ、通用しない。 アメリカ映画は子供向けといった形で、話のレベルを下げないはずなのに、このディズニー映画はそれをやっている。 ハッピーエンディングだって、決して悪いものではない。 とにかく製作者自身が感動する、もしくは感動した話を、映画にするべきである。 ディズニーは動物の扱いなど、上手いものをもっているだけに、こうした映画を作ってしまうのは残念である。 わが国では、エスキモーというのは蔑称であるといわれて、いまではイヌイット言うようになっている。 しかし、この映画では、エスキモーといっていた。 ジプシーも蔑称だからロムと呼び変えているが、言葉をかえても表現する内容を変えなければ、まったく意味はない。 むしろ名前を変えることに目くじらを立てて、文脈を読まないほうがはるかに差別だろう。 この映画が、みんな仲良くと描くのは、差別否定の正義である。 差別の解消は、フェミニズムの主張だが、差別解消にばかりこだわると、表現が判らなくなる危険性がある。 表現には、毒も必要である。 フェミニズムの決定的な弱点は、芸術のわからないことだ、とカミール・パーリアはいう。 表現や芸術は、いつも正義とは限らない。 いつも正しい芸術はつまらない。 だからこのディズニー映画は、ちっとも面白くない。 2002年のアメリカ映画 |
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